6月22日朝、私は雨上がりの紫色のあじさいが咲き誇る東京の郊外を後にして、沖縄に向かった。テーマは、米軍基地問題で揺れる沖縄の現在的状況を自分の肌で感じること。6月23日に行われる「沖縄慰霊の日」(菅直人総理も出席)の式典を覗き、那覇で開かれるイベント「慰霊の日から考える沖縄の未来」へ参加し、そしてできたら今話題の普天間、辺野古の状況を見てみたい。さらにはロフトプロジェクト悲願の沖縄進出のための調査、マーケティングであった。
やはり沖縄にロフトの拠点を持つのは不可能?
もう4年も前のことだが、『オキナワ放浪宿ガイド120』(編集:LOFT BOOKS/発行:山と渓谷社06年)の取材で、那覇で購入した新品の赤いママチャリ(1万7000円もした)で、沖縄本島を一週間もかけて回ったことがある。沖縄本島北部では、アップダウンが激しいやんばるの山間部を抜けながら、沖縄の人々のたくさんの優しさに出会ったのは確かだが、旅の後半、今帰仁の小さな居酒屋で地元の人と大喧嘩になってしまった苦い経験もあった。
「噂には聞いてはいたが、沖縄人ってなんて排他的なんだ。俺は沖縄には憧れていたが、とてもこの地に永住することはできない」と切実に思い、何かしらの敗北感を背負って東京に帰って来たのだった。私の沖縄への一方通行の「愛」は終わったと思っていた。
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これがバックパッカーが逗留する宿だ。素泊まり1泊1500円。君も泊まりたい?
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ロフトよ、沖縄に空間の創造を!
今年6月上旬、民主党の鳩山由紀夫総理大臣が、田中角栄、経世会の流れを汲む小沢一郎を道づれに、抱き合い心中をして内閣から去った。原因は沖縄の「軍事基地」と「政治と金の問題」だった。
鳩山が総理辞任するおよそ半月前の5月16日、Naked
Loftでは「普天間移設問題と沖縄」というイベントが行われた。出演者は岡留安則(『噂の眞相』編集長)、宮台真司(社会学者)、保坂展人(元衆議院議員)。そこでの岡留さんのメッセージが、私の沖縄進出への夢を再起させた。「今、沖縄は熱い。今こそトークライブハウスを沖縄に作れ! 沖縄人は議論好きだし、本土と沖縄の文化ををつなげるのはロフトしかないし、沖縄はロフトの進出を待っている」
さらには、ロフトプロジェクトの社長・小林茂明の沖縄への憧れもあった。「ぜひ、トークも音楽も含めたライブハウスを沖縄に出しましょう。沖縄にはモンパチやビギン始め、たくさんのミュージシャンや文化人が住んでいるし、自分も仕事に疲れたら沖縄でゆっくりししたい(苦笑)。第一、Naked Loftの店長・上江洲は沖縄出身だし、奴の将来的な夢は、沖縄にロフトを出すことみたいですよ。だからロフト沖縄進出は可能なんです」と言い出したのだ。
変な話、私はロフトの沖縄進出にほとんど展望を持っていなかったのだが、岡留さん以外にも、宮台真司さんやノンフィクション作家の藤井誠二さんなど多くの文化人や音楽家が、「ロフトよ、沖縄に空間の創造を!」と言ってくれるのだ。これでは私も行動を起こすしかなくなった。そして私は沖縄へ飛んだ、というわけだ。
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雑魚寝する私(左)とロフト工事主任のミトさん(右)。二人とも60を過ぎた。ミトさんには勉強のために泊まってもらったが、つらそう(笑)
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那覇の定宿・月光荘での失敗
6月22日、岡留さんが那覇で経営している飲み屋「瓦屋」で、深夜まで泡盛をしこたま飲んだ。さらにはその後、深夜2時から、私の那覇での定宿、ゲストハウス・月光荘沖縄が経営する飲み屋「寿」で、宿のオーナーと飲み始めてしまった。明け方、ヘロヘロに酔っぱらってなんとか宿に着き、雑魚寝でどこに寝たのかもわからない状態であった。
