解散から十数年を経てもなお、多数のリスナーに愛され、ミュージシャン達からもリスペクトされ続けていて、初のオフィシャルトリビュートアルバム「BOOWY
Tribute」「BOOWY Respect」や、最盛期に行われたライブを収録したCD、DVD&VHS「GIG
at BUDOKAN」等、未だに様々なリリースが続いている伝説のバンド・BOOWY。ということで先月号に引き続きBOOWY大特集! 今回は遂にBOOWYのドラマーであり、メンバー中最もロフトに出入りしていた男、そして現在もDAMNDOG、De-LAX等様々なバンドで活躍中の高橋まこと氏が登場! BOOWYのマネージャーを務めていた土屋浩氏も加わり、知られざるBOOWYの秘密が暴かれる!?
(interview : 群馬出身・北村ヂン)
──せっかくルーフトップのインタビューなんで、まず昔のロフトの話をしたいんですけど。その頃のロフトを知る人に話を聞くと必ずといっていい程、まことさんとかキースさん(ARB)の名前が出てくるんですよ。やっぱりBOOWYの中ではまことさんが一番ロフトに入り浸ってたんですか。
高橋 そうだね。日々、酒飲みに通ってたからね。でもあんまり上客じゃないよな、だって金払ってないもん(笑)
──金を払った記憶はないと。
高橋 金払った記憶は…あんまり無いね(笑)。たまに安いブラックニッカのボトルを入れることはあったけど。
土屋 まこっちゃんは、減らない魔法のボトルも持ってたもんね。
高橋 当時の店長が、期限切れのボトルがあると俺のボトルに足しておいてくれるんだよ。だから普通
ボトルって新品でもビンのクビの所くらいまでしか入ってないのに、俺のはパンパンに入ってるから。フタを開けると、おっとこぼれるっていうくらい(笑)。でも、ボトルに高橋まことって書いちゃうと、俺がいない日に「あ、まこっちゃんのボトルあんじゃん」って誰かが飲んじゃうから、名前は書かないようにして棚の一番奥にそっと隠しておいたんだけど。
土屋 まこっちゃんはホントにロフトで生活してたからね。もう、ライフハウスだよね。
高橋 飲んだ後帰るのがめんどくさくなっちゃって、よく泊まってたもんね。
──その頃はどの辺に住んでたんですか。
高橋 当時は鷺宮に住んでたんだけど…。
──新宿から大して遠く無いじゃないですか。
高橋 飲んだ後に歩きたくないし、タクシー代ももったいないじゃん。まあ大体朝まで飲んでたんだけど、そのまま帰るのめんどくさいからって、適当に自分の寝場所作って寝ちゃうんだよ。で、朝になったら店員はちゃんと鍵を閉めて帰らなきゃならないんだけど「いいよ、いいよ、残しといて」って(笑)
──ものすごくセキュリティーが甘い店だったんですね。
高橋 金曜の夜とかに泊まるじゃん。すると土曜には昼の部ってやってたから、昼間になると出演するバンドが来てサウンドチェック始めるんだよ。そうすると「うるさいなー」ってやっと起きるんだけど(笑)
──昼のオーディションを受けに行ったら、いきなりBOOWYのドラマーが寝てたらビックリしたでしょうね。
高橋 当時は誰も知らなかったからね。
■面
白そうな方で
──まことさんがBOOWYに入ったきっかけも、BOOWYの最初のライブをロフトに観に行ったからなんですよね。
高橋 そうだね。一番最初にロフトでやるっていう時に、友達に誘われて行って初めて会って。「ドラムの人が辞めるんだって」っていうんで紹介されたんだけど。
──やっぱりライブを観てピンと来たって感じだったんですか。
高橋 ピンッと来たっていうよりは「何だ? 変なバンド」って感じだったよね。「何で六人もいんの?」って(笑)。だからその時は電話番号だけ交換して、別
に一緒に酒を飲むでもなく、そのまま帰ったんだけど、一ヶ月くらいして氷室から「今リハーサルしてるから来ない?」って呼ばれてスタジオに遊びに行ったら、それがドラムオーディションだったらしいんだけどさ。それで「IMAGE
DOWN」のテープ聴かされて、ざっと覚えてリハーサルしたっていうのが始まりだったんだよね。
──最初はなんとなく誘われて。
高橋 その後、一緒にお茶しながら「実はもうドラムいないんで、できたらドラム叩いて貰えませんかね」って言われて「いいよ」って。そしたら「もう次のロフトのライブが決まってるんで、20曲くらいあるレパートリーを覚えて貰わなきゃならないんで合宿したいんですけど付き合ってもらえますかね」って。それも「いいよ」って答えたんだけど(笑)
──いきなり合宿にまで誘われてすぐオッケーしちゃうなんて、そんなにヒマだったんですか?
