1曲1曲をじっくり作りたかったんです
──今回のシングルとアルバムですが、'97年発表のシングル〈青すぎる空〉以来ずっとタッグを組んできたエディ・アッシュワース(エンジニア)の都合がつかず、あえなくレコーディングに参加できなかったんですよね。
吉野 寿(vo, g)「そう、エディがロスからオハイオに引っ越しして、大学の先生になっちゃったわけ。エンジニア業専門で食うっていうよりは、本職が大学の先生になったの。で、向こうのスタジオの手配も大変だったっていうのがまずひとつあったのと、今回は何より東京で録りたかったんです」
──それはまたどういった心境の変化だったんですか。
吉野「音として表に出る、出ないに関わらず、こう何か東京で録った質感みたいな、東京の湿度!みたいな想いを込めたかったわけ。っていうのが一個と、あとはやっぱりじっくり録りたかったんですよね。考えながら録るっていうか。どっかへ行って録るとどうしても期限が決まっちゃうから、いつからいつまでにピタッと録んなきゃなんないってあるけど、東京だと期限にはみ出しちゃったら最悪延ばせたりもできる。いろんな面
で融通が利くんですよね、一回家にも帰れるし。1曲1曲をじっくり作りたかったんですよ。まぁ結局、いつもとそんなに変わんない期間で録れたんだけど。そういう心の余裕っていうか、作業的な余裕が欲しかったっちゅうのもありますね」
──毎回、レコーディングは極限まで自分達を追い詰めて、短期間でギュッと凝縮したものを形にするのが通
例でしたよね。だから凄く意外な気がします。
吉野「焦燥感というよりは、もっとバイーンとしてふくらみのある、もっと大きい人間感!みたいな、そういう体温のある音の鳴りにしたかったんですよ。それにはゆっくりと考えながらやりたかったんです」
──やっぱりエンジニアの違いは大きかったですか?
吉野「南石(聡巳/毒組)さんっていう今回エンジニアをやってもらった人とは、もうバッチリだったんですよね。曲の持ってるポイントとか、プレイの面
であったりとかをしっかり理解してもらった上で、彼なりの録音哲学みたいなものとも凄くマッチしてるんじゃないかなぁと俺は思ってます」
二宮友和(b)「1曲1曲のイメージ作りをバンド側では録る前からしっかり持ってて、そこは結構注意したんですよ。一応、完全なバンドのセルフ・プロデュースだったから」
田森篤哉(ds)「スタジオに居た後半、レコーディングに入る前は毎日練習だったから、結構厳しかったですね。でもまぁ、去年から今回のレコーディングに入るまでは何となく余裕みたいなものがあったんで。…いや、でもやっぱりキツかったですね(笑)」
──(笑)確かにシングル、アルバムの収録曲共に、一音一音がよく練られているというか、キメの細やかな曲が揃いましたよね。それは気持ちのゆとりがあったからこそなのかな、と。
吉野「うん、結果的に」
──サウンドもこれまで以上にバンド感が際立って前に出ている気がしたんですよ。3人のプレイがより有機的に絡み合って。
吉野「最終的には“いい歌”がいいんですよね。“いい歌”っちゅうのは、単純に言葉がメロディに乗ってるっていう意味じゃなくて、プレイも含めたもっと広い意味で。『いい歌だねぇ、これ!』っちゅう、中に全部含まれてるのが俺は理想なんですよ。それはシンプルな形であるべきだと思ってるし、曲が持ってる世界観がはっきり判りやすい形であるべきだと思ってるわけ。そのために本当はいろいろなことが必要で、複雑な絡み合いがあるんだけど、それが一個にまとまっているからシンプルに聴こえるっちゅうか。そこに関してはよく出来てるんじゃねぇかなぁと思う」
死んでなかったらやって行くしかないし、 やって行くしかないんならやり直すしかない
──田森さんのドラムの鳴りが、今回の音源のキモになってると思うんですが。
吉野「うん、俺はやっぱりタイトになったんだと思うね」
田森「二宮君のバックアップがあったからね。ドラムとベースの絡みでそう聴こえるっちゅうね」
二宮「(照れ笑いしながら)でもホント今回、ドラムの深みっていうのを凄く感じますよ」
吉野「ドラムの音に関してはいつもよりは時間をかけて、余裕を持って一個一個考えながらやったんだけどね。バンッ!と音を決めてドンッ!と録るみたいなのではなくて。ドラムをよく録らないと何も始まらないから。アンプだったら最悪ガチャガチャやるだけだからそんなには難しかないんだけど、ドラム録るのは難しいんですよ。じっくり一個一個考えながらやったし、曲のキャラクターに合ったドラムだから馴染んで聴こえるんじゃないですかね」
田森「確かによく録れたと思うよね。南石さんともよく話し合ったり、ドラム・テクの人とも『こんなのどうかな?』なんていろいろやってみて、結果
として良かったなぁと思いますね。1曲1曲徹底的にやってみて、でも並べて聴いてみるとまた印象が違ったり。前回とはまた違う感じのいいものが出来たんじゃないかなぁって」
──ニノさんが今回プレイする上で気を留めた点は?
