お前はお前のロックンロールをやれ!
──今年(2002年)の始め、ロフトプラスワンで江戸アケミ十二回忌トークイベントをやった時、OTOさんがアケミさんの言葉をスクリーンに映してたじゃないですか。あの時は、ちょうど9.11テロの直後ってこともあって、アケミさんの言葉が以前にもまして刺激的に響いたんです。
OTO そうなんだよ。昔よりも全然リアル度があがってるんだよ。
──僕は生のアケミさんを観たことがなくて、ビデオや詩集などから彼の発言を知ったわけなんですが、ものすごいリアリティがあるんです。そこで今日は、そうしたアケミさんの言葉を基に、いろいろお話をお伺いしたいと思います。
まず、アケミさんが客にアジテーションするときによく言っていた「お前はお前のロックンロールをやれ!」なんですが、これってすごいキーワードだと思うんです。
OTO 当時、ライブを観に来た客に向かって、アケミが「お前はお前のロックンロールをやれ!」って言っても、「そんなことわかってるよ」とか「お前にいちいち言われたくない」っていう反応もあったんだよ。説教はやめてくれ、みたいな。でも今にして思うと、やっぱりそれほど伝わってなかったんじゃないかなと思う。バンドのメンバーもお客も世の中も、まだ未熟だったような気がするんだよね。少なくとも僕個人は全然わかってなかったというしかない。もちろん、表面
的な解釈として「自分のオリジナルを大切にしろ」だとか「なんで自分は生まれてきたかを考えろ」ぐらいのことはわかるよ。でも、アケミはもっと先の段階のことを言ってて、今の地球が全体的に爆発しそうな危機感がある中で、自分自身の事をやる時の対象に「対地球」があるかどうかの違いがあると思うんだよ。だって、そこに対地球がなければ、ただ好き勝手にやれというだけのことで、そんなもん電車の中でウンコしてる奴が「これが俺のロックンロールだ!」って言うのがまかり通
るって事じゃない? でもそれって対地球として考えたら、本当に気持ちいいの?ってことになっちゃうじゃん。とりわけ、アケミの言葉が12年を経て、あまりにリアルに立ち現れてしまったというのは、地球も社会も今、暴発寸前になってるってことだと思う。まあ、俺も今になってようやくわかったんだけど。
大平 でもさ、アケミはその言葉を自分自身に対しても言ってたんだよ。「俺は毎日ロックしてるのか?」って。それは、自分の真実の姿を謙虚にさらけ出して位
置付ける行為だったと思う。
OTO 危機感の感じ方って年齢には関係ないと思うの。大人だから危機感が強いとか世の中を知っているんではなく、子供でも感じる奴は感じるし、宇宙の時間からみたら、人間が50年たって悟ったなんて話ではないと思う。だから謙虚の前提には危機感っていうのがあって、それがないと本当に謙虚にはなれないと思うんだよね。俺、この前初めて「北の国から 遺言」を観たんだけどさあ・・・・(この後しばらく「北の国から」の話が続く)
大平 わかったわかった。つまりOTOが言いたいのはさ、生物っていうのは、自然に対する自分たちの存在は謙虚でしかいられないってことなんだろ? 謙虚でいることが一番自然な状態なわけ。アケちゃんがよく「自然に対する畏敬の念を忘れちゃダメなんだ」って言ってたけど、彼はいつも謙虚だった。だけど、自然がどんどん歪んでいく中で、謙虚である自分の痛みが出てきてしまう。それがOTOの言う危機感だったんじゃないかな。