高橋 もちろん、マネキン運びのアルバイトとかはしてたけど、別
にそんなの言えば休めるからね。
土屋 全部タイミングだよね。その時、他のバンドしてたらやらなかっただろうし。
高橋 あ、でも考えてみたら一応バンドはやってたんだ。コンテスト出てて、東京大会まで行くことになってたんだけど、俺的にはイマイチだったんで「ゴメン、こっちでやることになっちゃったから」って言って。メンバーはブーブー言ってたけどね(笑)
──まだロフトでしかやってなかったBOOWYより、そっちのバンドの方がコンテストとか出たりしてて、活発に活動してたわけですけど、それでもあえてBOOWYを選んだって言うのはなんだったんですか。
高橋 そっちのバンドのヤツらの事はもう全部知ってたからね。知らないヤツと一緒にやるのって面
白いじゃん、どうなるかわかんないけど。俺はいつでもダメ元だから面白そうな方でやったほうがいいなって思ったんだよ。
──そんな感じでBOOWYに入ったわけですけど、もちろんロフトに入り浸り出したのはBOOWYに入ってからですよね。
高橋 そうだね。それから、月一くらいのペースでずっとロフトでやってたから。まあ、最初の内は全然相手にされてなくて「酒くれ」なんて言っても持ってきてくれなかったけどね。でも、その当時ロフトの店長が長沢ってヤツだったんだけど、俺の高校の時の同級生の弟なんで、ガキの頃から知ってるんだよ。そしたら「お前なんでこんな所にいるんだよ」って話になるじゃん。それからはライブが終わった途端にビールをガッてケースで持ってきて「まこっちゃんお疲れ」ってさ(笑)。…そっから「これはイケる」って思ったよね(笑)
土屋 ケンカは売られるは、地元のアニキの友達はいるわ…。
──イヤなバンドだったでしょうね。
高橋 それからはもう、今の社長を含めて歴代店長はちゃんと丸め込んできたから(笑)。黙っててもライブ終わったら絶対酒が出てきてたからね。
──その頃って、他にはどんな人たちが出入りしていたんですか。
高橋 ハートビーツとか、アナーキーとか、ARBとかだよね。もう毎日毎日出てるのが知り合いのバンドだからね。だからいつも勝手に入っていって「酒ッ」って(笑)
──別にその辺のバンドと、対バンで一緒にやってたって訳じゃないですよね。
高橋 そうそう。その頃は今みたいに対バン四バンドも五バンドもなんてことはなくて、一晩一バンドって感じだったからね。
──ジャンル的にもあんまり似てないじゃないですか。その辺のバンドとの交流って言うのは主に飲みの席で築かれたものなんですか。
高橋 そうだね。お互いに打ち上げに行って色々話したりね。…まあ酒飲んで騒いでるだけなんだけど。
──その後、BOOWYが売れ出して、忙しくなってからもロフトには通ってたんですか。
高橋 そうだね。時間さえあれば結構フラフラと行ってたね。レコードが出たらロフトに持って行って「これかけろ!」とか言ったり(笑)。
──それから、動員がどんどん増えていって、ロフトに入りきれなくなって、ロフト卒業みたいな感じで2DAYSの「全てはけじめをつけてから」をやったということですけど…。
高橋 イヤイヤ、そんな格好いいこと言ってたけど、ただ単にARBに対抗してただけなんだよ。ARBが「歴史を三日で見せてやる」って言ってロフトと野音と渋公でやったんだけど、俺たちは「BOOWYの歴史に三日はいらない」っていうサブタイトルだったから(笑)
──その日はどんなライブだったか覚えてますか。
高橋 結構大変だったよ。二日とも違う曲をやったから。
土屋 服も変えてたしね。
──当時ってそういう風に演出してるバンドって少なかったんじゃないですか。
高橋 かもね。ただライブやってるだけで、トータルイメージで、あれやってこれやってって考えてたバンドはいなかったんじゃないかな。
■貧乏ツアー
──そこからの、どんどん会場が大きくなっていくスピードって早かったと思いますけど。その辺の感覚はどうでした。
高橋 まあ単純に広い所は気持ちいいし、お客さんが沢山入れば楽しいからね。その頃は「O-CONNECTION」も始まってて、
土屋ががんばって仕切ってくれてたから。
土屋 でも俺が仕切って地方とか行くと、ホテルで酒飲んじゃうからね(笑)。飲み過ぎて一銭も金がなくなると、まこっちゃんが靴の底から一万円を出してくるんだよ(笑)
──そんな貧乏ツアーだったんですか!?