二宮「ドラムだけじゃなくて、歌、ギターとの絡みにも気をつけるってことですかね。ドラムの音をまず決めて、それと凄く馴染むように心懸けましたね」
──そう、シングルの〈矯正視力〇・六〉なんですが、イントロのドラムの音からしてまず新しくて抜けたなと思ったんですよ。考えてみれば、こういうゆったりとしたナンバーをシングルにするのも今までになかったことですね。
吉野「俺は結構、最後まで躊躇してたんだけどね。今までと同じことをやってもつまんないし、もっとこうシブイっちゅうか、感情の別
途なところから行く曲をシングルで切ったらどうかな? なんて話は最初からしてたわけ。でもいざ曲が出来て、俺が『やっぱりもっとドカーン!としてる曲のほうがいいんじゃねぇか?』って言い張ったんだけど、二宮君が『いや、どうしても〈矯正視力〜〉だ』って言って」
二宮「(笑)ずっと今までやって来て、アルバムの先行でシングルを切るって考えた時に、何かこれしかない感じがしたんですよね」
──その選択は大正解だったじゃないですか。
吉野「俺は未だに『ホントに大丈夫なのかな、これで?』って思ってるけどね(笑)。みんな『大丈夫だよ!』って言うけど。“やり直す、やり直す”って言い過ぎたなぁ…みたいなさ。しまった、スマン、シケッてて…っていう。涙っぽくてスンマセン!っちゅう感じ(苦笑)」
──いや、繰り返し唄われる「何回だってやり直す」というフレーズに聴き手は胸を衝かれるだろうし、掛け値なしに“いい歌”だと思いますよ。
吉野「“何回だってやり直しゃいいんだよ”っちゅうことなんですよ、振り返って『あれをやり直したい』とか『これをやり直したい』とかそういうんじゃなくて。ずっと生きてきて、ダメになったり挫折したりしますよね?
『しまった、ダメだこりゃ!』って思っても、死んだら本当にそこで終わりだけど、死んでなかったらやって行くしかないから。やって行くしかないんならやり直すしかないんですよね。『しょうがねぇな、やり直そう』っていう。それは恥ずかしいことじゃないし、自分が間違ってると思ったら誤魔化して正当化するんじゃなくて、引く勇気っちゅうか、やり直す勇気を持つっちゅうか…そういうものなんですよね」
──しかも、川に捨てたはずの悲しみを「内ポケットに仕舞ったまま」で歩いていく、という…。
吉野「なかなか悲しい気持ちっちゅうのは捨てられなくて、“捨てるんだ、捨てるんだ”っておまじないみたいなもんをしても結局は捨てられないから、しょうがねぇから連れて歩くんですよ。やれやれっちゅう感じ」
──〈ズッコケ問答〉にも“何度でもブッ壊してまた創ってやる”というフレーズがあったし、一貫してますよね。
吉野「そうですね。今回、それをよりドッシンと思ったんでしょうね(笑)」
同じ羊の群れの中にいるけど、こっちは横向いてる羊だから
──アルバム・タイトルの『DON QUIJOTE』ですが、これはミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の主人公に自身を重ね合わせて?
