始まりは“足元のおぼつかない出発”だった
──まずは結成10年を迎えての率直な感想から聞かせて下さい。
谷口 健 (g, vo) 充実していたディケイド、10年でしたね。20代の後半から現在に至るまで、自分の年齢的にも大事な時期にこうしてひとつのことに打ち込めてこれたのは幸せなことだと思いますし。単純に自分でも自負していいことなのかなって気はします。
大地大介 (ds) 振り返れば確かにあっという間だったけど、こういう資料(取材用に用意した“砂上の楼閣”30回全リスト)を見ると、ちゃんと歩いてきたんだなぁって思いますよね。
平松 学 (b) 終わることなくずーっと突っ走ってきたっていうか。試行錯誤を繰り返しつつも、「休もうよ」っていうのは一回もなかったし。まぁ、周りにはGOD'S
GUTSとかもっと長くやってるバンドはいるけど、自分がやってることで10年っていうのは他にないし。
──fOULの場合、活動のペースが無理なく一歩一歩を積み重ねて今日まで辿り着いたという印象がありますね。
大地 バンドの出だしが、谷口が就職してまでの時期と重なってて、そのペースが自分達のなかで定着したんですよ。彼が仕事を辞めてからは、ライヴを増やすよりは練習が増えたり曲を増やしたりして。ライヴ自体は割と踏みしめながらやってきた感じなんです。
谷口 この“砂上の楼閣”が始まるまでは(eastern
youthの)“極東最前線”に出させてもらってて、それがいい経験になったんですよね。そこからのれん分けする形で“砂上”を始めて。だから自分達でやる企画ライヴの面
白さを教えてもらったのは“極東”だし、そこで足固めができたんですよ。(資料を見ながら)この、第1回目のフライヤーにある「足元のおぼつかない出発から、太陽の光に浸かる黄泉の国のヴィジョンへ」っていう言葉が思い出深いですね。始まりは文字通
り“足元のおぼつかない出発”だったんです。敢えてこういう表現にして始まったという…。やっぱり、坂本商店を始めeastern
youthのメンバーには感謝してますね。
──初回の“砂上”のことは覚えてますか?
谷口 出演して下さったバンドの印象は全部覚えてるんですけど、“砂上”より前に自分達のやってたライヴの風景が僕は全然思い出せないんですよ。それが見たくてしょうがない。20000Vでやってた頃とかね。
大地 そういうのが“足元のおぼつかない出発”の一言に表れてますよね(笑)。
──今やfOULのライヴには欠かせないスタッフの川上さんですが、BEYONDSが解散して一頭最初のfOULのライヴを観て愕然としたと仰ってましたよね(笑)。
川上啓之 そうですね(笑)。そこから戻ってくるまでに1〜2年かかりましたし。『Dostoevsky
Groove』の曲が揃うくらいの頃までは離れていたのかな。
──それがいつしか“砂上”のフライヤーに登場するまでになり(笑)。
大地 あったあった、KIRIHITOとstruggle
for prideの時(笑)。
谷口 僕が持ってるギターと学が持ってるベース、どちらも川上さんが偶然持ってたんです。
川上 『Dostoevsky Groove』発売記念の“極東”(極東最前線15〜感受性、応答せよ!〜/1997年10月25日@下北沢SHELTER)の時からはもう常連客でしたね。楽器を手伝いだしたのは割と最近の話で。
大地 『ブックシェルフ1F』レコ発のワンマンの時って、普通
にお客さんでしたっけ?
川上 うん。
──さっき西村(仁志/SHELTER店長)に「一番思い出深い“砂上”はどの回?」って訊いたら、その最初のワンマンの時だって言ってましたよ。理由は「大泣きしたから」って。
大地 言ってたなぁ、それ(笑)。
ゲストの基準は“自分達のやりたいことをやっているバンド”
──メンバー自身としてはどうですか、一番印象深い回というのは。
平松 うーん、ひとつ選ぶのは難しいなぁ…。
大地 僕はですね、2度目のワンマンだから『Husserliana』のレコ発の時かな。あの時にヤスコちゃん(NAHT)が出てきてくれて。彼女にインカムを借りて“オ〜、ソ〜レ、ミ〜ヨ〜”って谷口
健と僕が2人で唄うっていう設定で、照明がドラムのところに当たってないから、お客さんが不思議そうな顔してるんですよ。“どっから聴こえてるんだ!?”“誰の声だ!?”みたいな感じで。自分のなかではジョン・健・ノッツォばりのテノールを聴かせたつもりだったのに(笑)。その後に音がピタッと止まって「fOULの水」に入って、アタマのベースが“デデデデデデ…”って始まった時には凄い鳥肌が立ったんだけどね。“ヤッベェ!
fOULスッゲェ恰好いいよ!”って(笑)。
──長森さんは事務方サイドとしてどうですか?