60歳すぎての深酒はつらい。一泊1500円のバックパッカー宿だから、勿論クーラーもない。私はなかなか寝付けないで、いつも以上の量の眠剤を口に放り込んだ。
「はっ」と起きたら、時計は既に10時を回っていた。沖縄慰霊祭は、とうに始まっていた。式典参加はもうあきらめるしかなかった。結局昼過ぎまで、私は月光荘の板敷きの広間で、二日酔いを煩いながら寝込んでいた。同行していたロフト工事主任のミトさんは、店舗物件探しに朝から動いているというのに……。
午後からようやくミトさんと合流し一緒に那覇の不動産屋さんを回るが、いい物件はほとんどみつからなかった。
私は東京の小林社長に電話し、「どうもいい物件は見当たらないよ。24日にはサッカーのデンマーク戦もあるし、東京に帰るよ」と伝えた。しかし、「サッカーは沖縄でも見れるでしょ。とにかく物件を見つけてから帰って来てください」と小林社長は言う。しかし二日酔いの頭は冴えないばかりだった。
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かの上江洲店長(左)とK子ちゃん(右・沖縄生んだ平和活動家)
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太田昌秀(元沖縄県知事)と田中優(未来バンク理事長)の熱いトークが続く。太田さんは元鉄血勤皇隊、琉球大学名誉教授。昨夜も朝3時まで泡盛を飲み続けたと語る豪傑だ
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慰霊の日から考える沖縄の未来
夕刻、6時30分より、那覇の桜坂セントラル劇場で行われるイベントの出演者は、すごいメンツだった。太田昌秀(元沖縄県知事)、田中優(未来バンク理事長)のトーク陣と、佐渡山豊、マルチーズロックといったミュージシャン。音楽とトークのセッションだ。
歓楽街に立つ、元キャバレーだったライブハウス、桜坂セントラルは満員。Ustream中継用の撮影陣は、やはりNaked Loftのジャムオ、PA陣は元ロフトのスタッフがやっている。これを企画制作したのは何を隠そう、Naked Loft店長の上江洲なのだ。
「すげ〜、これってNaked Loftの沖縄進出そのものじゃないか」と、私は感動してしまった。観客席には、上江洲のご両親はじめ、親戚一同までも動員されていて、さらにステージのトークでは、あの太田元知事が、「東京で頑張っている司会の上江洲君に、『沖縄のために出演してください』と言われれば、嫌だとは言えません」とまで言われれば、上江洲のテンションは上がるに決まっている。実は私は、この企画のことはほとんど知らなかったのだが、なんとも誇らしい気持ちになった。4時間を超えるイベントは、Ustream中継も含めて大成功に終わった。
梅雨が終わったというのに沖縄は曇天の日が続き、気温は30度前後。蒸し暑い。時折、南国特有のスコールが国際通りの歩道を叩くのが気持ちいい。さて、原稿〆切が今日だ。私は今、皆と別れて一人、那覇郊外のファミレスでこの原稿を書いている。明日はなんとしても辺野古の座り込み部隊にエールを送りに行きたいし、沖縄独立も含めて「だいじょぶか〜沖縄!」って、叫びたい気持ちがいっぱいなのだった。
※「今月の米子」はお休みです。今月は雑種猫のマロが家出。いったいどこをほっつき歩いているのやら……
ロフト35年史戦記・21世紀編
最終回
阿佐谷ロフトA誕生(2008年12月)
なんの因果か5年ほど前から、『Rooftop』誌上にライブハウス・ロフトの歴史を書くことになった。私が20代後半に始めたロフトの歴史は、もう38年にもなる。「継続は力なり」とはいうが、これほど長きにわたる年月維持し続けるとやはり、「感無量」といった感傷にも近い感覚に陥る。私も歳をとり、もう還暦も過ぎた。こんな風にロフトの歴史を書き始めたのも、自分自身の60数年の生き様を再確認したかったのかも知れない。
