第144回 ROOF TOP 2010年3月号掲載
おじさんの眼・北海道放浪編
「はぐれもの紀行 ─厳冬の北海道終着駅制覇の旅─ その1」

プロローグ/いざ、人生の終着駅に向かって……

 この数年、「老後」という言葉に頭を支配されてきた。「不良中年」とか「オヤジはがんばる」なんて、嵐山光三郎さんみたいな呑気なことではなくて、高血圧や糖尿という老人病を抱え、65歳という年波を鑑みて、「人生の終着駅」に向かうためのあれこれというか、「老いさらばえる」状況を現実のものとして「それはどういう事なのか」と長いこと考え続けていたのだった。
 昨年6月、突然の呼吸困難で救急車で運ばれるという事件があった。3階の書斎に生息している私のところに、救急車とはしご車までやって来て、近所中えらい騒ぎになった。そんなのは、人生初めての経験で、それが「トラウマ」になってしまったのかもしれない。 昨年1年間は、ほとんど「闘病生活」に近い状態だった。  高血圧、クスリによる副作用、ストレスや鬱、プレッシャー等々が日々私を襲い、私はその重圧と闘っていた。「自律神経がぶっ壊れている」とさえ言われた。そして最終的に自分に襲いかかってきたものは「死の恐怖」だった。
 私は小学生の頃から「死への恐怖」におののいて来た。「ついに長年恐れたことがやって来た……そう、もういつ突然死んでも全くおかしくない歳になった。こんなだらしない、不謹慎な人生を長いこと送っていれば……5年が精一杯か?」なんて焦り狂う事しきりだったのだ。  部屋にこもり、哲学書や宗教書をたくさん読んだ。老後は「量」より「質」の問題だと、哲学者の故・池田晶子さんの本から教わった。日中は起きられず、深夜になってやっと起き出す。それから私は夜通し迫り来る死の恐怖と闘いながら、深夜の東京の郊外を「愚直」にただ歩いた。持ち歩く万歩計は毎日2万歩以上を記録していた。  年が明けると、体調はだいぶよくなっていた。そうなると、うかうかしてはいられない。何しろ老い先が短いのだから。「沖縄移住」「田舎で農作業」「タクラマカン砂漠で木を植えよう」……色々考えるのだが、結局は自宅の書斎からほとんど出ようとしないで、無為な日常を過ごして来た。友達がやって来て「カンボジアで農作業プロジェクトのNGOに参加する。一緒にどうか?」という話があったが、やはり乗れなかった。
 そんな最中、真冬だというのに生暖かい南風が吹き抜ける1月のある夜。新宿百人町の「リトルコリア」で、ロフトブックスの今田とマッコリを飲んだ。今田は『放浪宿ガイド』シリーズなど、旅に関する本の専門編集者だ。
「悠さん、そんなにヒマなら厳冬の北海道、終着駅を訪ねてさすらう旅に出てみませんか?」と、今田は言うのだった。「僕が思うに、悠さんはやっぱり“旅人”なんですよ。やはり色々迷ったら旅をするべきなんですよ」と、うれしいことを言ってくれる。マッコリの緩やかな酔いも手伝ってか、この言葉には何か胸を打つものがあった。確かに、いつだって俺は人生の区切りには旅があった。
「厳冬の北海道の終着駅に、終着列車で行って、たぶん、相当くたびれている駅に降り立つ。で、見知らぬ町の名も知らぬ宿に泊まる」「ちょっと待てよ。それってどこかの雑誌の企画なの?」「いや、そんな話は今のところ全くないですけど。でも、こんな面白い企画、どこかに売り込めるかも知れませんね。とりあえず悠さんはお金もあるし、ヒマもある。どうぞ自費で行って、そのうらぶれた旅籠で何を思うかですよ」「いや、だけどその終着駅に泊まるところがなかったらどうするのかね? 俺も何度も北海道には行っているけれど、本当に終着駅って、何もない寂しいところが多いよ」「悠さん、そこがいいんですよ。何もないところが。北海道は日本ですよ。サハラ砂漠じゃないんだから、どうにでもなりますよ」と、今田は挑発するような笑顔で勧めてくるのだった。
「あのな〜。今の北海道はとても寒いだろう。俺は血圧だって心配だし……」「僕はね、今まで悠さんの文章を誰よりもたくさん読んできてますけど、悠さん、一人で本当に孤独になったときに、実にいい文章を書くんですよ。最近の悠さんの『おじさんの眼』も、個の独断な風景描写は、とても味があっていいんですよ」「北海道の終着駅っていくつあるんだ?」 「JRだと全部で10カ所です」「『オキナワ放浪宿ガイド120』の時は、「沖縄本島ママチャリ一周紀行」という企画に乗って、大変な目にあったな(笑)。やれやれ、今度は北海道厳冬終着駅の旅かね? いつも無茶なことをやらされる」「まあまあ。悠さんの原稿、どこの出版社も乗らなかったら、ロフトブックスで放浪宿シリーズの北海道版を出しますから、そこで載せましょうよ」「パソコンかついでかね」「いや、パソコンをなるべく持って行かない方がいいかも知れません。毎日俗世界とコミュニケーションするのはよくないですからね。まるっきりの一人になれない」「俺は修行に行くのか? この歳で……。終着駅には行くけど、宿は駅前の旅籠じゃなくって、ちょっと離れているどっかの温泉では駄目かね?」「ダメです。温泉宿なんてもってのほかです。観光旅行ではないんですから……」と冷たく言い切られた。

