<出かけても出かけなくても下北沢はそこにある!>
今月6月13日に、フラワーカンパニーズ によるシングル『下北沢に出かけよう/下北沢に出かけない』が、“The Sound of Shimokitazawa(S.O.S.)”シリーズの1枚として全国にリリースされる。
“S.O.S.”とは、下北沢を拠点に音楽活動をしたり、下北沢に拠点を置く音楽情報サイト「ミュージックマシーン」を運営するタクヤ氏主導の下、下北沢を愛してやまないアーティストたちが声をかけ合って始まったプロジェクトだ。この街が持つ独特の魅力について、行政官僚の好き勝手にはさせず、再開発計画賛成派も反対派も含めてもう一度みんなでこの問題を考えてみよう、アーティストもメッセージを発信してゆこうと、それぞれがレーベルという枠組みを超えて、楽曲をリリースしてゆく。始まったのが2005年6月。その後ほぼ1年間で、曽我部恵一、TOMOVSKY、宮沢和史、敏感少年隊など9枚のCDが発売された。そして記念すべき10枚目がこれだ。
今年1月29日、フラワーカンパニーズの鈴木圭介氏をゲストに迎えて、「21世紀のロックンロールとは何か?」というイベントがNaked Loftであった。そのトークの中で、「フラカンも下北沢好きでしょ。じゃ〜下北の今の現状に対して何かしら表現してみたら」と盛り上がり、圭介氏も二つ返事で快諾、この企画が実現したのだ。
このトークイベントの企画者でもあり、シングル実現に向けていろいろと動いてくれた音楽評論家の吉留大貴氏は、次のように語っている。
「結成18年目を迎えたフラワーカンパニーズが、ニューシングルをリリース!! 今までのフラカンになかった新しいサウンドは、間違いなく『名曲』と言い切ることのできる完成度。しかも同じ曲に別歌詞・別アレンジを加えるという離れ技を披露し、1枚のシングルで下北沢へのアンセムとレクイエムを同時に歌いあげた。このCDシングルは、ロックが今を写し出すメディアとしての役割を失っていなかったことを教えてくれる。そしてそこで思うであろう何か、ここで描かれた『二つの未来』から何を想い何を選ぶか、あなた自身で心に問いかけてみて欲しい。」(フライヤーより)
確かに私も、このシングルは傑作だと思った。“何も用事がなくても下北沢って素敵な街だから行こう!”という、シンプルで明るくてハッピーなアップテンポの曲「下北沢へ出かけよう」と、“でっかい道路ができて街が再開発されるんじゃ下北沢なんか行かねーよ!”という、同じメロディをスローテンポな曲にした「下北沢へ出かけない」。この2曲をカップリングするというアイデアある作品だ。
それにしても、フラカンの不動のメンバー4人がたたき出すサウンドはうまい。これほど繊細な音を作れるバンドだったとは意外だった。新人ロック評論家(笑)である私にとっては、このCD実現までフラカンの魅力を見抜けなかったとは情けない思いだ。さすが、結成18年の貫禄を見事に見せてくれた、ピッカピッカのパーマネントバンドなのだなって実感した。
CDは500円(なんと安い!)で売られ、ここから上がった純利益はすべて、下北沢を再開発問題に取り組んでいる団体・Save the 下北沢に寄付されることになっている。できたらみんなも手に取って聞いて欲しい。そうなのです。この下北沢再開発を見直す運動を、私たちはまだあきらめることなく、楽しく戦いは続いている。このCD野リリースが、それに気付く人が少しでも増えるきっかけになってくれると嬉しい。
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フラワーカンパニーズ ニューシングル
「下北沢へ出かけよう/下北沢へ出かけない」
1.下北沢へ出かけよう
2.下北沢へ出かけない
RTC-002 / 525yen(tax in)
6.13 IN STORES |
<故郷とロックフェス─Rock on the Rock '07─>