私が初めて持った店舗が、1971年に作った「ジャズ喫茶・烏山ロフト」。たった7坪の、お客が15人も入れば満員になってしまう小さな空間だった。それから四半世紀以上の時間の流れの中で、ロフトは東京に10軒以上の表現空間を作ってきた。ロフトは、日本のロックの創世記から現在まで、ずっとその歴史の中に居続けている。さらにいうと1995年に新宿の片隅で生まれた、(おそらく)世界初のトークライブハウス・ロフトプラスワンが発火点となったトーク文化も、確実にこの日本に定着した。
そして2010年現在、私が作った最新のライブハウス空間が、2007年12月の阿佐谷ロフトAだった。この連載もようやく、そこまでたどりついた。
自分の居場所がどこにもない……
2007年の夏の暑さはとにかく異常だった。私はその暑さと倦怠感に襲われ、相当落ち込んでいた。これは相変わらずの私の習性でもあるのだが、「自分の居場所がどこにもない」という勝手な苛立ちもあったような気がする。新宿百人町のヘッドオフィス、東京に散らばる各店舗、どこに顔を出しても面白くなかった。
あんな産みの苦しみとともに出発させたロフトプラスワンにも、ほとんど足を向けることもなくなっていた。ロフトプラスワンは、1998年6月の歌舞伎町移転直後あたりから、コンスタントに営業利益が出始めた。そうなると私はほとんど用無しになる。後は若い奴らがあれこれ考えてやればいいのだ。そして2004年12月に、新たにNaked Loftをオープンさせたのだが、この店も2年半ほどが経ち、軌道に乗り始めていた。
それらの結果として、誰からも必要とされていない悲しい自分を見てしまっていたのかも知れない。「これも去りゆく老兵の宿命」と、会社を退職することも受け入れるべきか、いや、いっそロフト解散か、などとあれこれ考えるようになっていた。しかし、「ではこれからの老後をどう生きてゆくのか」という命題を前に、しばし考え込んでしまった。夏から秋に向かう中で、私は「孤独願望病」というか、毎日毎日を一人ぽつんと過ごす時間が多くなっていた。旅にも出てみたし、本も音楽もたくさん読んだり聴いたりしたが、心は晴れなかった。
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烏山以来、店を一緒に作ってきた色彩デザイナー・クマさん。阿佐ヶ谷の工事中にガンで亡くなった。合掌
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きっかけは友部正人「一本道」
2007年秋の深夜。私は自室で独り、パソコンのスピーカーから流れる、高田渡や加川良や斉藤哲夫を聞いていた。ふっと私の意識を中央線に向けさせたのは、友部正人の「一本道」だった。とてもシンプルな日本のフォークソングだ。
「ふと後をふり返ると/そこには夕焼けがありました/本当に何年ぶりのこと/そこには夕焼けがありました/あれからどの位たったのか/あれからどの位たったのか/ひとつ足を踏み出すごとに/影は後に伸びていきます……僕は今阿佐ヶ谷の駅に立ち/電車を待っているところ/何もなかった事にしましょうと/今日も日が暮れました/あゝ中央線よ空を飛んで/あの子の胸に突き刺され/どこへ行くのかこの一本道/西も東もわからない/行けども行けども見知らぬ街で/これが東京というものかしら……」
この歌を聴いているうちに、自分の30数年前の過去がキラキラと輝き出した。それはまさしく青春だった。
連合赤軍の浅間山荘事件の翌年の1973年、西荻窪ロフトはオープンした。まだライブハウスという言葉もなかった時代だ。東京には、ほかにロックやフォークを常時聴ける空間は一つもなかった。私はそこでライブをやり始め、友部正人とも出会った。そして次の年、私は荻窪の、まるで土蔵のような薄暗い地下室で本格的ロックのライブハウス・荻窪ロフトをオープンさせた。西荻の店では、防音の関係でロックのライブが出来なかったのだ。