 北海道、北の大地には10カ所のJR終着駅がある。江差(江差線)、室蘭(室蘭本線)、様似(日高本線)、根室(根室本線)、夕張(石勝線)、新千歳空港(千歳線)、函館(函館本線)、新十津川(札沼線)、増毛(留萌本線)、稚内(宗谷本線)だ。しかし、これらをただ制覇するだけでは面白くない。そこで、以下の4つの条件を自分に課してみることにした。

1:終着駅には鉄道で到着して、駅前の旅館に泊まる。基本的に旅館(できたら寅さんが泊まるような商人宿)だが、やむなくばビジネスホテルでもいい。
2:最終列車で最終駅に到着のこと。
3:飛行機、レンタカー、長距離タクシーは使わない。バスはOK。
4:宿の予約はなるべくとらない。とにかく終着駅に着いてから考える。

 経路は、ほとんど行き当たりばったりという感じで選んだ。バックパッカーの旅は、先に綿密な予定表を作ることはまずしない。「明日は明日の風が吹く、どうにかなるさ」の精神だ。目的は観光でない。旅をするのである。
 いざ出発が迫ってくると、北海道の真冬の終着駅制覇という、多分誰もしたことがない酔狂な旅に挑戦することによって「その刹那の場面で65歳のこの老人が何を思うのか」という好奇心が沸々と湧いてきた。しかし、まさかこれほどまで自分にとって過酷な旅になるとは、想像すらしていなかった。


入庫してくる特急寝台あけぼの号(上野駅)
いざワンマン最終列車は数人の乗客を乗せ終着駅に向かう

2月8日/東京〜青森〜江差

 終着駅の旅の出発は、やはり鉄道だ。前日の夜21時15分、上野駅から寝台特急「あけぼの」に乗り込んだ。上野〜青森間を13時間かけて結ぶ、最後の夜行列車である。このコースがまた凄い。東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線、奥羽本線を走り抜け、青森を結ぶ。
 朝、青森駅で特急スーパー白鳥に乗換え、青函トンネルを越え北海道へ。木古内駅でさらに江差線に乗り換えると、12時過ぎにはまず最初の目的地、江差駅についた。  寒い。終着駅なんて何もない。ものわびしい。温泉に入りたい。しかし、駅前には温泉はない。街の舗道のアイスバーンに何度転んだか? 自分の人生を見ているみたいだ。
 駅前の旅館の一室から、誰もいない江差の重い海をひたすら眺めている。この駅、列車が1日に数本しかないのだ。


摩周湖・川湯温泉・この旅で初めて温泉に入った
開陽丸、かっこいいな

2月9日/江差〜室蘭

 江差から同じ鉄道で函館まで戻るのが嫌で、バスで山越えして、函館本線の八雲駅に向かうことにした。
 一日2本しかないバスなので、江差出発は12時過ぎだった。仕方がないので江差の街をしばらく観光した。江差は、昔の「ニシン御殿」がたくさんある町だった。榎本武陽が幕府からかっぱらった軍艦「開陽丸」が、海底より引き上げられ停泊しているのに乗った。客は私一人。粉雪が舞う。誰かと話したい……。
 江差から八雲へのバスでの山越えは素晴らしかった。バスはホントに大雪の山の中を走ってゆく。そのドラマチックな車窓風景が延々と続くのだ。場所によっては吹雪いているところもあって、突然太陽の日が差し込んだりする景色はダイナミックとしかいいようがない。バスは2時間かけて八雲駅に着く。乗客は4人。最初から最後までこの人数だった。
 今夜は、室蘭本線の終着駅・室蘭泊まりだ。何をするというわけでもなく、走る電車の中でぽつんと車窓を眺め続けていた。東室蘭の駅を見てほっとした。大きな町のようだ。ここで乗り換え室蘭終着駅に。しかし、この町は大きいだけで何もない。町を一回りしてみるが誰もいない。商人宿風な旅館なんてなかった。駅前に一軒だけ、寂しくビジネスホテルがあったので、そこに投宿する。ネットができる部屋5800円なり。
 駅前に回転寿司屋があったので、そこで夕食と酒を飲む。なんともしたたか飲んでしまった。きっと寂しかったんだな。酔っぱらったまま、宿に戻ると何もしないで寝てしまった。