吉野「そうです、そうです」
──アーティスト写真も、わざわざ遍歴の騎士に扮して(笑)。
吉野「ナニ被ってんのよ? って(笑)。顔、見えねぇべや?
っちゅう」
──伝説の巨人(ブリアレオ)と勘違いして風車に突進したりする主人公の無軌道さに共鳴できたと?
吉野「まぁ要するに、バカなんですよね。迷惑な男なわけ。でも信じてるわけ。その、信じることが大事だなっちゅうか。大事っちゅうか、それと重なったんですよね。自分がやってきたこと、やって行きたいこと、吹っ切りたいことと、ドン・キホーテの姿とが勝手に重なった感じがして。凄い力が湧く感じがしたんです。そいでもうウォーッ!となっちゃって、“俺が(ドン・キホーテに)なる!”みたいな。で、ダンボールで仮面
を作って」
──しかも可動式で(笑)。
吉野「そうそう(笑)。それで被ったりして曲を作ったわけですよ」
──タイトルも珍しく横文字で。
吉野「ローマ字だけど、みんな知ってる言葉だし、スペイン語だしね。センテンスじゃなくて人の名前だから。必然性があれば別
に何語でも俺はいいし、一発でこの想いを表現するタイトルとして『DON QUIJOTE』が俺は一番合ってるんじゃねぇかと思ってそうしたんですけど」
──収録された11曲はどれも過不足なくジャストな状態で1枚のアルバムに収まっているし、1曲目の〈街はふるさと〉から最後の〈窓辺〉まで流れもちゃんとありますね。
吉野「そう聴こえるようになったってことは、いい状態で作れたんじゃないですかね。流れも別
に計算したわけじゃないんだけどね。邪念は捨てるんだ!と思って、何も考えないで作ったんだけど(笑)。出来上がった曲を組んでみると、ちゃんとストーリー性が出来たっちゅうか、お話になってるっちゅうか。自分でもちょっとビックリみたいな感じもあって」
──〈矯正視力〇・六〉のアルバム・ヴァージョンは小谷美紗子さんのピアノとコーラスが入っていて、シングルとはまた随分違った感触に仕上がってますね。
吉野「あれは、あの人が持ってる馬力なんですよ」
──あのポロンと爪弾く一音や、記名性の高い歌声のコーラスたるや…。
吉野「それが恐ろしいところなんですよ、彼女の。本当に凄いなって思う」
──〈街はふるさと〉の「涙拭いたら、もう行くぜ/冷めて張り付いた横顔のままで」、〈JET
MAN〉の「捨てて行け 捨てて行け 捨てて行け/捨てられる全てを」といった歌詞に顕著ですが、“いつまでもショボクレてんじゃねぇよ、俺!”というか、悲しみの深淵を覗いたその先にあるものが通
底するテーマとしてあると思うんですが。
吉野「どうにかしないとダメだってことは判ってるわけ。でも別
に泣きたかったら泣いてもいいと思ってるんだよね。残された選択肢は死ぬ
しかないわけだから。死なない限りは朝日がまた昇っちゃうしさ。そんなことしながらでも何でも、行くしかないことは判ってるわけ。その中でいろんなことを自分の心の中に映していってるんですよね。そのお話なんですよ、結局」
──イースタンの歌は決して「お前も頑張れよ」とは言わないし、突き放してはいるんだけれど、どこかに聴き手が自分自身を投影できる余白があると思うんです。だからこそ僕達はイースタンの音楽に心から共鳴できる。
吉野「たぶん、みんなも同じだからじゃないですか?