まさに日本のロックやフォーク黎明期だった。当時の私にとって、目の前に次々と現れる日本のロックやフォークは新鮮だったし、「自分(の作った空間)が時代を作っている」という感覚があった。当然、ライブの売上だけで利益が出ることはなかった。まだ『ぴあ』などの情報誌すらなかった時代。それらは中央線から花開いていったのだ。その本当に楽しく充実していた青春時代の輝きを、もう一度取り戻したいと思った。
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阿佐ヶ谷ロフトA工事中の風景。このがらんどうの状態から空間づくりが始まるのだ
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数多くのミュージシャンが中央線に棲息していた
あの時代、東京では高円寺・吉祥寺・国分寺の「三寺文化」に勢いがあって、それに触発されるように、中央線各エリアには多くの若者や表現者達が集まり、あらゆる文化の震源地となっていた。活発で刺激的な文化が中央線から発信されていた時代だった。
「……しかし、中央線のオレンジ色にはとてつもない負のパワーが至る所にあり……ヒッピーや貧乏文士の町であり……東横線の様におしゃれでなく、小田急線の様に女子大生が多いわけでもない。西武池袋線みたいに東スポ的でなく、中央線のキーワードは損得ではなくなにかにこだわること……シンボルは古本と猫」(三善里沙子『中央線の呪い』ニ玄社/94年/※扶桑社文庫版/99年)
そう、中央線は貧乏文士と猫の町といわれている。西荻窪なんか、朝から酒を飲んでぶらぶらしていても、そういう連中がたくさん棲息しているから目立たないし、住民から何も変な目で見られない(笑)。高円寺には“無頼の徒”の若者が駅前を闊歩している。中野はいつの間にか「オタク」な町になって、丸井が逃げ出した。
中央線文化が盛んだった70年代〜80年代初期にも、数多くの文士やミュージシャン、芸人、漫画家がこの沿線に棲息していた。フリージャズの大御所・山下洋輔さんや矢野顕子さんは荻窪に住んでいたし、はっぴいえんどの面々は中央線に乗り入れている青梅線の福生に住みついた。中川五郎、高田渡、友部正人、シバ、南正人、三上寛なんかの中央線フォークの連中は、吉祥寺の「ぐぁらん堂」にたむろしたり、小さいけれどヒッピー文化の流れをくんだ自給自足コミュニティを作ったりしていた。『名前のない新聞』なんて吉祥寺発のロック系ミニコミもあって、それが若者文化を代表していた。
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阿佐ヶ谷ロフトA自慢のバースペース。このなんとも古びた妖しい雰囲気がいいのだ
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阿佐ヶ谷という中央線的な街へロフトが戻ってきた
私の全意識は中央線に集中していた。「今、中央線が面白い!」と、私はあらゆる機会に叫び始めた。中央線沿線のどこかに「ロフト」をもう一度作りたい、と痛切に思った。
何日もかけて、国分寺から新宿までの中央線各駅に降り立ち、マーケティングを始めた。憧れの吉祥寺に店を出したかったが、私が見るところ、もう吉祥寺は相当に近代化され昭和のイメージがなかった。そんな中で阿佐ヶ谷駅周辺はレトロで、私が楽しかった昭和の時代の色彩を残していてくれた。快速電車も停まらないマイナーな駅だが……。しかし私は、ここに何でもありのトーク空間を作ろう、と決めた。