最初の宿は寺子屋さん
これ凄いでしょ。前にはラッセル車が走っていた

2月10日/室蘭〜苫小牧〜様似

 日高地方は競争馬の産地だ。雪の中の牧場が良い。札幌行きを苫小牧で乗り換え、そこから3時間20分。長い。日高本線は海沿いも山の中も走る。通学帰宅途中の高校生がゾロゾロ入ってきて大騒ぎをして又降りて行く。
「様似? そんな駅あるんかね、聞いたことないな」  室蘭のビジネスホテルのカウンターが言っていたな、って思い出した。「ちょっとこのままではやばいかな」って不安に思った。
 ガランとした車内。一つ先の座席にはもう1時間以上もおばあさんが可愛くちょこんと正座していた。「わたしね、こうじゃないと座れないんですよ」って前のおばさんに言うが、無視されている。きっとこのおばあさん、前のおばさんと話がしたいんだろうが……。そんな光景を私は楽しく見ている。
 途中のある駅で、20分近くの停車があった。トイレに行く途中、ワンマンの運転手に聞いてみた。「様似に行って一泊するんですけど」「えっ、あの駅前の旅館、潰れましたけど」「いや、ビジネスホテルでも、とにかく泊まれれば」「いや〜、あまりよく知らないんですけど、泊まるところはないかも……」「じや〜駅員さんに聞けばなんとかなりますよね?」「駅員はいません」私は絶句した。
「日高本線の終着駅に駅員がいない。そんなのあり?」「終電でみんな引き上げるのです」と申し訳なさそうに言う運転手。「じゃ〜、駅前のタクシーの運転手に相談すれば……」「駅には一台しかタクシーはいません。もしそのタクシーがいなかったらどうします?」「どうしますって言われても、これ最終列車でしょ?」「はい」「じゃ〜私はどうすればいいの?」「この列車、苫小牧まで戻ります。それに乗って下さい」私は、再び絶句してしまった。
「と、言うことは、苫小牧まで、また同じ電車に乗って、3時間以上もかけて帰るという事ですか?」「そうなるかもしれません」「この電車の様似での停車は何分ありますか?」「15分です」
 いや、参ったな。まったく調べもせず、「まあ、何とかなるだろう」とやって来たのだが……。
 外は雪もさんざん降っている。ガラス窓越しに、しんしんと冷気が忍び寄ってくる。とにかく終着駅の写真だけは撮って、それで今夜は苫小牧のホテルにでも泊まるしかないか。
 しばらくして、駅に停車したすきに運転手が私の席までやって来た。「あの〜、様似には山の上に町民営の山荘があります」。私は、今回はじめて携帯のグーグルを使って検索し、その山荘に電話を入れ予約し、タクシーの電話番号を聞き電話予約もした。
 終着駅の様似に降りたのはわずか3人だった。タクシーが一台、ドアを開けて待っていてくれた。雪が降る中、タクシーのクラクションが鳴る。終着駅のホームの、わびしい光景をゆっくり写真に収める暇さえない。「ちょっと待っていて下さい」と断りを入れた。
 タクシーで10分ほどで到着した山の上の今夜の宿は、地元のじいさんばあさん達が、風呂につかり、カラオケを唄って酒を飲んで談笑している、保養センターみたいなものだった。
 メシを食うためにレストランに向かったが、メニューを見て腹が立ってきた。カツ丼、玉子丼、カレーライス、ハンバーグライス、天ぷらうどん位しかないのである。思わず、「あのね〜、これでは都会の安レストランと同じじゃないか? ここは海にも山にも近い。このメニューでは旅心が傷つくだけじゃないか」と抗議したが、全く通じない。