OTO 83年にアケミがテンパッた時(註1)、太陽の下じゃないと喋らなくなってしまって、ビルの中だと筆談しかしないんだよ。プロレスラーみたいな身体だったのがエゴン・シーレの絵みたいに痩せ細ってしまって、そのうち「邪悪だ」ってことで服も着なくなっちゃったの。それでこれはいよいよヤバイって思って精神病院にも連れてくんだけど、部屋の中だと喋らないから屋上に行ったのね。そうすると何事もなかったように普通
に喋りだすんだよ。それで、当時住んでた参宮橋のビルの屋上からは神宮の森が見えるんだけど、その時アケミが「おまえ、あっち観てみ。神宮の森があるのに、その前にあんなにガンガン、ビル建ててさあ。神宮の森が泣いてるじゃん。わかる?」って言うの。もちろん、人間が森を切り裂いてビルを建てる事がよくないってのはなんとなくわかるんだけど、その時、森が泣いてるって感じるかどうか、その切実さっていうのは、単に頭で理解するレベルとは違うと思うんだよ。森が泣いてるという痛みを、自分が愛する人が苦しんでいる時に感じる痛みと同じように感じるっていうのはさ。」
地球はどうしてできたのか、誰が作ったのかと考えて、地球がクソなのかと思ってクソを喰ったりしたんだよ。
──OTOさんが加入する前のごく初期のじゃがたらって、エログロなイメージが強かったじゃないですか(註2)。その路線は話題性としては成功しましたが、当時のスターリンと同じく、スキャンダラスなイメージが先行して随分誤解を受けたわけですよね。
OTO もちろん本人が本当にエログロが好きなわけじゃなくて、そこにはある種の大衆批判みたいなメッセージがあったんじゃないかな。つまり、大衆がどれぐらい汚れているかを見せてやるみたいな、「ほら、オマエたちの趣味はこういうんだろ?」っていう。まあ、アケミがそこまで考えてやってたかどうかわからないけど(笑) パンクとかをまじめに批評したりする事に対して「うるせー」っていう気持ちがあっただけかもしれないし。
──僕は後にアケミさんの「地球がクソなのかと思ってクソを喰った」って発言を読んで、こういう考えから初期のエログロ路線は生まれたのかなとも思ったんですが。
大平 それはあるかもしれないね。
OTO 僕自身はウンコについて掘り下げたことはないんだけど、アケミは小さい頃、バキュームカーの運転手になりたかったって。あと、お父さんが酔っぱらって便器に散らかしたウンコを掃除するのが好きだったとも言ってたな。だから、地球という規模でウンコを考えたら、ウンコはちゃんと養分として循環するものなのに、化学肥料とかが主流になるにつれ、いつの間にか忌み嫌われるものとして排除されてしまった。そういった人間の都合で排除していく事に対して憤りを感じていたのかもしれないね。
──「野生の勘というよりは、百姓の勘といってほしい」とも言ってましたが、百姓にもこだわってましたよね。
OTO 『南蛮渡来』の頃は「土臭い」っていうキーワードがあって、それはアメリカ流に言えば「ダウン・トゥ・アース」ってことになるんだろうけど、そんなシャレた言い方はしてなかった。例えば同じようなフレーズでも「うーん、今のは土臭さが足りねえなあ」とか「お、今のはちょっと土臭かったね!」とか、何の宗教のワークショップだって感じだったよ(笑) だってさあ、「土臭い手拍子打ってくれ」とか言われても困っちゃうよね(笑)
南 そういえば、私、ハンバーグですごい怒られた。
OTO 何それ?