どうにかこうにかやって行かなきゃなんなくて、恰好いいことばかりじゃないし、恰好つけたつもりでも、むしろズッコケて滑稽なことのほうが多い。だからそういうふうに投影できる部分があんのかなとも思う。そういう情けない部分は俺ももちろんそうだっちゅうか。それを俺達は音楽として形にするための努力をしてやってるけど、音楽をやってない人も自分の生活の中でやれることをやっているってことですよね。俺達はプレイをもってしてそれを表に出しているってだけで。別
に偉くもないし、低くもないし、同じなんですよ」
──〈大東京牧場〉の中でも唄われていますけど、「多少毛色は違えども/やっぱり私も羊だった」と。東京の雑踏で棲息する、自分も同じ群れの中の羊なんだという。
吉野「ただし、こっち(と、顔を右横に向ける)向いてる人達ですからね。元ネタをばらすとね、そういう詩があるんですよ。金子光晴の〈おっとせい〉っちゅう詩が。日本人をオットセイに喩えて、吐く息がクサイだの、気持ち悪いヤツらだのと散々長々とけなして、最後は俺もオットセイだと。でも同じオットセイの群れの中にいるけど、間違えんなよ、俺は横向いてるオットセイだからな!っちゅう。…ちょっとね、それをパクった(笑)」
──(笑)この〈大東京牧場〉や〈窓辺〉のような、たゆやかに流れるスケールの大きなメロディが、どこかレーベルメイトであるfOULの音楽を想起させるところもありますよね。
吉野「影響下にはあるんじゃないですかね?
俺は意識的に、なるべくfOULに似ないように作ったつもりだけど。やっぱり影響されて、そういう部分が出ちゃってる部分はあると思いますね。ただ、健ちゃん(谷口
健)が聴いてきた音楽とバックボーンも似てるしね。だから発想自体が近いっていうのもあると言えばあるけど、明らかにfOULから影響されてるところもあると言えばある。それを俺は恥ずかしいことだと思ってないから」
逆境すらも酒の肴にして呑み干す
──こうした等身大の音楽を無理のないペースで出せるのは、やっぱり今のバンドがすこぶるいい状態にあるからじゃないですか?
二宮「まぁ、曲を作ったり演奏したりする上で、理解できない、把握できないとかのストレスみたいなものは本当になくなってきてるというか」
──個々の課外活動も活発じゃないですか。ニノさんのひょうたん然り、吉野さんのオホーツク然り。
吉野「オホーツクは全然まだ何にもやってません。1回スタジオに入っただけで。平山(秀朋)さんがまたヨーロッパへサッカー観に行っちゃったから止まってるんだけど、ちょっとずつやろうかなって。平山さんがドラムで、俺とセイキ君のツイン・ギターで。平山さんのドラムがなかなか面
白くてね。長いタームで趣味的にやろうと思ってるんで、オホーツクに関しては全然焦ってないです。どんな形でもやっぱり音楽が好きだから、いろんなことをやれるもんならやったほうがいいだろうと思ってるから」
──田森さんはイースタン一筋で?
田森「いやぁ、もう一杯一杯ですね、プライベートで(笑)。やってることがいろいろあるんで」
吉野「植木やったりな、梯子昇ったりしてるもんな(笑)」
──とにかく、今回の瑞々しくて力強いシングルとアルバムを聴くにつけ、つくづくバンドの底力を思い知らされた感じです。
吉野「何せ16年選手ですからねぇ…(笑)」
──9月からは全国22本もの巡業が始まりますが、やっぱりその土地土地の食が楽しみですよね。インタビュー前にも話が盛り上がってましたけど(笑)。
吉野「そうっすね(笑)、土地土地でしか食えない旨いもんを可能な限り食いたいですね。状況が合わなければ牛丼でも何でもいいんだけど。秋は魚系がグッと美味しくなってくる時期だから、それは期待大っちゅうか。(田森に)いろんなもんが出回ってくるくらいだべ?
9月じゃまだ早いか?」
田森「いや、そろそろ出てくる頃だよ」
吉野「“食欲の秋”っていうくらいだからねぇ(笑)。旨いよ、きっと、いろんなもんが旬でさぁ。金沢とかさ」
二宮「あと、北陸ですね」
吉野「北陸は魚も旨いし、何食っても旨いもんね。まぁどこに行っても何かしら旨いもんはあるしね。意外な街でビックリするほど旨いもんがあったりするとかもあるね。“ここ不味そうでもホントは旨いんじゃねぇかな?”と思って入ったら、ホンットに不味かったりすることもあったけどね(笑)。“ハズレたぁ〜!
