「正と邪」や「善と悪」などの二元論ばかりが、少しずつ加速しながら世のマジョリティとなりつつある。僕らはオウムの事件からまだ何も獲得していない。「他者への憎悪」が剥き出しになっただけだ。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
話題の映画『A2』がいよいよ3月に公開される。前作『A』で、オウムの内部にカメラを潜り込ませ、そこから社会を映すことで日本人のメンタリティを鋭くえぐりとった森監督は新作『A2』では何を映しているのだろうか? 議論沸騰すること必至の問題作について森達也監督とプロデューサーの安岡卓治氏にお話を伺った。 (Interview:加藤梅造)
メディアは民意をそのまま反映するもの
──森さんが『A2』を作っている課程で起こった一番大きな出来事として9.11のテロと報復戦争がありましたが、その後の社会の状況は『A2』を作る前よりさらにひどくなってますよね。
森 僕は海外の映画祭で『A』を上映するたびに、結構落ち込んでたんです。つまりなんか日本の恥を世界にさらして歩いてるみたいなうしろめたさがあった。もちろんメディアの問題としての普遍性はあると思いながら、どっかで日本に特徴的な現象なんだと思っていたし、アメリカなんかはもっと自由で「個」が強い国だからそんなに簡単に組織の呪縛に陥らないだろうとなんとなく思ってましたから。その思い込みが、今回のテロと報復戦争で、全部ふっとんだ感じですね。
──アメリカのメディアがこれほど報復戦争支持の方向に流れるとは予想してなかったですか?
森 ただ、実際に僕もアメリカに行って取材したわけじゃないし、違った意見を言ってる人もたくさんいるらいしいんだけど、少なくとも従来のアメリカの報道姿勢とは明らかに変わってきましたよね。
──メディアに対して、何らかの圧力みたいなものが働いてるんでしょうか?
森 マスコミっていうのはもちろん大きな力を持っているんですが、それほど誇大に考えるほどではないと思います。やっぱりどっか、一般
市民の中にルサンチマン的な攻撃性があったんじゃないかな。全部投影でしかないですからね。メディアも政治も。
──『A』の重要なテーマとして、オウム報道は日本人のメンタリティを投影しているっていうのがあったんですが、その構造はアメリカの戦争報道にもあてはまるってことでしょうか?
森 そう思いますね。
──森さんが『A2』を撮るきっかけとなった理由として、オウム事件以降、日本全体が「善と悪」の二元論になってしまったことに危機感を感じたからと仰ってましたが、アメリカのああいった状況を見ると、日本はもっとこの傾向に拍車がかかるような気がしてきますね。
森 現実にそうなっているし、これからもっとそうなるでしょう。
──「善か悪か」という二分法で言えば、『A』に対する批判としてもっとも多いのは相変わらず「これはオウムを擁護した映画だ」っていうものですよね。
森 この前もあるテレビで取材をされたんですけど、その時も僕を使うかどうかで相当揉めたみたいですよ。
──あんなオウムを擁護するやつを出すなってことですか?
森 そうそう(笑)まさしくそう言ったらしい。
──森さんが有名になればなるほど、そういったレッテルが貼られていくんじゃないですか。
安岡 それでも、最近は少しずつそうじゃないってことが理解されつつあって、この前の試写
会にも某国民放送のプロデューサーが来てくれて、「いやあ、よかった」って言ってくれたんです。でも、『A2』をテレビで紹介してくれないかと相談すると、それは難しいって言われてしまう(笑)。よかったならよかったってそのまま伝えればいいのにと思うんだけど。でも、そういうケースは今までもいっぱいあるんですよ。
──テレビっていうメディアは、いいか悪いかでなくその中間の微妙な部分は伝えずらいものなんですかねえ。
安岡 やっぱり民意をそのまま反映するものなんでしょうね。今日も、田中外務大臣が更迭されたってことで小泉人気が急降下したって報道されていたけど、付和雷同・右にならえっていうか、結局あんまり自分で考えている人は少ないんじゃないかな。
矛盾を含めた社会の在り方っていうのを見ていかないと、どんどん殺伐とした社会になっていってしまう
──『A2』にはたくさんの人からコメントが寄せられていますが、中でも田口ランディさんがテロ事件にふれて「『果
たして、私たちはテロリストと友達になれるのか?』これはアメリカの問題ではない。いま、この日本において、オウム事件を経験した私が、目をそらさずに向き合うべき私の問題だ」と書いていたのが非常に印象的だったんです。このコメントは森さんの思いを代弁していると言えるんでしょうか?