南 “食いかけのハンバーグ”(『TANGO』の一節)で、“ハンバーグ”の言い方が違うらしくて。「そのハンバーグじゃねえんだよ」って(笑)
OTO 芝居の演出でもうっとおしいぐらいの細かい指示だ。
大平 近田(春夫)さんもゲストでコーラスやってくれた時にはかなり困ってたよね。
OTO いい迷惑だよね。せっかくゲストで来てくれたのに、「違うんだよ。そうじゃねえんだよ。」ってさあ。それでも近田さんは一所懸命やってくれたんだけど、アケミがひどいのは、やるだけやらせた後「まあ、いいや。後は俺がなんとかしとくから」って(笑)。それでも、近田さんはそういうアケミを許すんだよ。
大平 まあ、それはOTOがアケミをわかってやってるから、近田さんもOKなんだよ。
OTO そこが近田さんの奥深い所でもあるし、そういうこと言うアケミ自体が面
白いってのもあったから、ケンカにはならなかったんだよな。
率直に言うとさ、俺、救われたいんだよ。でも宗教は嫌なんだよ。だから何に救われたいかって言ったら、リズムで救われたいんだよ。
OTO アケミはバンドっていうものをすごい気持ち悪がってた。サラリーマンが○○会社の××だって名刺をきったりすると、「なんだよ、オマエはオマエだろ」って言ったり(笑) それと同様に、じゃがたらなんかどうだっていいんだよってよく言ってた。例えば、延々セッションとかしたりするじゃん。そこで、俺はうまくいかなかったと思っても、アケミは「今日は気持ちよかった」とか言ってるの。気持ちよくなったもん勝ちっていうか、「お前はお前に納得したかどうか」が一番大事だったね。
──じゃがたらは、特にリズム、ビート、うねり、っていうのにこだわってましたね。
OTO 当時、ワンコードで延々演奏するバンドってほとんどなかったから、周りからは何やってるんだって思われてたね。今では、ダンスミュージックやってる人には当たり前になってることだけど。
大平 基本的なベースは、「気持ちいいかどうか」だけだったよね。
OTO そうそう。パーツ、パーツで見ると下手な人も混じってたけど、全体で気持ちよくなるように延々練習してたよね。あと、アケミの場合、インストだけのパートでもやたらと喋りたがるんだよ。うるせえって言うんだけど、なんかやたら混じってくる(笑) でもやっぱり、音を出してる者同士だけでやるんじゃなくて、センターにスピリット・プロバイダーが必要だったと思う。例えば、マイルス・デイビスのバンドって、それぞれのプレイヤーがソロでやったものより格段にいいものになるんだけど、それはマイルスの技術が凄かったというよりも、彼の思想そのものがでっかかったってことだと思う。
──じゃあ、テクニックがない人を辞めさせるという発想もなかった?
OTO それはないな。ストーンズ方式っていうか(笑) 人ありきだよね。20秒かけてできなかったら1時間かけるし、10時間かけて練習する。そうすると同じ下手でも、20秒と10時間では格段に中身が違ってくる。それは1つのフレーズに10時間生きちゃったわけだからさ。…ということを、もうちょっと早く解ればよかったんだよね、俺(笑)
大平 今の発言重要だよ(笑)
OTO 今だから言えるんだけど、10年前は言えなかったからさ。今更、何えらそうなこと言ってるんだ、俺はよー!(笑)
──南さんは、じゃがたらに途中から加入したわけですが、入ってみてどうでした?
南 私だけ音楽やってて入った人ではないから、正直言って今だにあの時代のことはよくわかってないのかもしれない。だけど、「お前はお前のロックンロールをやれ!」っていうのと同じように、アケミから「お前はお前の踊りを踊ってない!」って言われて、かなりバトルになりましたね(笑)
OTO だって南は、当時既にサザン(オールスターズ)とかの振り付けしてたのにねえ。
南 「お前の踊りはニセモノだ」とか「営業踊りだ」とか言われて。でも、その頃は意味がよくわかんなかった。だけど、そこは百姓の勘じゃないけど野生の勘で「このクソジジイ、絶対お前の踊りだって言わせてやる!」って思ったんです。
OTO KUWATA BANDとかでは多分「南、いいねえ」って言われてたのに、一方、じゃがたらでは・・・
南 「気持ちよくねえんだよ、南が横にいると」とか言われてた(笑) でもね、それが私にとってすごいことだったんです。あれがなかったら今の私はいないって言えるぐらいの出会いだったんです。
──普通だったら辞めますよね。
南 それが勘だったんですけど、「辞めさせないで下さい」ってアケミに頼んだの。なんでかわかんないんだけど「ここにいなきゃいけない」って思ったんです。私は、OTO達とアケミのつき合い方とはあまりにも違ったので、逆に今、私が知らなかったアケミの話を聞くのがすげぇ嬉しい。だから、アケミが亡くなってしまったのは、ホント、物足りないの。
OTO リベンジし損なったからね。
南 そうそう、勝手に死ぬなよって(笑) だから私の中ではアケミとの勝負は終わってないんです。たまに「なんか…、今日は南がいると楽しいな」とか言ってたこともあったんだけど(笑)、完全勝利じゃなかったからね。
バカヤロー!カネ儲けたら返せ!カネはみんなに返せ!