ショボ〜い!”って(笑)」
──この飽食の時代に、不味いものを探し当てることのほうがかえって難しいですよね?(笑)
吉野「俺はよっぽど不味いものを探し当てる能力だけはあるんだね(笑)。ホント、ブッたまげる食い物を俺は結構食ってるよ」
──何か、ケチャップを使ったえらく難儀な料理を食べた話ありましたよね?
吉野「そうそうそう(笑)。トンカツにケチャップが載っかってんの。“ん?
赤味噌かな? 赤いぞ?”と思って。豚汁は、味噌汁に豚肉と刻みネギとかワケギみたいなのが入ってて。普通
はもっと、野菜が煮てあるのとか入ってるじゃない? そういう具はないわけさ。もちろん“ノー出汁”的な味なわけね。それにトンカツって組み合わせ。赤いの。北陸とかなら赤味噌の可能性がある…そうか、赤味噌だったら凄く特殊な味噌なんだべなぁと思って食ったらこれが!
ただのケチャップ!(笑) 笑ったもんなぁ。いいもん食った! これはネタにしよう!と思って(笑)」
──そういう逆境でも“その状況を楽しんでやれ”ってところが吉野さんにはありますよね。
吉野「うん、俺は結構そういうのを喜べるタイプだね。“こりゃヒドイ!”っていうあんまりな状況になると2、3日落ち込むんだけど、あとで振り返ると自分の中ではプラスになってるんですよね。“あれおもろかったなぁ”って、それを酒の肴に呑めたりするから」
転機となったアメリカ・ツアーでの大事故
──話が飛躍しますけど、去年のアメリカ・ツアーも過酷な状況だったじゃないですか。バン1台で長距離移動しながら、連日連夜ステージに立って。
吉野「いや、でもあれはホント普通に楽しかったの。まぁ、確かに過酷だったんだけど」
──しかも、高速道路を走行中にバンが横転して、真っ逆さまのまま横滑りする大事故まで起きて…。
吉野「あれ、大事だったんですよ、今度のアルバムを作る上でも。個人的にあの事故を経験して良かったと思ってるんです。ま、良くはないんだろうけど」
──帰国後のライヴではユーモアを交えてその時の話をされてましたけど、あの事故直後の写
真を見ると今でもゾッとしますよ。
吉野「まぁ、幸いにして誰も怪我しなかったからね。(今井)朋美[PA]はちょっと顔切ったりしたけど。でも、あの事故のおかげで俺は凄いいろんなものが吹っ切れたから。それは今回のアルバムの抜けっていうか判りやすさっていうか、そういうもんを得た感覚に影響してる。あれからやっと動き出せたんですよ。それまではどうしていいのかもがいていた感じだったけど、あの事故を機会に“ああ、大丈夫なんだ”って思えて、目の前がサーッと開けた」
──“自分は生かされているんだ”っていう感覚ですか?
吉野「そういう感覚もあったですね。“死ぬ
時ってこうかよ?”って思ってね、全然予期してなかったから。普通にメシ食って、ボケーッとして、車に乗って“あー、長旅だなぁ”なんて思ってたら突然だったからね。もうほんの数秒の間にドッカーン、グッシャーンだったから。“うわぁ、死んだ!”って思ったけど…。それまでは生きてるっちゅうのは当たり前だと思ってたけど、そうじゃなくて、凄いラッキーなことなんだなって思った。死ぬ
時も突然来る可能性が高いんだと。だったら“生きてんだからやればいいんだ、まっすぐやりたいことをやればいいんだ”って思ったわけ。考え込みたいんなら考え込んでもいいけど、考えることをムダにするなっていうか、考えたり悩むことをしっかり楽しんでいけよ、っていう。事故が起きた日の夜に呑んだビールは凄く旨かった」
──何というか、起こるべくして起こったというか、暗示的な出来事だったんですかね。
吉野「うん、俺はそれを感じたですね。まーた空がよく晴れててね、バカみたいに。あれも良かったんですよ。だってフリーウェイだしさ、今までずっと乗ってた車はひっくり返っててさ、消防車は来てるしさ、コロラドの空はピーカンだしさ(笑)。何か、“あー、お天道様!”って感じがした。車はグッチャグチャ、でも俺達はピンピン。あれで誰かがガックリ怪我してたら暗くなってたかもしれないけど、“良かったなぁ、俺達、良かったなぁ…”っていうか」
二宮「明らかに自分達がなくしたものがあるわけですよ。現実的に言えばその先に控えていたツアーはなくなったし、アンプも壊れて。それは何というか、精神的な面
でも一度これでご破算、って感じになりましたよね。それで面倒なことも残っていくわけですよ。生き残ったら今度は荷物を引き上げなくちゃならないし。死んでたかもしれない場所で生き残って、そしたらやっぱり“生きていくんだ!”っていう状態になりますよね。“生きるってこういうことなんだなぁ…”っていうか」
──田森さんがやっぱり一番冷静だったんですか?