土屋 貧乏だったよ!
高橋 今じゃ考えられないよ。六畳間に二段ベッドが二つしかない、本当は四人で泊まる部屋に無理矢理六人泊まって、一人千円だったからね。それが、京都のど真ん中の新京極っていう、修学旅行生が集まるお土産屋さんがバーッって並んでる通
りがあるんだけど、そこからちょっと入った所だからすごく便利な場所なんだよ。朝から銭湯やってるし、メシ食うにしても何にしても。
土屋 どっから見てもガラの悪いヤツとか、ピンクの髪の毛したヤツとか歩いてたから、修学旅行生もビックリしたろうけどね。
高橋 布袋なんか妹の修学旅行先でバッタリ会ったんだよ(笑)。なんで京都で兄妹が会ってるんだよって。
──群馬の学校の修学旅行で(笑)。すごい偶然ですね、そんなに長く京都にいたんですか。
高橋 関西ツアーに行くと、大阪でやっても神戸でやっても全部京都に帰ってくるんだよ。「今なら風呂にまだ間に合うぞ!」なんて言って。
──ああ、そこを拠点にして。
土屋 そうそう。だから、ファンの子が追っかけてくるんで必死でまくんだけど、それはいい気になってまいてるんじゃないんだよね。泊まってるところを見られたくなかったんだよ(笑)
高橋 ホント必死だよね(笑)
──確かに、さっきまで格好よくライブやってたのに、そんな宿に戻っていくのを見られたらイメージダウン(「MORAL」)ですよね。しかし本当に大変な貧乏ツアーをやってたんですね。…ギャラが野菜だったり(笑)
土屋 だから、それはロフトのブッキングだったんだって(笑)
高橋 三万人集まるっていうから佐賀まで行ったのによー(笑)
土屋 確かに村の人口は三万人いたのかもしれないけど…。
──その伝説の(?)村祭りライブですけど、ライブ自体は盛り上がったんですか。
土屋 じいちゃんばあちゃんと子供しかいなかったからね。
高橋 ホントに村祭りだから、広場の周りに学校の名前か何か書かれたテントとか張って、トウモロコシとか焼きそばとか焼いたりしてるからそこには人が集まってるんだけど、肝心の広場の真ん中に人がいないんだよ、全然(笑)。一応、地元のラジオ曲かなんかが入ってたんで、ちゃんとPAもあって、司会のアナウンサーとかもいたんだけど、…全然客がいない(笑)
土屋 それで全部終わって「じゃあギャラもらってくるよ」って俺が行ったんだけど、それをもらわないと全然金がないから、もう帰れなかったんだよね。そしたら、気の良さそうな佐賀の田舎のおっちゃんとおばちゃんが「遠くからどうもありがとう、これ持って帰って食べてね」ってもの凄いバカでかい野菜をくれたのね。…でも、一応それを貰った後に「お疲れ様」って、ちゃんとギャラが入った封筒が出てくると思うじゃない。
──普通だったらそうですよね。
土屋 そしたら、しばらく沈黙しても何にも出てこないんだよ(笑)。でも言いづらいわけよ。すっごいニコニコして「おいしいよー」とか言ってるから。
高橋 結局「野菜もらってきた」って戻って来ちゃったから。「野菜はいいけど金は?」って怒ってね。
土屋 俺、年寄り苦手だからさ。タメくらいだったら「金出せよ」って言えるけど、お年寄りが満面
の笑顔で「手作りのナスです」って言われちゃったら、何も言い返せないじゃん。…そこでメンバーに初めて怒られたかもしれないな。
高橋 土屋が二回目に行って事情を説明したら、一応高速代くらいは出してくれたんだけどね。
土屋 あと焼酎も(笑)。…最近のバンドはもうちょっとまともなツアーしてるのかな。
──イヤー、そんなすごいツアーはしてないでしょうね。その頃は日本のロック業界自体が手探り状態だったんでしょうね。
土屋 手も探ってなかったよ、どこが手なんだかわからない(笑)
■ライブは勝負だった
高橋 まあ、そんな中でも俺たちはやれる範囲でいかにライブを格好よく見せるかっていうことは常に意識してたけどね。例えばイベントだったらトリとかよりも、一番最初に出たいとか。時間なんか20分でもいいからインパクトのあるライブをバーッてやっちゃって、他のバンドの客を取っちゃうとか。
土屋 BOOWYに関しては、常にライブの勝ち負けっていう意識があったからね。
高橋 やっぱりイベント物は勝たないと。
──あんまりライブを勝ち負けって捉えてる人はいなかったんじゃないですか。