中央線のあらゆる雑多な文化や運動者を主体として、オタクやニートやエロやお笑いや文化人や左翼や右翼や音楽が、有形無形で有機的につながれば、きっと新しい何かが生まれる、と思った。今回は思いっきり中央線にこだわって、そこに外からの血を混ぜようと思った。一体どんな色になるのか? えらそうに言えば、テーマは「土着化」であった。
2007年10月、阿佐ヶ谷駅近くに物件が見つかった。駅から3分、パール商店街のアーケードの中。すぐに契約を済ませ、内装工事が始まった。その年の12月には店をオープンさせたかったのだ。店長は当時、Naked Loft店長だったテツオに決まった。
そしてこの店も、オープンから早くも2年半が経とうとしている。まだまだ順風満帆とは行かないが、それなりに軌道に乗りつつある。地元商店街とコラボレーションしたり、ねじめ正一さんのような、まさに中央線的な人が出演したりと、徐々に土着化に近づきつつあると行っていい。
しかし、私は昨年あたりから、阿佐ヶ谷ロフトAと距離を置き始めつつあった。また、例の習性が頭をもたげ始めてきたのだ……。
この38年にもわたるロフトの歴史の中では、途中、私が世界放浪旅とドミニカ移住のため、日本にいない時期があった。80年代、ちょうど日本はバブル景気、バンドブーム。ロフトが最も「ロックの聖地」的に憧れの目で見られていた時代だ。そのころのことを、ほとんど書き切れていないのがちょっと残念ではある。ということは、この連載は、基本的にはロフトの歴史というよりも、私自身の私史に近いものなのかも知れない。
1990年、新宿LOFT立ち退き騒動の際、私は再び日本に戻ってきた。45歳から、小林茂明現社長とともに、ロフトの第二期が始まった。1991年に下北沢SHELTER、95年にロフトプラスワン、2004年Naked Loft、そして阿佐谷ロフトAと、新店舗をオープンした。1997年に作ったレコード店、タイガーホールを皮切りに、インディーズレーベル、スタジオ、ロフトブックス、ロフトシネマ、『Rooftop』の増ページ&カラー化など、数々の拡大再生産にも取り組んできた。成功も失敗も含め、いろいろあった。それらはいずれもどこかで、日本の音楽やサブカル文化に多少は影響を与え続けてきたのではないか、と自負している。
本当に長い間、この連載を読んでいただいた読者の方々、ありがとうございました。ともかく感謝感謝です。今回をもって、「ロフト35年史戦記」は「完」とします。
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完成直後のライブスペース。ステージ壁画は漫画家の山田玲司さんにお願いした
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──そして、これからどこへ……
私は今、長年差別され続けて来た島、沖縄にとても注目している。民主党政権での米軍基地問題は、沖縄人民の怒りを最大限誘発してしまった。
那覇に居所を構えている元『噂の眞相』編集長・岡留安則さんの、「今、沖縄が熱い。ロフトよ、トークライブハウスを那覇に作れ」というメッセージもあり、私は那覇に「ライブハウス」と「バックパッカー宿」を作ろうと思いたった。ここしばらく、その計画に没頭している。那覇から、沖縄文化やさまざまなサブカルチャーを、ネットも通じて世界中に発信するつもりなのだ。
もちろんそこには、私の趣味的な部分も相当ある。南国・沖縄の時間はそれはゆっくり流れる。その美しい海と沖縄人の情に触れながら老後を過ごしたいというのが、私の一つの夢でもあるのだ。
最近思うことなのだが、夢の実現とは、まず最初に、「とにかく動いてみること」なのだ、と思う。夢自体は遙か彼方でぼんやりしていても、「希望」がある限り前進できるものだ。どんな状況でも、どんなに年を取っていても、夢があれば希望ある人生を送れる。
今、私の意識は「沖縄」に集中している。さらにいえば、私の最後の最後の夢は、世界中にトークライブハウスを波及させること。そんなことが実現可能かどうかはどうにも解らないが、先ずはディベート好きのアメリカあたりに、拠点を構えられたらいいな、と思っているのだが……。さて、どうなることやら……。