今や日本中が野外ロックフェス流行りである。5月12日に三河湾沿いの田舎町・愛知県吉良町で行われた野外フェス、Rock on the Rockに参戦して来た。天気はピーカンで、なんとなく夏の到来を予感させるようだった。
この野外イベントは、ロフトプロジェクト社長・小林茂明の生まれ故郷で、彼とその仲間たちが手作りで実現させた希有なフェスである。私が見たところ、誰もがそれぞれに持っている「故郷を思う気持ち」が如実に表れているイベントだった。「こんな田舎でフェスが成功する訳ないよ」という多くの意見をはねのけ、このイベントは今年で5回目にもなる。もともとは秋に開催していたが、3年前、台風によって半年延期になり、それ以来毎年5月に行われるようになった。
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編集部はなんて写真選ぶのだ!デブのロフトプラスワン店長ウクレレとチビの私だ。デブとチビ、君はどっちを選ぶ(笑)。 |
会場の最寄り駅は無人駅だし、人口2万人弱の吉良町は、東京から車で4時間以上かかってしまうほど遠い。しかしそこは、中部地方にまだこれだだけのきれいな海があったのかと驚くくらいな自然と、素朴な温泉のある町だった。
ここでイベントを開催できるようになるまでには、当然かも知れないがものすごい苦労があったと聞いた。地元の長老達(?)に理解を得るにはそれは大変な時間と手間を要したと思う。この地域一帯に暮らす小さな商店の若者やパーマ屋さんとか、若い漁師とかトラックの運転手たちの、「俺たちの地元でもロックのイベントを開きたい」という熱い衝動から始動したのだという。近頃のとかく「利益確保と有名バンドをひたすら集めた動員優先」になってしまっているように思えてならないロックフェスの中では、異色の存在といっていいだろう。
チケットは発売早々に2000枚がソールドアウト。「もったいない。この倍の人数は入れられたのに?」という私の嘆きをよそに、主催者側は、「このイベントは利益優先のイベントではない。これ以上チケットを売ったら混雑してお客さんに迷惑がかかる」と、断固これ以上のチケットを発行しなかったと聞く。これで収益はプラスマイナスゼロだとか。そんな中、このチケットがオークションで10倍以上の値段で取引されているのを聞いて、「あ〜なんて事だ! これは許せない!」と真っ赤に日焼けした小林さんは真っ青な天を仰いでいた。イベント当日、彼はあまりにもの働き過ぎ(と酒と?)熱中症でイベント中に倒れた。だけど彼にとっては、その倒れようは本望だったに違いない。
「感動する」って、何かロックのために作られた言葉のような気がする。どんなに経験を積み重ねても、人の心を打たない表現は徒労であるのかも知れないって、最近よく思う。はたして私のこのコラムが徒労であるかどうかは、読者が判断する事であり私には検証しようがない。
先月号での「『ROCKIN' ON JAPAN』編集長・山崎洋一郎氏に公開討論の呼びかけ」には今もって返事はない。質問や異議に答えるって「徒労」なのだろうか? 実は山崎氏は過去に、自身が住み続けている高円寺と、そこに住むミュージシャンについてあるインタビューで、「アーティストと街の関係」を鋭く突いた、とても鋭い意見を述べている(参照:「ほぼ週刊 テリー植田/2004年7月7日」http://terryueda.jugem.jp/?eid=14)。彼の高円寺との距離感と、私やSave the 下北沢のメンバーたちと下北の距離感はそんなに違わないと思うんだけど……。アーティストにとってその人が住む街、つまり日常生活の場は作品に無縁では決してないはず。山崎さんとは、そこを手掛かりに「クリエィティブ・コンフリクト(創造発展的な討論)」ができるはずなんだけどな。
「Rock on the Rock '07」出演アーティスト