長森 洋 “砂上”で言えばやっぱり最初のワンマン、fOULのライヴってことで考えれば金沢VANVAN
V4でやった時。eastern youthと一緒に廻った時で、みんな酸欠でブッ倒れたライヴ。健ちゃんがチューニングを完璧に外したんだけど、それを学がコードを見事に変えてお客さんに判らないように演奏したんだよ(笑)。
平松 ああ、なんかクソ暑いなかでやったのは覚えてるけど…。
長森 fOULとの付き合いは“極東”の2回目からなんだけど、あれは20000Vから初めてSHELTERに移った時だから“極東”の4回目かな。吉野(寿)に「オヤジ、後は任せた!」って言われて初めてこっちが仕切り始めて。その時に、fOULが「黙示録/apocalypse」を演ったの。俺のfOULはすべてその曲から始まってっから。そこから『A
FOULFUL OF...』とか『Dostoevsky Groove』に繋がっていく感じかしら。
平松 じゃあ、近々「黙示録」を演りますよ(笑)。
川上 僕はブッチャーズとやった回が記憶に新しいところですね。そこに居た全員の一体感たるや凄いものがありましたし。
大地 ブッチャーズの時のフライヤーは俺も大好きなんだよね。ブッチャーズとはスプリット盤を出したことがあるにも関わらず、“砂上”で一緒にやるタイミングがずっとなかったんですよね。仲のいいよしみで出てもらうわけじゃないですから。
谷口 僕はフライヤーを自分で描いたりもしてるし、色々と思い出があるんですが…54-71との出会いはなかでも大きいですね。それは川上さんのお陰なんですよ。「こんなバンドがいるよ」って紹介してもらって。“砂上”に新しい息吹を吹き込んでくれた象徴的なバンドだったと僕は思うんです。始めてから10回目くらいからは自分達に自信が出てきて、“砂上”らしいバンドをより強く意識してゲストに出てもらうようになりましたね。
──“砂上”の面白さのひとつとして、ゲスト・バンドの妙というのが欠かせない要素だと思うんですよ。
谷口 そういうふうに取って頂いたら有り難いですね。ゲストにお招きしたどのバンドも本当に自信を持ってお薦めできますし。
大地 ゲストに関しては、谷口 健がいろんなライヴに足を運んでるんですよ。そこから音源を聴かせてもらって決めることが結構多いのかな。あとはツアー先でたまたま対バンをして、手応えを感じて出てもらったり。word
finderとかそうだったよね。
平松 手水とかロレッタ(セコハン)もそうだよね。これまでに出てくれたどのバンドも絶対的な自信を持ってますよ。他にも、タイミングがうまく合わなくて出演できなかったいいバンドがたくさんいるんですけどね。
──健さんのアンテナに引っ掛かるゲストの判定条件はどんなところなんですか?
谷口 そうですね、自分達のやりたいことをやっているバンド…みたいなところでしょうか。
川上 皆、音楽性はバラバラだもんね。でも、今まで出演してきたゲスト・バンドの音楽性すべてをfOULが内包してると僕は思うんですよ。
谷口 嬉しいこと言ってくれますね(笑)。こうして振り返ると、出演して下さったバンドの皆さんとはやはり何かのご縁だと思うんですよ、これまで全部。
平松 あとやっぱり、SHELTERの西村君であったりこのRooftopであったり、俺らを凄く支えてくれる力があってこその“砂上の楼閣”だと思うんですよね。
母性本能をくすぐるfOULの魅力
──初回以来今日に至るまで会場は変わらずここSHELTERですが、何かこだわりみたいなものはありますか?
谷口 やっぱり、スタッフ一人一人と我々が精通
し合えるところですね。互いによく理解し、信頼し合える仲間だと思ってますし。
長森 初期の“砂上”は西村君の前任店長で、「“砂上”を土曜日にやらせないと、僕がスタッフに殴り殺されますから」ってよく言ってたよ(笑)。だからその時すでにスタッフが“砂上”のシンパになってくれてたわけ、有り難いことに。
大地 最初からPAは朋ちゃん(今井朋美)だったっけ?
長森 そう。だからあれは…初めてチケットがソールドアウトになった“極東”の「東京
猪・鹿・蝶」(第5回/1996年2月7日@下北沢SHELTER)。あの時に初めて朋ちゃんがPAやって、全員が「オマエはイイ!
