■■■■■■合コンに忙しい大学生は■■■■■■
怒りを忘れた悲しいカナリアか?

  帝京大学の総長、理事の脱税、不正入学問題は私が青春だった30数年前よりも更に現在の日本社会の方が腐っていると実感する。この腐りきった社会に誰が立ち向かうのだろうか? 間違っても小泉首相や石原都知事ではないことは確かなようだ。少なくとも結果 はどうあれ、私たちが学生だった頃、私たちはこういった権力者の不正に対して断固抗議の声をあげ戦い抜いた時代があったのだ。

 30数年前(60〜70年代)いわゆる「政治の季節」と言われた時代の騒動の震源地は大学からであった。この時代大学生を中心とした若者たちが街頭に出て、大学を封鎖しストライキをもって学校当局や政治家や権力者の悪や不正に挑戦した時代があった。そしてかの有名な日本大学でも巨額な脱税、不正裏口入学問題が発覚し全国でも「学生運動のない立派な大学」と言われ10数万人(これはそこらの地方都市より多い人口だ)も生徒を抱え、更に金儲け主義の大学のキャンバスでは一教室500〜1000人の生徒を押し込めたマスプロ授業が平気で行われていたのだ。この時代まだ、日本は貧しかった。息子を大学に入れるため、親は畑を売ったり借金をしてまで大学に息子を送る家が多かった。しかし毎年の様に授業料値上げがあり、教授は裏口斡旋で忙しく休講は多発し、10数年間同じノートを使って平気で講義をしている教授が多くいた時代であったのだ。その結果 入学した学生全員が授業を受けると、教室が足らなくって困ってしまうと言う事態まで起こったのだ(笑)。親が苦労して入学金を払い、仕送りをして自分を大学に行かしてくれていることを知っている大学生は怒ったし、その怒りは70年安保破棄に向けた戦いとリンクし、日本の政治を大きく揺さぶることになった。
 特に日大の古田会頭たちの行為はそれはひどいものだった。学校当局は大学の番犬であった体育会、右派系学生組織を憲兵に仕立て上げ、暴力支配と戒厳令を大学内に施行し「経理の公開」を求める学生に暴力的な鎮圧を計った。しかし日大学生はそう言った数々の暴力的弾圧を経る中でますます強固に団結し、学生は就職や単位 なんて事より今の戦い、今を変革する方が重要だとばかりに学校当局や右翼や機動隊に血みどろの不退転の戦いを挑んだ。これがかの有名な日大全共闘の戦いであった。そして今、ここで30数年前と同じような事件が帝京大学で起こった。この事態に帝京大生は抗議に立ち上がるのか? 経理の公開を退学覚悟で要求する学生達は出現するのか? 何も起こせないのだったらやはりこの国が真の底から腐っている証拠のような気がする。

 長渕剛の名曲「静かなるアフガン」の歌詞はそれは私がぶっ飛ぶくらいな過激な歌詞だと思った。いわゆる「アメリカは常に正義」と信奉している平均的アメリカ人には許し難いものになるだろうとは予想できた。それは「アメリカに報復する資格はない」と言う本を書いたノームチョムスキーは今だにアメリカ社会からつまはじきに合っていることからして、ここで長渕氏の「立ち位 置」が重要なのだがしかし、長渕氏がこの詩を守るための行動を起しているとは聞かない。この歌詞で一番問題のなっている「アメリカが育てたテロリスト」は事実なのだ。NHKをはじめ大手マスコミがこの詩を流してアフガン戦争の矛盾、アメリカが押し進めようとするグローバリズム、世界戦略等そのあり方をもう一度見直すには良い機会なのだが、連中はアメリカから抗議が来るのが怖くってかけられないのだ。ここで、長渕氏はじめフォーライフのスタッフが日和見(戦わない)を決め込んだらこの名曲は消えてゆく。長渕氏のロッカーとしての決起はあるのか? もし、何もないのだったら「やっぱりね!・・・」って思ってしまう。日本の音楽業界に警鐘を鳴らし変革するにはとても良い機会だったのに。それがないのは私にとってはとても悲しい

 話変わって、プラスワンのこと。ビックな光景はたくさんロフトやプラスワンのステージでは見てきたつもりだった。この日のプラスワンでの出来事も「ふ〜ん、別 に……」って言いたいのだけれど(笑) 6月28日の「サッチーの逆襲2」のイベントにサッチー、野村克也、せんだみつお、柿沢弘治議員。そしてアントニオ猪木がステージに並んだ時は「あ、あ〜俺、もうプラスワンをいつやめてもいいや!」ってため息混じりに思った。特に野村克也氏、アントニオ猪木氏のツーショットにはなぜか知らないが妙な興奮を覚えた。別 に有名人を登場させたからって粋がっているわけでもないのだが、プラスワンは町や都会の片隅で生息する、それまで脚光を浴びて来なかった無名な「いぶし銀のこだわり」を持った人たちの話を酒を飲みながら聞くところとして開店させたわけで、まさかアントンや野村監督が出演してくれる店にはなるとは思っていなかった。この日何か私の血は騒いだ。簡単に言えばうれしかったのだ。又7月7日のプラスワンイベント「ナナオサカキ・ポエトリーリーデング〜私はここを歩く〜」にも私の個人的な趣味としては感激した。80歳に近い世界のヒッピー文化の元祖、どこまでも透明で無欲で飄々としたたたずまいは100%魅力的だったしあの壮大なアメリカの吟遊詩人・故アレン・ギンズバーグの友人、ゲイリー・スナイダーが偶然来日中でプラスワンに遊びに来てくれたのもとてもうれしかった。まあ、そんなことを言い出せばきりがないくらい現在のプラスワンにはお忍びで(?)本当に色々な人がやって来る。だから常に情報(常に出演者が補充されるスケジュールやプラスワン解放区掲示板)からは目が離せないのだ。

佐渡の美しい景色で大人しく回復を待つしかないであろう平野。しかしバイクごと崖から転落して骨折もせず大けがとはいえ縫うだけで済んだとはなんとも強運というか悪運の持ち主……

 今回のこのコラムのテーマは佐渡で行われたトランス系野外ライブanoyoコンサートの取材をする予定で一路佐渡に渡ったのだが、そこで私はバイク事故を起こし20数針を縫う事故にあってしまって、ついにライブを取材する事が出来ず台風17号が関東を襲い、佐渡島でも崖崩れで道路が寸断された。私は医者の止めるのも聞かず、道路が回復すると同時に、多くの友人達が「今から迎えにいきますから、絶対バイクで一人で帰らないで下さい」と言うのも聞かず、ひゅーと口笛を鳴らしながら、緑の北陸路を初夏の風を切ってバイクで急ぎ足で東京に帰ってきた(笑) これぞ「赤ヘルおやじライダー」の意地とばかりに(笑)佐渡ー新潟ー東京と6時間で突っ走ってきた。東京の整形外科の医者に行くと「佐渡の医者も乱暴だな〜。私がその医者だったら、絶対バイクにはのせないし、この傷でそれもバイクで東京に帰るなんてとんでもない。この2、3日が傷の養生で一番の勝負どころなのに……」って唖然としていた。と言うことで、私はこの猛暑の中、数日間の安静を言い渡された。26日からのフジロックには行けるのかどうか微妙になって来ている。まあ、このクソ熱い夏中しばらくは安静にしているつもり。

ロフトプラスワン席亭・平野 悠

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