──80年代ってバブルの真っ盛りだったわけですが、アケミさんはいち早くそういう状況に対して危機感を感じてましたね。
OTO アケミはとにかく言ってた。86年ぐらいから「こんなこと続く訳ない」って言い続けてた。
──経済的な知識はあったんですか?
OTO 全然そういうのはない。勘だよね。だから、もしアケミが「土臭いビート」とか「百姓の勘」とか言う一方でもうちょっと経済とかの知識があって、そういう世界の人ともチャンネルがあったら、もう少し精神的な逃げ道があったのかなとも思う。
──ふつうは音楽やるのに日本経済の事まで考える必要ないですからね。
OTO 83年にJAGATARAスタジオを作って『日本株式会社』(EP『家族百景』収録)という曲を出した時は、まだ日本株式会社という単語はなくて、フランク・ザッパのように社会を揶揄した面
白いネーミングだなぐらいにしか思ってなかった。でも、音楽業界的にはもっとスマートな言い方が好まれる時代だったから、僕は、タイトルはリフの『ジャパン・フィクサー』の方がいいじゃんって提案したんだけど、アケミは「いや、『ジャパン・フィクサー』じゃ弱いぜ。『日本株式会社』だよ」ってこだわってたの。でも、今にして思うと、僕なんかの方が全然うわついてて、発想も乏しいし何にも想像力に根付いてないよね。って、また俺の懺悔コーナーになっちゃうんだけど(笑)
──ところで、『家族百景』はなんでCDになってないんですか?
OTO いやあ、コンプリートにしてしまったら過去に流してしまうような気がして、オフィシャルな未発表を残そうかなと(笑) 出してもいいんだけど。
──まあ、じゃがたらは解散してないですからね。
OTO 永久保存だからさ。データはちゃんとある(笑)
──解散っていうのは全然考えなかった?
OTO アケミの肉体がなくなった程度のことっていうか。あの時は、なんか知らないけどすごく気が張ってて、その気持ちを表す何かいい言葉がないかなあとずっと考えたんだよ。
──大平さんは「思いが同じなら死んだ人とも仲間なんです」って書いてましたが。(註3)
大平 そりゃそうだよ。だって今、現にアケミの話をしてる人がいるんだから。『つながった世界』(CD『それから』収録)ってあるけどさ、目には見えないだけで、エネルギーはずっと循環してるから。
──僕みたいな、じゃがたらのライブを観たことない人間にとってはとても嬉しいことです。
南 どうする、「じゃがたら残党組」がじゃがたらだと思われたら?
OTO じゃあ、“じゃがたら”を取ってただの「残党組」にしよう(笑)
仲間をつくれ! 仲間をつくるんだ! おまえらはおまえらの仲間をつくれ!