最高だ!」ってなって。今でこそ朋ちゃんは人気者だけど、彼女を一番最初に認めたのは実は我々なの。
谷口 朋ちゃんは今も凄く大切な存在ですからね。我々が出したい音とか好きな音というのを自ずと判ってくれていますし。
平松 ライヴの日程が決まると、まず朋ちゃんにスケジュールの確認をしますからね。空いてなかったらその日はやめるか、なんてことにもなるし。
大地 朋ちゃんは曲の細部まで知り抜いてるからね。どこでヴォーカルにエフェクトを掛けるかとか、自分達が気づかない部分までやってくれるから凄く安心感があるんですよ。
──マネージャーの長森さん、楽器に携わる川上さん、PAの朋美さん、フライヤーを含めfOULの全てをデザインする石川兄貴…と、“チーム・fOUL”の一体感というか絆の強さを端から見ていると感じますね。
大地 改めて言われるとそうなんだよなぁと思いますね(笑)。
谷口 僕のフライヤーの絵を、あそこまで毎度毎度素晴らしいテイストで完成させてしまう石川君には本当に感謝しています。驚きの連続ですね。
川上 さっきの話じゃないですけど、“足元のおぼつかなさ”を何とかしてあげたいという、母性本能をくすぐる部分がfOULにはあるんですよね。既にその世界が完成されているんじゃなくて、リスナーがそこに入り込む余地があって、それで初めてfOULの世界が完成すると思うんですよ。だからその入口が判らない人にはfOULの世界に入りづらいのかもしれないですね。
大地 ウチらって、その入口が判りづらいところにあるような気がしますよね。
──でも、敷居は決して高くないじゃないですか。
大地 低いですねぇ(笑)。低いけどヘンな位
置にあるんですよ。
川上 低いと思っても、入口にヘンな出っ張りがあるような感じだよね(笑)。
長森 川上さんともよく話をするんだけど、これほど評論しづらいバンドもないんだよ。“唯一無比”とか“類い稀なるアイデンティティ”みたいな言葉で片づけられないんだもん。どう考えてみても他のどのバンドにも似てないんだけど、そういう表現ではfOULを伝え切れないんです。全くもって。
──そうなんですよね。fOULの音楽に目を向かせるための言葉の選び方には凄く苦労するんです。
大地 (谷口に)もしfOULを評論する立場だとしたら、どういうふうに伝える?
谷口 やっぱり、自分のなかでは“ありきたりなコードでロックンロールをやってるバンド”っていうか…そんな感じなんですよ。特異な位
置にいるという認識が自分では余りないんですよね。
大地 それがすでにオカシイよね(笑)。
──例えば“孤高の存在”みたいな表現を使うと、その時点でもう敷居が高くなっちゃうんですよ。fOULの曲は恐ろしくキャッチーだと思うし、でもキャッチーなだけじゃない奥深さもあるわけで。そのユニークな音楽性を平易な言葉で伝えるのが本当に難しい。
平松 キャッチーな方向に持っていこうと意識的にしてるんですよね。fOULの原曲からの展開って物凄いですよ(笑)。
大地 一番最初は酷いからね、自分達に課せられた試練なんじゃないかっていうくらい(笑)。原曲からどう作品として構築していくかっていうところに凄い神経を使うんですよ。
──敷居は低いけど難解なイメージがfOULにはずっとあったと思うんですが、一昨年くらいから健さんのMCがすこぶる可笑しいという別
の評価が高まってきたんじゃないかと(笑)。
谷口 ステージは自分の本性をさらけ出せる絶好の機会ですし、普段の生活では出せない自分だったりもしますし…。
川上 でも今日のライヴで、健ちゃんにはタモリの生き霊が乗り移ることが判明したね(笑)。正気と狂気の二面
性があるという。
大地 しかもステージ上の彼は“虚”なのか“実”なのかアヤフヤなんですよ、自分でも。
谷口 そうなんです。それがしょっちゅう表裏になるから自爆しちゃったりするんですよ。ちょっと真剣な話をしようとしても爆笑されますからね(笑)。
大地 それこそ最初の頃のライヴはMCも内向的な話が多くて、そこに喰い付いてくる人も一杯いたんですよ。でも一度、自分達のライヴは余りに内々に入りすぎてるからもっと表へ向かっていこうよ、って全員で話したことがあって。そこから徐々に変わってきたんですよね。
谷口 健は特に(笑)。
平松 確かにそれ以降、スタジオで3人でやってる楽しさをライヴでも表現できるようになった。余り気負うことなくそのままやればいいんじゃないかって。
付いてきてほしい、私達のヴィジョンに
──メモリアル・イヤーの漠然としたヴィジョンは?