誰もいない、何もない、ただ雪が降りしきる

2月11日/様似〜襟裳岬〜帯広〜釧路〜根室

 6時50分のバスに間に合うために、朝6時起床。バスは一日2本。これを逃すと夕方までない。再び、昨日と同じ日高本線で4時間かけて室蘭に帰る気にはなれず、バスで海岸沿いを周り、襟裳岬を通って広尾というところでバスを乗り換え、帯広に行く。
 バスから見る「襟裳岬」は、何かはかばかしい顔をしていない。様似から広尾までの2時間の客は私一人だ。海あり山あり、日高平野の牧場地帯を通り抜ける。途中、1時間半の待ち合わせ時間をおいて、約6時間。こんなに長い間、バスに揺られたのは久しぶりのことだった。
 帯広に着き、根室本線で釧路への特急列車に乗る。釧路ではまた50分ほど待たされて、小さな一両編成の、キハ系のマッチ箱みたいなワンマンカーに乗り換えた。今日はどこもが晴れていて、雪はまったく降っていない。とにかくバスや鉄道に乗ってばかり。少しはゆっくりしたいと思うが、性格上、どうしても先を急いでしまう。
 今日は根室に泊まるつもりだが、基本的には駅についてそこで今日泊まるところを決める訳で……昨夜みたいな事がなければいいが……。
 根室に着くのは夜7時過ぎだ。これでは街を探索するとか情緒を味わうとか、そういったことは全く出来ない。そう、今日までの5日間、終着駅に着くのはいつも最終列車。泊まるところを確保したら、後は疲れてただ寝るだけなってしまう。それに、高血圧もかかえているのだ。とにかく終電車で到着というのは、やめないと命が危ないかもしれない。なにしろ、外は零下20度以上あるのだ。「最終列車で」という規則は、ちょっと無理筋だな、と思えてきた。
 さて、ようやくたどりついた、やはり駅員さえいない根室駅。徒歩5分のところにビジネスホテルがあった。一泊5800円。根室の繁華街は駅からちょっと離れた所にあるが、ほとんどシャッターが閉まっている。
 ビジネスホテルのユニットバスには入る気にはなれず、カウンターで銭湯のありかを聞く。「近くに2軒銭湯があります。お客さん、あつ〜いお風呂とぬるい風呂どちらが好きですか?」と、思わぬ事を聞いてくる。ここは日本のさいはて、海の向こうはロシアだ。ホテルの近く、それも5分以内に2軒の銭湯があること自体が驚異であった。
「それは江戸っ子ですから、もちろん熱い風呂の方がいいわけで……」と私は答える。「そうですか、ではその目の前の信号機を右に曲がってすぐの銭湯がいいですね。お客さん、そこの風呂はね、ちょっと変わっていてね、本当に熱いんですよ。そこのオヤジが変わり者で、意地張っているんですよ。そんな熱い風呂みんな敬遠しますよね。若い奴は行かんですよ。45度以上ありますよ。それでね、水でうめようものなら、少数の常連の連中に怒られるんですよ。それでも行きますか?」
 ホテルのオヤジの笑い声を背に、とてつもなく寒い外に出た。路面はアイスバーンだ。誰も歩いていない。すぐだと言われたが、なんだか適当に歩きまわってしまって、その風呂屋がどこかわからなくなった。しかし誰にも聞くことが出来ない。
 銭湯探しを半ば諦めかけ、ホテルに戻る途中で、あまりにもシンプルな佇まいの、暖簾だけがかかっている風呂屋を発見した。本当に小さな風呂屋だった。のれんの向こうの番台のオヤジは、テレビでサッカーの日本対香港戦を見ている。闘莉王がディフェンスから飛び出して、ヘッディングで2点目のゴールを決めていた。風呂代は420円だった。
 脱衣場に入ると、二人のおじいさんがいた。「ここは日本一熱い風呂の銭湯だって聞いて来たんですけど……そんなに熱いんですか?」と私は聞いてみた。
「そりゃ〜熱いわな。47度はあるぞ……」「それはとても僕には入れませんね。どうしよう? 水でうめたら怒られるって聞いたんですけど……」「そうかい、うひひひ。でも大丈夫だよ。多分あんたが最後の客だろうから、うめたって誰も怒る人はいないよ。安心して水を足していいよ」と優しく言ってくれた。
 小さな銭湯に入り、やせ我慢して45度と言われる浴槽に足を入れてみた。そりゃ〜熱い。とてもじゃないが入れない。
「熱い風呂とか冷たい風呂とか、それは高血圧の敵ですよ。血管がぶちぶち切れますよ。良いわけない」と担当の医者が言っていたことを思い出し、私は熱い45度の風呂に入ることを諦め、誰もいないのを良いことに、冷たい水をしばらく出しっ放しにしてうめ、湯船に身をゆだねた。湯船の中で眼をつぶると、どこもが真っ白に見えた。北海道のホワイトは強烈だ。
 暖簾を頭で押して凍った舗道に出た。ふと「この旅、ちょっと急ぎすぎなのかもしれないな」と思った。ホテルに帰って後はただ寝るだけ。夜飯はコンビニでおにぎり2個とお茶。わびしいよ。夜はしんしんと沈み込んで行くようにふけてゆく。疲れたなって思った。明日は摩周湖のほとりの「鱒や」だ。そこで2日程、休養をとろうと思った。(次号へ続く)


『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/


ロフト席亭 平野 悠

↑このページの先頭に戻る
←前へ   次へ→