曽我部恵一BAND / SPECIAL OTHERS / クラムボン / Dachambo feat.勝井祐二 / 湯川潮音 / Rico Rodriguez meets Cool Wise Men / 元ちとせ / せいかつサーカス / tobaccojuice / オオヤユウスケ / おおはた雄一&bobin / a-fank syndicate / 零 ZERO / gravity free(live painting) / スマイリー原島(MC) / Cocoro(MC) / Nori Ueno(MC)
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今月の米子♥
アメショーの米子(右・2歳)とおー君(左・3歳)。
米子は私の家出記念に、おー君は還暦ついでに買った。合計20万円したぞ。でも風俗通いもやめたし、酒もそれほど飲まなくなった。私も猫に愛されるいいじじいになろうと頑張っているのだ。
ロフト35年史戦記 第27回 下北沢SHELTER誕生物語−3(1991年)
1991年10月、幾多の難関を越えて始動した下北沢SHELTER。私見だが、ここから下北沢のロックが息を再び吹き返したと言っても過言ではないと思っている。1978年にオープンし、サザンや細野晴臣、山下達郎などのニューミュージック勢、上田正樹、憂歌団、ウエストロード・ブルース・バンドなど関西系ミュージシャンの東京進出の拠点にもなった伝統ある下北沢ロフト(当時は既にのれん分けしロフトとは別経営)が、騒音等の問題を抱えロックのライブができなくなる中、「下北ロック」は渋谷系ロックを横目で睨みながら、独自な世界を切り開いて行った。下北沢SHELTERは、渋谷から移転してきた老舗ライブハウス、屋根裏とともにスクラムを組み、下北沢ロック文化の復活を目指した。
ロックの流行の流れは早い。ロックは世の中の動きに実に敏感で、平気で体制内化したりする。権力者や天皇を賛美したり、そこにあるダラけた時代の波に乗りたがったりもする。ただ売れたいだけといった「商業音楽」になり下がったりもする。
私は当時、10年近くにも及んだロックとは無縁の海外生活から復帰したばかりでもあり、あのころのシェルターのことを私一人で語るのは荷が重すぎる。そこで先月号で、弱冠20歳で新店舗の店長を任された私の息子、平野実生にインタビューを試みたというわけだ。実はお互い酔っぱらっていて、結果的に半分くらいは「私的な親子の言葉の投げ合い」に終わってしまったような気がする(それはそれで面白かった、という読者もいたみたいだが・笑)。
しかし手前味噌だが、あの頃のシェルターが日本のロックに果たした役割は“自称ロック評論家”としてはとても重要な気がしていて、このままでは終われないと感じていた。シェルターの現場の話を聞くことで、私の知らない日本のロックにおける重要な何かが見えてくるのではないか。かくして、彼に前回のインタビューの続きを試みた。
<「ひどい店。サイテークラブ」「But Most Greatest Fuckin' Club of The World」>
平野悠(以下・悠)「たびたびすまんが今月もよろしく。とにかく今の君の、ロック・ライブハウス業界から一歩引いた立場からの意見が欲しいんだよ。先月号インタビューの最後に“(続く)”と書いてしまったし、後編を期待している読者にもすっ飛ばすわけには行かなくなったんだ(笑)。実際、5月号の『ロフト35年史戦記』はいつもと違ったノリで笑えたって、とても評判がいいんだよ。あと、君の消息がやっと知れたって、喜んでいるやつも多いよ。だからここは、恥ずかしがらずに熱いメッセージをおくれな(笑)。」
平野実生(以下・実生)「さっき初めて5月号読んだよ。ちなみに“若干20歳”→“弱冠20歳”⇒が正しい。仕事柄すんません(笑)(彼は今、校正専門会社に在籍している)。
まず先月号の記事、幾つか訂正ね。“近隣とのトラブル解消交渉”は、2年近く続いたんじゃなかったっけ? それからiPodに5000曲入れているのは、“ストーンズだけで”の話だよ。それ以外も含めると、全部で1万曲以上とライヴ映像100本ぐらいはある!!!(入りきってないけど)。ちなみに日本人は山口富士夫のソロ1枚のみ」