森 僕の場合はそんなに大上段に考えているわけではなく、「なれるよ」って思いますね。当たり前じゃんって。
──そういうこと言うと、やっぱり森はオウムの見方だって言われるんですよね。
森 僕はねえ、極論を言えばオウムに対しては差別してもいいと思うんです。やっぱり彼らと僕らでは次元の違うところがあって、どうしても折り合えない部分もありますから。だからオウムは危険だから排除するっていう考えも、それはしょうがないんだと思います。重要なのは、その自覚を僕らが持つことです。僕は千葉の我孫子市に住んでるんですけど、市役所に「我孫子市はオウム信者の住民票は受理しません」って看板が出てたんです。隣の図書館にも「オウムの信者には閲覧させません」って出てる。でもその看板の横に「人権はみんなが持つのも守るもの」とも出てるんです(笑) これはおかしいですよね。百歩譲って、オウムを排除するなら排除するでいいけど、それだったら「人権を守る」という看板もはずすべき。その二つの看板が並んでいることに違和感を感じないことの方がよっぽど恐い。そういうことを『創』に書いたら、本当に人権の看板をはずしやがったけど(笑) もちろん僕もオウムがあんまり人権を縦に主張することに違和感はあります。ただ一番思うのは、例えば住民票の問題一つとってみると、オウム施設の中にはけっこう老人もたくさんいて、深刻な病気になっても医者に行けないんです。だから僕らがもっと想像力を持てば、そこは何とかしてあげようとか思うはずなんだけど、そこまでいかないんですね。
──当初『A2』のサブタイトル候補だった「世界はもっと豊かだし人はもっと優しい」というテーマは果
たして今回伝わると思いますか。
森 多分、少なくとも『A』に比べればストレートに評価されると思いますけどね。『A』の場合はたとえ新聞や雑誌にレビューが載ったとしても、果
たしてこの映画を評価していいものかどうかっていう文脈が多かったですから。褒めるにせよどこかでケチをつけないとまずいって感じでしたね。でも、これってちょうど今、アメリカの空爆に反対する文章を書く時に、どこかに少し「もちろんテロを擁護するわけではないが」っていうフレーズを入れるのと似てますよね。
──そうですよね。文脈を読めば明らかにわかる場合でも、保険として入れちゃうんですよね。ところで、アメリカのような巨大な力に対抗するにはテロもありだって考えもあると思うんですが、森さんはどう思います?
森 僕はそうは思わない。それはやっぱり間違った選択だと思う。 安岡 やられた人のメンタリティとしては、やっぱりやられたらやりかえせと考えちゃうんですけど、それをどこまで止められるかっていうのが一番考えなくちゃいけないことだと思いますね。
森 僕に対するイチャモンで多いのが「もしあなたの家族が地下鉄サリンの被害にあってたら、あなたはこの映画を作れましたか?」っていうのがあるんだけど、そんなの作れるわけないですよね。もちろんこういう映画を作る時は、被害者や遺族の気持ちを最大限に汲み取らなければいけないんですけど、遺族の気持ちとぴったり符号しなければいけないっていうのは、もうファッショだと思うしね。いろんな矛盾が社会にはあるけど、その矛盾を含めた社会の在り方っていうのを見ていかないと、どんどん殺伐とした社会になっていってしまうと思いますね。
──最後に質問ですが、前にインタビューした時に『A2』には入りきらない素材がたくさんあるから『A3』も作りたいって仰ってましたが、もし『A3』を作るとしたらテーマはどんな感じになるんでしょうか。
森 まだ安岡と少し話してる段階に過ぎないですけど、僕の中のオウムってものを、もう少し整理したいと思います。イチャモンも含めて。だから非常に個人的なものになると思うし、もしかしたらオウムが一切登場しないオウムの映画になるかもしれないですね。
■PROFILE 森 達也(もり たつや)
1956年5月広島県呉市生まれ。立教大学法学部入学後の映画監督・黒沢清らをメンバーとする自主映画制作集団「立教SPP」に参加。その後、俳優、不動産、広告会社などの様々な経験を経て、テレビ番組制作会社に入社。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に、40本以上の作品を手がける。『スプーン』など著作も数多く出版している。
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