阿佐ヶ谷ロフトA2007年12月スケジュール
1(土)「〜Asagaya / Loft A OPENING BANQUET〜」
KEITH(Groovin'/ex.ARB)、仲野 茂(ANARCHY / SDR)、池畑潤二(ROCK'N'ROLL
GYPSIES/ex.THE ROOSTERS)、下山 淳(ROCK'N'ROLL GYPSIES/ex.THE
ROOSTERZ)、JOE(G.D.FLICKERS)、平野 悠(ロフト席亭)、椎名宗之(Rooftop編集長)
2(日)「新耳袋×とうもろこしの会 〜中央線怪談〜」
木原浩勝(怪異蒐集家・作家)、とうもろこしの会<吉田悠軌(会長)・今仁英輔(副会長)>
3(月)「変態性欲ナイト Anarchy in Asagaya」
週刊大衆、アサヒ芸能、紙の爆弾、サイゾー、BUBUKA等の各誌編集長、編集者多数、高須基仁(モッツ出版代表)
4(火)「オタクアミーゴス 〜WORLD END〜」
オタクアミーゴス<唐沢俊一・岡田斗司夫・眠田直>
5(水)「プレカリアートよ、越冬するぞ!〜生きづらさをどのように生きのびるか〜」
雨宮処凛(作家)、萱野稔人(哲学者)、湯浅誠(もやい事務局長)、ウイスチワオ(エム・クルーユニオン書記次長)
6(木)「オリーブの木の下で 〜森達也とパンタが歌い語り尽くす一夜〜」
森達也(作家)、“PANTAS〜響”菊池琢己&パンタ
7(金)「安倍晋三が去った後の世界はどう動くか」
宮崎学(作家)、栗本慎一郎(元衆議院議員)、三上治(評論家)他
8(土)「失敗なければ成功なし〜ロケット一代男が思ったこと」
林紀幸(元ロケット班長)、松浦晋也(ノンフィクション・ライター)
8(土)深夜「トーク the 登風」in 阿佐ヶ谷
はりけ〜んず前田、ほか
9(日)「韓国まんがまつりVSシネマ秘宝館」
平木直利(韓国まんがまつり)、かに三匹(韓国まんがまつり)、斉藤浩一(シネマ秘宝館館長)、林久子(シネマ秘宝館美人広報部長)他スペシャルゲスト!?
10(月)「頑張れ! 週刊誌」「雑誌ダカーポとその時代」
山口一臣(『週刊朝日』編集長)、近藤大介(『週刊現代』副編集長)、北村
肇(『週刊金曜日』編集長)、元木昌彦(オーマイニュース編集長/元『週刊現代』編集長)、『週刊文春』(交渉中)、『ダカーポ』編集長・編集者・関係者、斎藤貴男(ジャーナリスト)、篠田博之(『創』編集長)、吉田司(ノンフィクション作家)、吉岡
忍(作家)、野中章弘(ジャーナリスト)、古木杜恵(フリーランスライター)
11(火)「勝負、勝負」
下平憲治(日本バックギャモン協会代表)、先崎学(日本将棋連盟棋士八段)、弦巻勝(写真家)
12(水)「サンタ服を着た女の子〜死闘編〜」
中村うさぎ(作家)、藤本由香里(漫画評論家)、切通理作&ガーリーサンタ(高橋紗貴子、佐伯ツカサ、藍川じゅんなど)
13(木)「Nishiogi / Type D」vs「Asagaya / Loft A」
「ボウネンカイ・オア・ダイ 〜2007年総括&2008年ワンマンシリーズ壮行会〜」
怒髪天<増子直純・上原子友康・清水泰而・坂詰克彦>
14(金)「特歌祭〜New Generation〜」
岩崎貴文、サイキックラバー、谷本貴義、鈴木美潮(読売新聞記者)
15(土)「24時間耐久アニソン1000曲メドレー2007〜発動編〜」
キムラケイサク(映像作家)、ひのき一志(漫画家)、MIQ<三玖>(歌手・代表曲「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」OPなど)他豪華ゲストあり!!
16(日)「オールザッツバカ映像年末特大スペシャル」
DJ急行、セラチェン春山、バカ映像伍虎将軍、爆笑激ヤバゲスト達あり!