──「仲間をつくれ」ってなかなか気恥ずかしくて言えない言葉ですよね。特にロックの人は。
OTO でも逆に安易なレベルで仲間になってる人が多いような感じもあるけど。だから「仲間をつくれ」の前には、「本当の」って言葉がつくんだと思う。俺、アケミからよく「友達との約束はちゃんと守れ」って言われてたんだけど、当時、事務所のバイトの女の子で遅刻がちな子がいたんですよ。で、アケミは、それを直して欲しいから「まず、俺が朝ちゃんと行くようにやってみせるわ」って、自分が朝早く行くようにしてたんです。
──なんか、アケミさんって…、すごい立派な人だったんですねえ(一同笑)
OTO 自分の気持ちが言葉で伝わらない時は、体で行動して伝えようってことだったと思うんだよね。そういえば、またこれも俺の懺悔コーナーなんだけど、じゃがたらで「8・6のビートをできなければ未来はない」って言って、結果
的にバンドの寿命を縮めるようなことをやったことがあったんだけど、その時、ベースのナベちゃんがなかなかうまくできなかったんです。それで何時間も練習してたんだけど、アケミが俺に当てつけっぽく「OTOはそうやって練習場で一生懸命言ってるかもしれないけど、うまくいかないってことは原因は他にあるんだよ。だから俺は俺のアプローチでやる。答えは一つじゃねえんだ」って言うんだ。それで何したのか聞いたら「まあ、俺は昨日、ナベちゃんちに行ってきたけどね」って(笑)。で、俺が「え、家で練習したの?」って訊いたら、「いや、いろんな話をした」って言うの。この時アケミが俺に言いたかったのは、「フレーズがうまくいかないのは、個人の中にある何かに原因があるのであって技術だけの問題だけじゃないんだ。メンバーと一緒にバンドをやるってのはそういうことだぜ、OTO」ってことだと思うんだよ、たぶん。なんかねえ・・・・・・いい話だろ?(笑) こういう話はいっぱいあるんだよ。身近なピースっちゅうか(笑)
──バンドだから当然いろんな軋轢があるんでしょうけど、じゃがたらには「仲間」っていう意識が常にあったように感じます。
大平 だから解散ってできないんだよ。そういうつき合いだからさ。
──アケミさんの死って、ジョン・レノンの死とダブりますよね。
OTO アケミはジョン・レノン大好きだからね。山ほどアンサーがあるから。そのナベちゃんとの件の時も『With
A Little Help From My Friend』の事をさんざん俺に言ってたもん。「ちょっとの助けがな、友達からあればよぉ」って。おまけに『St.
Pepper's』のCDまでくれたからさ(笑)
やがて現れる荒廃したテクノポリスよ、君はその残骸から赤ん坊をとり出すのさ。
だから今が最高だと転がっていこうぜ
──では、1月31日の「江戸アケミ13回忌 天国でのゴール」について。キーワードが“業をとれ!”なんですが、これは?
OTO それはWTCに2機目がぶつかった瞬間、資本主義は終わったなと直感で思ったんです。あーあ、アケちゃんが言ってたことが本当に起こっちゃったなと。実は、それまで僕は音楽をやっていればいいと思っていて、それ以外の事は、誰か専門の人がやればいいやと思ってたんだけど、もうそれは違うんだよ。そうすると、「お前はお前のロックンロールをやれ」っていう言葉の先に、日本だったり地球っていうのがあるのがわかる。もう専門家が担当するレベルじゃなくて、一人一人が認識してやらないと先には進めない。それが“業をとれ!”なんです。この場合の“業”は、人間の傲り高ぶりという意味ですね。
──今の時代の状況が、当時アケミさんの抱いていた危機感の通りになってきてる。僕みたいな凡人にもようやくその危機感が分かってきて、何とかしなけりゃヤバイよっていう気持ちが多くの人達の中で高まっていると思うんです。だからこそ、今、アケミさんの言葉はすごく重要だと思うし、例えば『つながった世界』の中の「だから今が最高だと転がっていこうぜ」という言葉なんかは、今の僕達を励ますために書かれたんじゃないかとさえ思えるんです。
OTO うん、スゴい世界が描かれてるよね。金平茂紀さん(註4)が、去年、辺見庸さんとアフガンに行った時にまさにそうだったらしくて、「『つながった世界』そのものだった」って。
──今はアフガンという遠い国の事かもしれないけど、数年後には日本で起こってるかもしれないですよね。
OTO それはあるよ。それはすごいある。歴史を見れば一目瞭然だけど、アメリカは、一旦味方につけたものを切り捨てることを繰り返してる国だから、日本は長い間、アメリカの子分でいるけど、こんなのいつひっくり返るかわかんない。今のアメリカのキチガイぶりは、そこまでいってもおかしくないよ。あと、あまり言われてないけど、イギリスのキチガイぶりもすごいからね。
大平 中南米の国が何故できたのかって考えれば、それはヨーロッパのご都合主義できてたわけでしょ。今の覇権国家であるアメリカがやってることもそれと同じだよ。
──音楽っていうのは絶望を歌うこともあるけど、絶望に立ち向かう力もあるわけで、特に、じゃがたらの音楽はそうしたものだと思うんです。
OTO 確かに。じゃがたらは日本の事とか社会の事とかによく対峙していたと、今日改めて思った。
──では、最後に1月31日への意気込みを。
OTO うーん、意気込みですか。じゃあそれは南さんから。
南 え〜、だって私は止まってるから。
OTO 止まってる??