高橋 そうだろうね。でも、ただなんとなくライブをやるんじゃなくって、一生懸命考えて、どうやったら人が来るのかとか、どうやったら自分たちが高揚して楽しくやれるかとか、やった方が楽しいじゃん。
──常に上昇志向を持ってやっていたってことですか。
高橋 上昇志向っていうことでもないんだけど、やっぱり何をやるんでも、「それを何のためにやるのか」っていうのが曖昧だと、やってても面
白くないんだよね。
土屋 色々、考えてやったよね。ツアーのパンフとかも凝ってたし、物販なんかも当時にしては妙に充実してたからね。
──BOOWYのパンフにしてもグッズにしても、デザイン的にすごく格好よかったですよね。
高橋 そうだね、当時はああいうデザイン的なセンスを持ってやってる人もあんまりなかったと思うし。まあ、デザイン物をやってくれてた人が、無償でやってくれてたからね。衣装とかに関しても、何とかいい物を着たいんだけど金はないから、貸してくれる所探したり。
──ああ、借りた衣装もあったんですね。
土屋 借り貰いだったんだけど(笑)
高橋 布袋のピンクのスーツなんかは借り貰いだったよね。
土屋 金が無い時にも無いなりに、色々と工夫をしてたよね。
──他にそういうことをやっているバンドがいない時に、あえてそういう事をやるのに関して「自分たちのセンスは間違ってない」って確信みたいなのはありましたか。
高橋 うん、それはあったよね。だからそれが徐々に世間に認められていく過程っていうのはすごく楽しかったな。
■GIG
at BUDOKAN
──今回発売された「GIG at BUDOKAN」なんですけど、ビデオを観させてもらったら本当に円熟期というか、BOOWYの完成系が収められてますよね。
高橋 まあこの頃には完成の域に達してるんだろうな。
土屋 その後の解散とかを正面から捉えなくても良かった時期だし、バンドとしても本当に上り調子に合った時期だから、ライブバンドとして一番余計な事とか一切考えずにやれてるステージなんじゃないかな。
高橋 うん、ありのまま、一番気負い無くやれた、楽しかった時期だよね。
──「1224」の緊張感とも違うし、「LAST GIGS」の一本抜けた感じとも違って、すごく楽しそうにやってますよね。
土屋 俺も観ててそう思ったな。
高橋 でもあんまり当日の記憶がないんだよね。大きなライブって大抵なんかあって、色々覚えてるんだけど、この時に関しては全然覚えてないんだよね。
土屋 それだけいい意味で普通の一つだったんだろうね。
──ビデオを観てて、改めて思ったんですけど。本当にBOOWYってメンバー一人一人のキャラが立ってるというか。まあキャラが立ってるバンドマンって沢山いますけど、これだけ全員立ってるバンドってあんまりないですよね。
高橋 よく一緒にやれてたよね(笑)。まあバランスがちょうど良かったんじゃないかな。俺が俺がっていうのは二人だけで沢山だからね、バンドは(笑)
──それを言うと、松井さんが全然動かないっていうスタイルは、最初からそうだったんですか。
高橋 よく松井と話すんだけど、ここで俺が動くとバランスが崩れるって思ったんじゃないかな。
土屋 どうしても前の二人が目立って見えるけど、後ろは後ろで静止するっていう存在感がすごく出てたよね。それにまこっちゃんのドラムセットってそれだけですごい存在感あるからね。ツーバスでロートタムとか低くセッティングして、あんだけ顔が見えるセットは他にないと思うよ。充分、俺が俺がだよ(笑)
──ドラムセットは派手ですよね。
高橋 キースと同じセットにしたくなかったんだよ(笑)。キースは「俺は三点セットで行くんじゃ」って言ってたから、同じじゃつまらないから、逆を行って増やしていったんだよ。
──あと、ビデオを観てても、カメラを一番意識してるのはまことさんでしたからね(笑)
高橋 (笑)撮影の時っていっぱいカメラが入ってるんだけど、ドラム用のカメラって一本だけだから、そいつが撮りに来たら「おう、よろしく」って感じでサービスしちゃうんだよ。でもドラム用のカメラも、最初はちゃんと俺を撮ってて、前から後ろから色々撮って「イエーイ」とかやってる内はいいんだけど、その内段々飽きてきたと見えて、最後には俺のシンバル越しに氷室とかを撮してるんだよ。
土屋 それ、ドラム叩いてる最中でしょ!?(笑)そんなにカメラを気にしてたの?