17(月)「馬鹿対幻」
みうらじゅん(ガロ)、幻の名盤解放同盟<湯浅学・船橋英雄&根本敬(ガロ)>
18(火)「政治の力学〜日本はどこへ向かうのか〜」
二木啓孝(ジャーナリスト/元日刊ゲンダイ編集部長)、鈴木邦男(一水会顧問)、吉田司(ノンフィクション作家)
19(水)「ゲンスブールTOナイト!(GAINSBOURG TONIGHT)」
サエキけんぞう、緒川たまき、chelucy(まつゆう)、田ノ岡三郎、サエキけんぞう&Club Je t'Aime
20(木)「2nd edition 「教育」 第一夜 メディアと市民」
川田龍平(参議院議員)、松浦大悟(参議院議員)、保坂展人(衆議院議員)、佐藤太郎(早稲田大学)
21(金)「NPB非公認! プロ野球ナイト24 〜朝までトークライブ&忘年会スペシャル〜 」
ふくやん(いちごびびえす)、ひげいとう(ひげひげ団団長)、360°モンキーズ、古賀シュウ、BBゴロー、ナイツ、きっしい(岸本好弘:ファミスタの父)、木村公一
、さくまあきら、米川伸生、佐野正幸、芦川誠、他、豪華ゲスト多数!!
22(土)「映画『素人の乱』ドイツ上映ツアー珍道中報告会!」
中村友紀(映画『素人の乱』監督)、松本哉(<素人の乱>5号店店主)、成田圭祐(イレギュラー・リズム・アサイラム)
23(日)「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れますか?」
枡野浩一(歌人)、吉田豪(プロ書評家&プロインタビュアー)他
24(月)「ムーンストーンのクリスマス・イヴ」
・西口綾子「風音」ライヴ&「マラニカ・スピンアウト」上映
・「グッバイ2007!年忘れ過激バトルトーク」
石井一昌(元護國團団長)、黄金咲ちひろ(女優/開運系マルチタレント)、草加大介(「口説きの鉄則」著者)
・加藤健二郎コンサート「聖夜のバグパイプ演奏会」
・芸能事務所ムーンストーン 朝まで大忘年会 !!
増田俊樹(「トウキョウ・守護天使」監督)、神楽坂
恵(女優)、西島未智(女優/ダンサー)、昼間たかし(「東京都足立区」編著者)【ビデオ出演】高須基仁(モッツ出版代表)、塩見孝也(元赤軍派議長)
25(火)「末井昭 責任編集 〜愛のドロドロ金のボロボロ〜」
末井昭、西原理恵子、ペーソス<島本慶・岩田次男・スマイリー井原>
26(水)「WAHAHA本舗 大忘年会」
勝栄、大久保ノブオ(ポカスカジャン)、3ガガヘッズ(トニー・淳 / 正源敬三 /
パーマーイ雅晴)、矢原加奈子(セクシー寄席)、兵頭有紀(セクシー寄席)&仕事が入ってないワハハの人々+営業終わり次第駆けつける人々
27(木)「国会・革命・死刑」超豪華出演陣で送る言論の格闘技!
・マスコミが報じない裁判の現場 映像で見る光母子殺害裁判報道
綿井健陽(ジャーナリスト)
・お笑い芸人が見た裁判所
阿曽山大噴火(大川興業)
・連赤事件とマンガ「レッド」
山本直樹(漫画家)、塩見孝也(元赤軍派議長)、鈴木邦男(一水会顧問)
・国家と死刑
佐藤優(起訴休職外務事務官・作家)、森達也(作家・監督)、鈴木邦男(一水会顧問) 【総合司会】篠田博之(「創」編集長)
28(金)「エンケン 対 中央線」
遠藤賢司
29(土)「阿佐ヶ谷ユンタ 〜沖縄大忘年会〜」
寿、Shy、岡部達也、渡辺良授、亀〜akupara〜、イチャリバーズ(特殊編成バージョン)、アツオニア・ウエチーノ(至高のエンターティナー)
DJ:岡本ホーテン MC:あきらにーにー&ルンルン金城
30(日)「阿佐ヶ谷ロフトA 大忘年会だよ、全員集合!!」
平野 悠(阿佐ヶ谷居候)、奥野テツオ(店長)、佐々木理恵(副店長)、天野宇空(遊撃隊長)【ゲスト】佐藤ドミンゴ、マドマーゼル修子、東郷淳、BBゴロー、逆切れガンジー、DJ急行、セラチェン春山
31(月)
お休み
『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/
ロフト席亭 平野 悠
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