伝説のバンドとして名高いザ・ルースターズは、日本のロック史上最も地殻変動が激しかった80年代という時代にあって、とりわけ鮮烈にその軌跡を残したバンドだ。ルースターズの初代リーダー兼ヴォーカリストの大江慎也は、91年以降ずっと音楽活動を停止していたが、昨年10月、長い沈黙を破って新しいバンド〈UN〉(アン)を結成し、いよいよ10月20日には大江にとって14年ぶりのニュー・アルバム『KNEW
BUT DID NOT KNOW』をリリースする。
今回、UNのアルバム発売ということで、大江慎也にインタビューするという機会を得たのだが、インタビュー前は非常に複雑な気持ちだった。憧れの人に会えるという喜びの一方で、自分ごときが大江慎也に一体何が訊けるんだという不安もまた大きかったのだ。実際、取材中はずっと緊張しっぱなしで、正直、大江慎也の真意を訊けたかどうかの自信はない。だから、今回掲載するテキストはかなり僕の思い込みが含まれていることを始めにお断りしておきたい。
ただ一つ記したいのは、大江慎也という人は、自分が思っていた通り、何よりも表現するということに対して誠実なアーティストだと確信できたことだ。そしてその誠実さは、時に、悪魔と魂を引き替えにすることでもあることを。【文中敬称略】
最初に〈UN〉始動までの経緯を振り返ってみると、大江慎也復活の予兆は昨年の初旬には既に現れていた。3月にルースターズの未発表音源CD『BASEMENT
TAPES』が発売され、それを記念したトーク・イヴェント(司会は元アクシデンツのスマイリー原島)がロフトプラスワンで開催された時に「大江慎也が地元・福岡で活動を始めたらしい」という情報が話題に上った。もちろんそれをもって大江復活と喜ぶのは早すぎたが、その時にゲストの池畑潤二が「もしまた大江が歌うなら、俺はいつでも後ろで叩く準備がある」と言ったことは、一つの希望として強く心に残る発言だった。
嬉しいことに、その後入ってくる情報は大江復活の噂を徐々に確信に変えていくものだった。6月18日に発売されたロックンロール・ジプシーズのアルバム『I』に大江は歌詞提供で参加、しかも同日に行われたアルバム発売記念ライヴのアンコールに飛び入りでステージに上がり、ルースターズのナンバーを3曲共演するという信じられないようなハプニングが起こった。同年8月には、福岡のイヴェントのシークレット・ゲストとして、大江が地元のミュージシャンと組んだバンドで参加した。
そして10月。大江慎也、鶴川仁美(元ザ・ロッカーズ)、小串謙一、坂田紳一(元サンハウス)といった強力な布陣による〈UN〉が結成された。UNは、シーナ&ザ・ロケッツの25周年イヴェントや、イギー・ポップ&ザ・ストゥージズらが出演したイヴェント『マジック・ロック・アウト』などに出演し、順調にライヴ・パフォーマンスを披露していく。大江慎也の復帰に加え、サンハウス、ルースターズ、ザ・ロッカーズという伝説的バンドのメンバーからなるUNの結成は、音楽業界だけでなく日本のロック・ファンにとっても一つの事件であった。しかも彼らがライヴで提示したものは、自らの伝説に依拠するものではなく、現在の音楽状況においても充分にオルタナティヴと言えるような全く新しいサウンドだった。
充足感を味わいたい気持ちがすごく強いんです
この間の大江復活とUN結成は、10年以上のあいだ大江の復活を待ち望んでいたファンにとっては少し戸惑ってしまうほどの順調さだった。
実際、大江慎也が自身の活動を再開したのはいつ頃だったのだろうか。
「曲を作り出したのは2003年の夏頃。やっぱり、ジプシーズに歌詞を提供したことは大きかったですね。ある意味、自分の中にずっと音楽があったんじゃないかとは思いますが、具体的に演奏とか曲を書いたりとかいうのは、それが実存的なきっかけですね」
―――正直、大江さんはもう音楽をやらないんじゃないかという不安もあったんです。大江さん自身はどうだったんですか。もっと楽観的だったか、あるいは悲観的だったのか。
「実際、ギターを弾けない時期もありました。でもまた弾けるようになった時には、やれるような環境さえ整えば音楽をずっとやっていこうと思って、続けていければいいなと」
―――UNのメンバーは大江さんが集めたんですか。
「それは僕から。当時はとにかく音楽のことしか考えてませんでした。アマチュアのメンバーと演奏しているのを鶴川君が見に来てくれたり、そういうのがあって」