悠「以上、慎んでお詫び申しあげます(苦笑)。さて、じゃ、先月聞きそびれた話を聞いていこうか。シェルターで君が店長やっていた1年間で、一番“店長やってて良かった”と思ったことってあると思うんだけど、そこはどうよ?」
実生「7年だっけ? よく憶えてないな。実質5年ぐらいで、あとはロフトの本部事務所にいたのかな? 良かったことは、最初のスタッフは全員、自分の友達や同級生ばっかりで運営できたこと。当時はそれが一番幸せなことだと思ってた。今考えても奇跡的だと思うな」
悠「泣けたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、やめたいと思ったことを思い出してほしいんだけど」
実生「飽きっぽいんで、毎日辞めたいと思ってた。辛かったことは、毎日営業してるってこと。だからどこにいても緊張してた。出演者はその日で完結するけど、スタッフは翌日もその完結に付き合わなければならないからね。だから打ち上げでは、毎日一緒に完結したフリをする。このルーティンは辛かったな。
嬉しかったことはね、ニューヨークの偉大なバンド・Railroad Jerkが、素晴らしすぎるライヴの後の打ち上げで、当時の常連さんたちとばか騒ぎしてくれたこと。
帰り際、ベースのTonny氏が、『ひどい店。サイテークラブ』(奥さんが日本人のため多少喋れる)と笑いながら言った後、突然真面目な顔で、『But Most Greatest Fuckin' Club of The World』、(続けて日本語で)『ホントにココは世界一のクラブだと思う』と言ってくれたこと。
あの当時、ニューヨークのCBGBをソールドアウトさせてたバンドの言葉だぜ。当時はその場にいたみんな、ここが世界一だって素直に理解できた。シェルターって、毎日そう思ってる人たちが集まる場だったんだ」
<FOOLSの最高なステージ。「アンコールなくて残念だったな」って>
悠「総体的にロックとは? 当時のライブハウスと今のライブハウスの温度差についてはどう思う?」
実生「今、ライヴハウスにほとんど行かないからわからないな。今の方がいいんじゃない? どこのハコもフレンドリーな感じで、それぞれのハコに色があるみたいだし。
今の俺にとってはロックとは趣味! 演るほうも聴くほうも。これは基本だと思う。趣味から外れた奴、命賭けちゃう奴は聴いててつまんないな。『ロックなんて趣味以外に関わるな!』かな? それはどんなジャンルや職業でも言えるんだと思うけど」
悠「当時のシェルターを思い出して、一番のライブをあげるとしたら?」
実生「FOOLS。彼らは何回か一回は最高なステージをやる、伝説的な不良バンド(川田良さんごめんなさい)。その1回にシェルターがあたった。感動した。当時は(近隣との時間制限があるため)ライブが押すと怒るPAの西方氏が、『(アンコールなくて)残念だったな』って、客電点けるときに囁いた。あと、LAUGHIN' NOSEはいつでも凄かった。きっと今でも素晴らしいんだろうな。ちなみに昔の新宿LOFT店長だった蟹江さんは、ジョージ・ソログッド&デストロイヤ−ズがロフトで観たベストライヴだったらしい。うらやましい」
悠「下北沢の街って好きだった? 嫌いだった? 君にとって下北ってどんな街?」
実生「思い出の詰まりすぎた青春の街かな? 下北沢は毎日いる人にはとてもいやすい街だと思う。でも一度離れると、とても敷居が高い街。あの街並は嫌いじゃない。あれってなくなってしまうの? 世田谷区って最低だね。下北が大手町みたいになったら嫌だな」
悠「『シェルターはクールな小屋というイメージがある』って、これは現店長の西村が言ったことなんだけど、それってどういう意味かわかる?」
実生「ロフト本部にあんまり関わってないから、そう見えるんじゃない? 新宿LOFTやロフトプラスワン、あとNaked Loftみたいに場所が新宿じゃないし、新宿や渋谷から比べたら下北沢はやっぱりローカルだし。だからこそいつの時代も、出演バンドといい関係を築いてゆけているんだと思うよ」