吉野「だろうね。運転手だもんね。事故が起こる直前、こいつ(田森)が『ああ、ダメだ』って言って、あれがどれだけ恐怖だったことか!
俺は未だにフラッシュバックになるわ、あれ(笑)」
田森「ブレーキが全然効かなかったんだよ。思い切り踏んだんだけど、もうそういう状態じゃなかったから」
吉野「落下する飛行機に乗ってるみたいな感じだったわ。“『ダメだ』ってどういうことですかー!?”って思ったらいきなりドッカーンだもんな」
田森「凄かったよね。あれが何秒間の出来事か判らなかったですけどね、凄く長く感じたんですよね。ひっくり返って最終的にはズルズルズル…なんて引きずられて、地面
が見えたんですよ。フロントガラスの破片も飛んできて、火花も散っててね。匂いはしてくるし、熱いなぁ…と思って。結構冷静なもんですよね」
吉野「ああいう時って、走馬燈にはならんね。少なくとも俺はならんかったな」
──そんな思いがけない大事故でしたけど、それを契機として『DON QUIJOTE』という大傑作が生まれたことを考えると、人間万事塞翁が馬だなぁという気がしますね。
吉野「うん、俺の人生においてはあれはプラスだったなぁ…。“あ! なるほどな、そうか!”って思ったもんな。お金を出してもああいうアトラクションはなかなか体験できないもんね(笑)」
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DON QUIJOTE
坂本商店/KING RECORDS
KICS-1097 3,000yen (tax in)
2004.8.04 IN STORES
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矯正視力〇・六
坂本商店/KING RECORDS
KICM-1109 1,200yen (tax in)
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アーカイブス 1997-2001
坂本商店/TOY'S FACTORY
TFBQ-18048 [DVD] 3,150yen (tax in)
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◆LIVE
<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004 in EZO>
8月14日(土)北海道石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ(小樽市銭函5丁目)
EARTH TENT 18:50〜19:30
<極東最前線/巡業 〜進め!遍歴の騎士〜>
9月1日(水)千葉LOOK/9月2日(木)熊谷VOGUE/9月4日(土)F.A.D
YOKOHAMA/9月5日(日)宇都宮VOGUE/9月7日(火)高崎club FLEEZ/9月8日(水)新潟CLUB
JUNK BOX/9月10日(金)長野CLUB JUNK BOX/9月11日(土)金沢AZ/9月13日(月)京都・磔磔/9月15日(水)SHIBUYA-AX/9月27日(月)仙台CLUB
JUNK BOX/9月29日(水)弘前Mag-Net/10月1日(金)札幌ペニーレーン24/10月5日(火)松山SALON
KITTY/10月6日(水)広島CLUB QUATTRO/10月8日(金)福岡DRUM LOGOS/10月10日(日)米子ベリエ/10月11日(月)岡山PEPPER
LAND/10月13日(水)静岡サナッシュ/10月14日(木)甲府KAZOO HALL/10月26日(火)名古屋CLUB
QUATTRO/10月27日(水)大阪BIG CAT
【total info.】坂本商店:03-5790-7433
http://www.saka-sho.co.jp/
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