予想通り大江の口数は少なかったが、かといってこちらの質問を拒否しているわけではなかった。たとえ愚問であっても、返答をじっくり考えているように見える。しばらく間があってから返ってくる答えは一言の時もあれば、こちらがどきっとするような答えもあった。
―――僕らから見たらUNはすごく豪華なメンバーが揃ったという印象なんですが、大江さんにとってUNは自分のやりたい音楽をできる環境なんでしょうか。
「これは問題がある発言かもしれないですけど、完全に自分のしたい音楽を表現できているとは思っていません。だけど、このアルバムは作品的には素晴らしいものだと思っていますし、それを否定している訳ではありません」
この答えは予想外のものだったが、大江はさらにこう続けた。
「充足感を味わいたい気持ちがすごく強いんです。音楽に関わっている自分として充足感を味わいたい。混合された気持ちとか思いが頭の中にあると思うんですが、今回すごくいい作品ができたんで、充足感を味わいたいというのが今なんです」
“完全に自分のしたい音楽を表現する”というのはアーティストにとって理想なのかもしれないが、それが想像以上に過酷な作業であることは素人の僕でもわかる。そんなことできる人間がいったい世の中に何人いるのだろう?
これは僕の勝手な考えだが、おそらく大江にとってルースターズの1stと2ndは、かなり完全な表現に近い作品だったのではと思う。しかし、東京に拠点を移し、80年代前半のポストパンクと呼ばれる音楽状況の激しい変化の中で、ルースターズの目指す音楽的な理想はどんどん高まっていき、それゆえ完全な表現を次第に困難にしていったのではないだろうか。だから3rdの『INSANE』はA面
とB面でがらりと印象が変わったし、『ニュールンベルグでささやいて』はミニ・アルバムとしてしか完成しなかったのではと思えてしまう。大江が最初に精神的な限界から休養をとったのもこの頃だ。
しかし、誰も実現したことのない理想の音楽、そこに到達できないという不完全さの間で揺れるルースターズと大江慎也を、私たちリスナーは孤高の存在として崇めるようになる。残酷なことかもしれないが、それは音楽の女神に微笑まれたルースターズの宿命と言えるものだった。このように身勝手なリスナーのことを大江はどのように考えているのか訊いてみたくなった。
―――音楽というのは一人で演奏してもいいものなんでしょうけど、ライヴをやったり作品を作ったりすると、聴き手というものを想定しなくてはならなくなると思うんです。聴いた人が満足するのだろうかとか。
「例えばCDを作るでしょ。聴いている人がそれによって満足しているかどうか、それはわからないですね。それを考え出したらたまらないですよ。わかるような気がする時もありますが、いつもわかってるような状態ではないです。作品として聴いてもらって、自分なりの気持ちでいいなと思ってくれたり、おもしろいと思ってくれたりすればいいと思いますが」
―――ライヴなどは反応がよりダイレクトだと思うんですが。
「ルースターズの時、自分が自分で怖いと思ったこともあるからわかるんですけど…まぁ、このアルバムに関してはストレートに聴いてもらいたいと思います」
―――では僕の聴いた感想なんですが、UNの音楽はルースターズとも大江さんのソロとも違うものですが、今までの延長線上にあるとも言えるもので、すごく新鮮な魅力があったんですが、大江さんの目指す音楽というのは常にオルタナティヴなものなんですか。
「僕の中にあるのは、やっぱり次は違う曲を書きたいと思うことじゃないですかねえ。今までと同じようなものだったら、作品としては認められない」
―――意識的にそうしているんですか。
「歌詞を書こうとか曲を作ろうという時は、もちろん長い時間の中で、自分の頭の中で自然発酵して出てくるものが元になっているのはあるんですけど、基本的な気持ちとしては、作品を作ろうという“意”があるんだと思います」
バンド名のUNとは、フランス語で「あるひとつの」という意味があるそうで、ここには大江がずっとこだわる「既存にないたった一つの」音楽をやっていこうという意志が強く表れている。そして、もう一つUNの意味としては、「UNITED
NATIONS」の略でもあるようだ。UNの歌詞には、ソロの時から顕著だったように“PEACE”や“LOVE”といった単語が多く使われている。