<無料音源ダウンロードバリバリ。これからアーティストはライブでしか喰えなくなるの?>
悠「自分が作ってきたシェルターと、今のシェルターの差って感じる?」
実生「西村店長は凄いね。もう何年? 継続は力なり。尊敬します。俺が見てきた限り、誰もできなかったことをやっていると思う。でも彼も結婚してもう30過ぎて、これからが勝負だと思うな。ロックと勝負するのかな? 俺は逃げたけど。今やシェルターの歴史は彼の歴史なんでしょう。俺と畠山二代目店長が創ったワクをもう壊してるのかは知らないけど。でも彼なら、決して悪い方向には向わないと思うな」
悠「君の世代って新人類からもちょっと遅れていて、いわゆるロストゼネレーション(失われた世代)で最悪じゃん。右を向いても左を向いてもな〜んにもないし、な〜んにも考えていない。で、平野実生にとって“自分探しの旅”とは?」
実生「さあ? なにその質問? そんなこと答えられないよ。最近一週間があっという間で、子供も生まれたしカミさん働かせているし、そんな余裕ないっす(笑)。」
悠「ライブハウスのスタッフ、働くものの心得というか、後輩に伝えたい事ってある?」
実生「バンドや関係者との距離感を大事に。音楽業界にいるんじゃなくって、あくまでも飲み屋がライヴやってるって感覚を忘れずに。そうすれば領空侵犯せずにすむ」
悠「今やワンアーティスト、ワンレーベルが普通になっていて、いずれメジャー会社はいらなくなるという状況だと思うんだけど、これはシェルターがあえて意識してきたことと通じることだったりするのかな?
さらには君が先月言っていた、デカ箱のステージの次の日に平気で小さなライブハウスで演奏するようになったことについて……」
実生「願望ではあったけど、今、客の立場に戻ってみるとチケットを店まで取りにくいのはヤだね。特にネットオークション全盛時代なんで、ソールドアウトのライブは客席が金持ちばっかになっちゃう。かくいう俺も、ストーンズのチケットのゲットにはヨーロッパのオークションにまで手をだしてる(笑)。
あと、無料音源ダウンロードもバリバリ(笑)。こないだ西新宿の海賊盤屋の友達に、『そういう行為はまさに業界の敵』って笑われたよ。リスナーの立場ではいいけれど、それで生活している業界の連中は大変だと……。まあ、彼だって海賊盤屋なんだけどさ(笑)。これからアーティストはライブでしか喰えなくなるの? 教えてロック評論家さん」
悠「さあ、どうなんだろう。でもCDやレコードはなくなっても、ライブハウスはなくならないと思うけどな。生の迫力ってあるわけだしさ。最後に、何か言い残したことってある?」
実生「???? 関係ない話だけど、そういえば最近、ちょっと家事やって子供の面倒も見ているんだけど、小林(現ロフト社長)さんに20年前のバイト時代や、昔の3人しかいない事務所で教わったことが妙に役立ってるんだよね(笑)。夏でも食器はお湯で洗わないと洗剤が無駄、とかいろいろね。
あ、そうだ。これもシェルターと全然関係ないけどさ、先日送った孫の写真は『Rooftop』で必ず使うように(笑)」
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孫(伊織4歳?)と吾が愛猫(米子2歳)。もう60歳を過ぎた私に倅はこの写真を送って来て、「さぁ〜さぁ〜孫、可愛いだろう? 猫とどっちを選ぶ?」なんて言われても、米子は私がいなければ野良になるしかない。伊織は溺愛する両親に囲まれすくすくと……。米子はけっと〜書付きだ。血筋もいい(ペットの「K」で買ったからあまり信用は出来ないけど?)。伊織は16分1、毛唐の血が混ざっている(私がクオーターなもんで(笑)) |
『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/index.html
ロフト席亭 平野 悠
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