南 私にとって、じゃがたらにいたっていうのは、とてつもない事件だったのね。だから私の中では全くなくなってないし、永久保存してないんです。あの時、アケミに言われた「お前の踊り」を見つけようとして、私はまだ踊ってるんだと思う。
OTO 音楽とアートっていうのは、いろんな事を進めていく時にすごく大切で、その先に人の喜ぶ姿を思うっていうのがすごく大事なことだと思う。僕は、それこそが想像力だと思ってるのね。先月、田舎(富山県魚津市)でイベントをやった時に、僕がスタッフ全員に言ったのは、何かに対して常に自分のプラスワンを見つけて欲しいって言ったんです。イベントは、みんなのプラスワンを集めたくてやってるわけで、それがないと、僕達の嫌いな県や国の政治と同じになってしまうから。
大平 だから、1月31日に来てくれた人がそういうことに気づいてくれて、じゃあ自分のプラスワンはどうしようかと感じてくれることがすごく大切だよね。アケちゃんがよく言ってたけど、「今」っていうのが重要で、「今、何をするのか?」それをイベントで見つけていけるといいね。
(註1)83年11月。ツアー中のアケミの言動に異変があり、その後入院。退院後は四国の田舎に帰る。じゃがたらは活動休止を余儀なくされた。86年に本格的な活動を再開。
(註2)シマヘビやニワトリを食いちぎる。自分の頭をナイフで切りつける。はては放尿、浣腸、と初期のじゃがたらはスキャンダルなイメージが先行した。
(註3)アケミは「お前ら仲間をつくれ」と言ってました。世代を超えて沢山の仲間が増えていくことを祈ります。50年後には何人くらいの仲間ができているかな?そのときにはOtoも私もこの世にはいないけどね。とても楽しみです。ワシントンにいるTBSの金平さんから二十三時的という本を送って頂きました。その巻頭にアケミの言葉が使われています。語り継ぐものは目に見えるものではなく、「思い」ですね。アケミは豪快な面
構えで唄っていましたが、葛藤のかたまりのような人生を過ごしたはずです。そのいくばくかを私たちが理解することができれば、少しは彼の供養になるはずです。なべちゃんや篠田くんにしても同じです。あの世とこの世はつながっています。目に見えるものが消滅したあとには「思い」や「こころ」の世界が従前どおり残っています。だから当時を知らない人でも「思い」が同じなら死んだ人とも仲間なんです。(大平さんの発言より)
(註4)金平茂紀──TBS報道局。元「ニュース23」デスク。近著『二十三時的』(スイッチ・パブリッシング)でもアケミの歌詞(『みちくさ』)を引用している。
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◆参考文献
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それから 江戸アケミ詩集
(思潮社)
\1600+税 |
じゃがたら写真集 1980-1989
撮影:松原研二 (オークラ出版)
\3500+税 |
◆ライブ
LIVE! 2003/1/31(fri)@新宿ロフト
じゃがたら2003“業をとれ!”
http://www.loft-prj.co.jp/jagatara/
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