高橋 どこ撮してんだバカ! ちゃんと俺を撮せ! って思ってたから。
土屋 ラストギグスでは間奏でドラムも叩かないでスティック投げにステージの前に出てきてたからね(笑)
──トリビュートアルバムとかは聴きましたか。
高橋 うん、聴いた聴いた。面白かったよね。あれはやっぱり作った本人じゃないから出来るんだよね。いい意味で楽しく崩れてるから。だから、やってる方も楽しかったんじゃないかな。
──そうですね、楽しいでしょうね。常に懐かしさではなくてBOOWYには新鮮ささえあり続けてますもんね。
高橋 やってる方としてはそういってもらえると嬉しいよね。俺も新たな気分で今回のDVDとCD楽しんでみるよ。広い世代の人に受け入れてもらえるのは本当にミュージシャン冥利に尽きると思っている、うん。
──そして今はDAMNDOGを率いて、と。
高橋 俺が率いてるわけじゃないけどな(笑)、何にしてもまたライブハウスに戻ってきて楽しんでいる、是非チェックして欲しいな。
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DAMNDOG FEED THE DAMNDOG!
BANA-0001 1,575yen
2004年2月18日発売 |
BOOWY DISCOGRAPHY
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MORAL
VICL-2011/2,039yen
1982年3月21日発売
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INSTANT LOVE
TKCA-71347/2,000yen
1983年9月25日発売
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BOOWY
CA32-1148/3,066yen
1985年6月21日発売
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JUST A HERO
CA32-1226/3,066yen
1986年3月1日発売
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BEAT EMOTION
CA32-1325/3,066yen
1986年11月8日発売
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PSYCHOPATH
CA32-1550/3,066yen 1987年9月5日発売
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“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986
TOCT-5610/3,066yen 1989年12月24日発売
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"GIGS"CASE OF BOOWY
TOCT-24716-17
/3,150yen
2001年11月28日発売
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LAST GIGS
CT32-5200/3,066yen
1988年5月3日発売
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BOOWY COMPLETE
TOCT24790-99 21,000yen
1991年12月24日発売
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THIS BOOWY
TOCT-10190/2,940yen
1998年2月25日発売
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SINGLES
CT32-5370/3,066yen
1988年12月24日発売
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初の公式トリビュートアルバム!! |
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BOOWY Tribute
3,059yen(tax in)/ FLCF-3993
NOW OUT!
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BOOWY Respect
2,500yen(tax in)/ FLCF-3994
NOW OUT!
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最も完成度が高いと評されてきた伝説の武道館ライブCD&DVD/VHS! |
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GIG at BUDOKAN BEAT EMOTION
ROCKユN ROLL CIRCUS TOUR 1986.11.11〜1987.2.24
3,800yen(tax in)/ TOCT-25361-2 NOW OUT
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GIG at BUDOKAN BEAT EMOTION
ROCKユN ROLL CIRCUS TOUR 1986.11.11〜1987.2.24
<DVD>5,800yen(tax in)/TOBF-5307
<VHS> 4,800yen(tax in) /TOVF-1413 NOW OUT
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