谷口 曲はマイペースに少しずつ作り出していって、ライヴで新曲を散りばめていきたいと思っています。さっきも申し上げたんですけど、キャッチーさはかなり目指してきたつもりなんですよ。そのキャッチーさは維持しつつも、そこだけに重きは置かずに、もっと遊び心を出していきたいんですよね。漠然とした言い方ですけど、今はそういう方向へ行ってみたい気がしてますね。それがまた違ったfOULの新しい一面
になるかもしれないし。
──とにかく記念すべき“砂上”30回目、本当に楽しみですね。
谷口 ワンマンですから、フルスイングにならざるを得ませんからね。まずは体力作りから始めて(笑)。
大地 10年っていう月日はやっぱり長いものですけど、人それぞれにタイム感みたいなものがあって、長かったと感じる人もいれば、あっという間だったと感じる人もいると思うんです。その月日のなかに自分達の音楽が入っていけているなら凄く嬉しいことですね。“砂上”30回目は確かに節目ですけど、ずっと続けていくつもりなのでこれからも期待していてほしいです。
平松 これからも付いてきてほしいですね、私達のヴィジョンに。
大地 ウマイなぁ、オイ!(笑)
谷口 30回というのは確かに通過点であって、それを踏み台にしてこれからもやっていくんだぞ、ってことですよね。もう30回経った、でもまだ30回だし…という意識を持つと共に、結成から10年というのはやっぱり節目だなという想いがあって、気持ちを新たにしたいですね。
──じゃあ、最後に川上さん、長森さんからfOULの皆さんにエールを。
川上 10年っていうと、バンドが寿命を終えてもおかしくない年月だと思うんだけど、fOULに関してはそういう感じが全くしないんですよ。まだまだこれから新しいことが出てくるんじゃないかっていう、そんな期待を抱かせてくれるライヴや曲作りにこれからも邁進して頂きたいと思いますね。
長森 こうして話をしてるとさ、やっぱり“まだ10年”っていう気持ちのほうが自分は大きいよね。美学を追求し続けてきてさ、これでやっとスタートラインに立ったんだよ。だからやめる訳にはいかないよね、色々大変だけどさ。周りを見渡してみても、3枚アルバム作って解散しちゃうバンドって多いんだよ。初期衝動が1枚、2枚とあって、もう1枚作ったら終わっちゃうんだ。そこをfOULは4枚目のアルバム(『アシスタント』)を作った。音楽の歴史を考えると、優れたバンドは5枚目、6枚目くらいから後に残るいいアルバムを作ってるわけ。そういう意味でもスタートラインに立ったんだよ。…と、俺は思う。
大地 オオッ、さすが坂本商店代表!(笑) 勝手にスタートラインに立たされたよ!(笑)
川上 …そう言えば、凄く基本的な質問なんだけど、“砂上の楼閣”って凄くネガティヴな言葉じゃない? そんな言葉を敢えて自分達の企画に付けたのはどうして?
谷口 やっぱりネガティヴなニュアンスから始まったというか…その言葉がパッと浮かんだんですよ。どれだけ自分の立派なスタイルを構築しようが、その時々の流れや社会によってドゥッフワー、何にもありませんでしたーってなってしまうんじゃないの、どうせ俺の人生、みたいな。そういうのがどこかにあるんです。それをむしろ打ち消すためにも、敢えて逆説的にタイトルに付けたんですよね。でもこのタイトルを付けて良かったって今でも思ってますよ。
──そういうネガティヴな発想は基本的に今も変わらないですか?
谷口 たぶん変わらないんですね。それはしょうがないですねぇ。お客様に多くを求めないというのも最初から判っていたことだし、ちょっと飛躍した言い方をすると、fOULを始めた時、僕達としてはある程度悟っていたつもりなんですよ。ライヴの動員、CDの売上げ、我々の知名度、名誉…そういうものすべてを捨ててバンドを始めた。だからこそ“fOUL”というバンド名、だからこそ“砂上の楼閣”なんですよ。ヒットでもない、ホームランでもない、“ファウル”なんです。だから多くを求めてはいけないんです、僕らは人に対して。そんなスタンスだったからこそ、この10年間バンドを維持できてきたのかもしれませんね。
【2004年1月24日/“砂上の楼閣 29〜ライド オン エレファント”終演後、下北沢SHELTER・楽屋にて】
★Live info.
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One Man Show!
こびりついた滓までも低速回転で削ぎ落とす
<砂上の楼閣 30〜コクと膿みのラビリンス〜>
2004年4月4日(日)下北沢SHELTER
出演:fOUL(ONE MAN SHOW)
OPEN 19:00 / START 19:30
PRICE: advance-2,500yen(DRINK代別)
【INFORMATION】 下北沢SHELTER 03-3466-7430
ぴあ 0570-02-9999 (P:162-411)
ALLMAN 03-3360-5166
◆坂本商店 OFFICIAL WEB SITE
http://www.saka-sho.co.jp/
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