「平和になってほしいといつも思ってるんですが…やっぱり音楽に関わった人間としては平和になることがいいんじゃないですか。ただし、これはあくまで作品なんで、歌詞を書いてる時はすごい没頭して集中しているんですけど、いつもそういうことを考えているかといえばそうでもない。思っていることと相反することが自分の中で起きるし、単純な言葉で表せないなという気持ちはすごく強いんです。だけど平和になるということはその時点で思っていることですし、それはどうしても歌いたかったんです」
―――ニューヨークのテロや、最近の戦争やそういう社会的な状況も影響しているんですか。
「それは自分の中では分析できていません。どうして第三世界と文明社会といわれるものが憎しみ合うとか。それはニュースで知っただけですから。ただ、僕に言えるのはピース、平和ということで、それ以上のことは言えないですね」
希望を、持ち続けたいですね
UN結成の他に、もう一つ大きな話題となったのが、今年のフジロックでルースターズのオリジナル・メンバーによるラスト・ライヴが行われたことだ。ルースターズ以降も順調に音楽的キャリアを積んできた花田裕之、井上富雄、池畑潤二と10年以上ブランクのある大江慎也との共演がはたしてうまくいくかという心配の声もあったが、結果
は、客席を文字通り熱狂と興奮の坩堝とさせる、伝説の名に恥じない素晴らしいライヴであった。
その直後に雑誌のインタビューで大江は「ルースターズは僕の中では解散してない」と驚くべき発言をしたが、この発言の真意を改めて訊いてみたかった。
「やりたいと思った時に、演奏できたらいいなぁということです。それは自分一人でどうこうできないことで、状況とか環境が整わないとできないことですから。ただ、自分の基本的な部分としては、演奏したいときに集まれればいいなぁと、そういうことを表現しました」
―――昔のことをいまさら訊くのもなんですが、かつて大江さんがルースターズを脱退した時、花田さんがルースターズの看板を守るということでバンドを引き継ぎ「大江さんを待ってる」みたいな発言をされてたんですが、大江さんとしてはまたルースターズに戻るという可能性もあったんですか?
「ありました。ただ、その時それはできなかったんで」
「ソロに関して、アーティストのエゴとして言えば、あれは本当にソロだったのかなと」
大江のソロ時代に関してはいまだに賛否両論がある。ただし、大江ルースターズ後期のような、崩壊寸前のところでギリギリ美しく結晶させることに成功した音楽を求める人にとって、大江のソロ、とりわけ『ROOKIE
TONITE』は、まさしく『DIS』や『PHY』の次に来るべき作品として聴くことができるだろう。
「そうですねえ。当時のことを言えば、ブランクがあって、ソロとしての曲を作ったのは病院の中だったのかな、また演奏できるということにかなり力が入っていました」
もし当時、大江がルースターズに戻っていたとしたら、大江にとってより完全に近い作品が作れたのかもしれない。しかし、バンドというものが複数のメンバーやスタッフで成立している以上、やはりそれは実現されなかった歴史上のIFでしかないのだ。(余談だが、ルースターズのラスト・アルバム収録の代表曲「再現できないジグソーパズル」を聴くと、このバンドの数奇な運命を考えざるを得ない)
ギリギリまで完全さを目指し、時に緊張の糸が切れてしまうまで表現行為をする大江慎也にとって、それでも音楽を続けるのは、やはり彼の中の業としか言えないものなのだろうか。
「ある面、アルカポネが禁酒法の中でお酒を売ってたというふうにはしたくないという気持ちがあるから、それは音楽が酒だという意味じゃなくて。はっきり言ってまだ長期的な展望はできてないんです。それが自分の業なのかどうなのか、確かに自分の中ではずっと音楽をしようという気持ちがあるんです。そういういろんなことを考えていると音楽ができるんでしょうね。音楽によって助けられる人もいれば、音楽を聴いて嬉しいと思う人もいるから音楽があると思うし、そういう音楽がずっとあるんなら、僕は音楽家でありたいと思います」
―――音楽家であり続けたい大江さんにとって今はいい環境と言っていいですか?
「希望を、持ち続けたいですね」
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