TEXT:加藤梅造(LOFT PROJECT)
9月11日のニューヨークのテロ事件から、自分自身に腹が立っている。自分は、こんなばかな時代にしてしまった一人だから。ぼくが生きてきた60数年、地球上のどこかでいつも戦争をしている。今年生まれた子供が20歳になった時、今よりいい時代になっているとは思えない。(黒田征太郎) 一方、1977年にARBを結成した石橋凌は、一貫して社会の中の個人というテーマで作品を発表してきたが、個人を最も侵害するものの代表である戦争についても『ウィスキー&ウォッカ』『BAD NEWS』『War Is Over!』など多くの重要な曲が存在する。そんな石橋にとって今の状況は、今まで彼自身が歌ってきた事が現実に目の前で起こっているという感覚ではないのだろうか。 そんな2人が、5月16日に、LIVE PAINTING『忘れてはイケナイ物語りVol.1』というコラボレーションを行う。簡単に言うと、黒田の絵と石橋の歌をライブという場で融合させる試みだ。戦前(Before '45)に生まれた黒田征太郎と戦後(After '45)生まれの石橋凌。世代は違えど、2人には共通 する点が多く見られる。そもそもこの2人はどのように出会ったのだろう。 「黒田さんのことを知ったのは、僕がまだ中学生だった時、11PM(註:深夜のテレビ番組)でコメンテーターをやられていた時です。おもしろい人だなというのと同時に、自分の周りにいる大人とちょっと違う人だなと思いました。すごく本音で暴れてるという印象で。実際に初めてお会いしたのは黒田さんが司会をやっていた大阪の番組に、ARBが出た時です。その時は確か『ウィスキー&ウォッカ』を歌ったんじゃないかな。」 「NHKのBSで『戦争童話集』が始まったのを観た時、とても感動したんです。いわゆる他のテレビ番組とは異質で、けれんみがなく、うまく言葉で言えないんだけど、自分が伝えたいことが番組の中にあった。それを観て、LIVE PAINTINGをやりたいという気持ちがもっと強くなりました。僕ら自身も、戦争の歌やワークソングを歌っていたので、黒田さんとがっぷり組んでやれたらいいなと」 2人のLIVE PAINTINGが初めて実現したのは1999年10月、様々なジャンルのアーティストが集まって行われたイベント『千年紀(ミレニアム)を越えて』であった。2000年4月には『松田優作展』で再び共演を果 たし、今回は3回目のLIVE PAINTINGとなる。 今回のLIVE PAINTINGで最も興味深いのは、これまでずっと「戦争」というテーマを重要な表現活動の一つとして行ってきた2人が、昨年の9.11後はじめて共演することだろう。石橋はあのWTC以降、どんなことを考えたのだろうか。
「日本についていうと、音楽とか映画とか文学、アートに関わる人達がもう少し普通 の生活レベルで語りあったり投げかける動きがあったら、ここまでひどくなってなかったと思う。僕らが歌ってたのは、右に行けとか左に行けっていうのではなくて、ある状況があって俺はこう思うけど、君はどう思う?っていう投げかけをやってきたんだけど、それさえも伝わらない。精神的なものよりも、物質性──いかに物を売るかとかいかに商売するかっていうのが先行しちゃったでしょ? 社会でも学校でも自分の意見を持つこと自体がタブーになってしまった。」 「だからこそ、時間や空間を共有できる音楽とか映画とか絵でそういうものをテーゼしていくしかなかったと思うんだけど、それをやらなかったよね。なにも難しいことじゃなくて、例えば人を殺すことがいいのか悪いのか? 戦争はいいのか悪いのか?っていう、基本的な問いを発していくことが大事なんじゃないかな。」 「あんまりカチっとした演出はしたくなくて、お客さんが絵を描いてくれてもいいって言ってるんですよ。なるべく自由なイベントにしたい。」 そして今回はタイトルが『忘れてはイケナイ物語Vol.1』となっているが、ここにはどういう意味が込められているのだろうか? 「テロが直接のきっかけではないけど、ただ、『忘れてはイケナイ物語』っていうタイトル、やっぱりこのワンフレーズに自分自身も惹かれてる。『忘れてはイケナイ物語』っていっぱいあると思うんです。テロだってみんなもう忘れてるし、何年か前の神戸の酒鬼薔薇事件だって忘れられてる。でもこれは全員が背負わなくてはいけないことだと思うのね。他にもそういう物語はたくさんある。」 黒田が「戦後なんてない」と言う一方で、日本人はあの悲惨な戦争体験さえ忘却しようとしている。そして、これは非常に意味のある偶然だと思うのだが、このLIVE PAINTINGが行われる5月16日は、折しも国会で有事法制が議論されている真っ最中であるのだ。 「みんなが知らないうちにどさくさにまぎれて決まっていくのが一番怖い。黒田さんはテロが起こった後絶望して、絵も含めてすべて辞めようかと思ったって言ってた。でもある瞬間から、違うんだと思ってまた描き始めた。俺たちみたいな表現してる者って、もっと公の場で娯楽として問いかけていく、そして自分自身も考えていくってことが一番大切なことだと思う」 自分自身で考えろ!──このメッセージこそが私達がロックから教わった最も大切なことだ。だからこそ、日本のターニングポイントともいえるこの時期、ロックの果 たすべき役割はもっと大きいのではないだろうか。 「80年代にARBを聴いて育った人達、今その人達が例えばプロデューサーとかディレクターになっていて、再開の時にバックアップしてくれたのがとても嬉しかった。でもやっぱりARBがマイノリティなのは変わらないわけ。僕は7年間音楽から離れてたけど、その間、音楽だけは他のものみたいに商業主義にならないで欲しいと思ってたんだけれど、やっぱりそうなっちゃったよね。それは本当にがっかりしたというか、音楽までもこうなってしまったかと。質よりも量
。前以上に社会的なことを歌ってはいけない状況になっていた。 (文中敬称略) (註1)戦争童話集──1971年、万博景気に沸き高度成長真っ最中で、「戦争」を遠い過去の記憶にしようとしていた日本に警告をするかのように、野坂昭如氏が『婦人公論』で「戦争童話集」の連載を始めた。「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」、「凧になったお母さん」、「年老いた雌狼と女の子の話」など誰もが耳にしたことのある有名な話が多数存在する。ニューヨークで「戦争童話集」を何度も読み返した黒田征太郎氏は映像化プロジェクトを開始し、5年の月日をかけて映像化されビデオとしても発売された。2001年には、30年ぶりの新作「野坂昭如 戦争童話集 沖縄編 ウミガメと少年」(講談社)も発売された。それが基になり、原作:野坂昭如、絵:黒田征太郎、音楽:喜納昌吉による「忘れてはイケナイ物語り オキナワ」も生まれた。 |
2002.
5. 16[THU] at ON AIR EAST LIVE PAINTING 「忘れてはイケナイ物語りVol.1」 絵:黒田征太郎 音楽:石橋凌、KYON、池畑潤二、内藤幸也 18:00open/19:00start 5800yen tax in/without drink |