数ヶ月前、写真家の吉永マサユキから「おもしろいボクサーがいるから紹介しましょうか」という電話をもらった。そのボクサー「川崎タツキ」は元ヤクザで、背中の刺青を消してプロになり、デビュー以来連戦連勝の好成績をあげているという(04.9月の時点で16戦15勝(13KO)1敗)。ボクシング界ではその経歴も含めて注目されており、先日、その半生を綴った原功による著書『はぐれ者』が出版されたばかりだ。
 12月上旬、川崎選手が所属する草加有澤ボクシングジムのある谷塚駅で取材の待ち合わせをした。大きなスポーツバッグを載せた自転車に乗って現れた川崎選手は、遠くから見るとまるで部活帰りの高校生にも見える。「ああ…どうもはじめまして」と言ってにこっと笑った川崎の顔は驚くほど無邪気で、その顔から彼の壮絶な過去を想像することは難しい。近くの喫茶店に入り、取材を始めた。(文:加藤梅造/写 真:吉永マサユキ)

●足立区最強の中学生
 川崎の地元は、有澤ジムのある谷塚駅の隣、足立区竹ノ塚である。中学生の頃はケンカで誰にも負けたことがなく、「足立区のタンタン」(タンタンはあだ名)の噂は遠く埼玉 や千葉にも知れ渡っている程だった。しかし、いわゆる不良グループや暴走族とは距離を置く不良少年だった。
「大勢でつるんで悪さするというよりは、一人でいることが多かったです。よくお父さんとケンカして家を飛び出してたんですけど、寂しいから一人で飲屋街をふらふら歩くんです。それで帰る所もなくて雑居ビルの階段で丸まって寝てました。その頃は寂しかったという記憶が大きいですね」
 川崎が小学生の時に母親が病死して以降、もともと厳格だった父親はさらに厳しくなり、川崎が反抗期になると父親とのケンカは日に日に激しくなっていった。
「お父さんとケンカすると荷物をボストンバックにつめて飛び出すんですが、おねえちゃんの持っていた、松山千春、かぐや姫、長渕剛のカセットテープとラジカセも一緒に持って行くんです。なぜか寂しい歌ばっかりで、それを聴いて泣きながら自転車に乗ってました。今でもカラオケで歌うと泣いちゃいますね」
 ケンカで無敗伝説を作っていた男と、泣きながら一人自転車に乗っていた少年。当時この2つの姿を重ね合わせることができたのは3つ上の姉・由里歌だけだったのかもしれない。
 川崎が初めてボクシングに出会ったのもこの頃だ。幼なじみが地元の有澤ボクシングジムに入ったことを知って自分もやりたくなったという。川崎はたちまちボクシングにのめり込み毎日欠かさず練習に通 った。
「ケンカが強くなりたいというのもどこかにあったと思うんですが、それよりもプロの人達を見て俺もああいうふうになりたいと思った。自分の力を思う存分ぶつけてみたい。ケンカだとなんでもありじゃないですか。でもボクシングはきちんとルールがあって、ケンカとは全然違う。ケンカが強くても通 用しない世界だというのはなんとなく感じてました」
 しかし、中学三年の時に起こした暴行事件で逮捕され、川崎は初等少年院に送られた。当然ボクシングもできなくなった。意外にも少年院での川崎は真面 目で模範生だったという。
「もちろん早く出たいというのもありましたが、それよりもキッチリやったほうがかっこいいと思ってました。そういうところで反抗したりズルしたりするのはかっこ悪いんじゃないかって」
 ボクシングにしろ、少年院での生活にしろ、川崎は自分がやると決めたらとことんそれをやり遂げる性格だ。その性格は川崎の強みであるが、後にそれが最悪の結果 をもたらすことにもなる。

●ヤクザ、そして薬物依存
 初等少年を出た後、中学の頃から出入りしていた組の構成員となった川崎は拳銃不法所持で再び少年院に送られた。今度は中等少年院だ。そして退院後は本格的にヤクザの道を歩むことになる。
「それまで先輩後輩という関係があまりなかったんですが、ヤクザになってはじめてそういう関係ができてとても新鮮だった。これは後から思ったことなんですけど、家族というものにすごく憧れるような気持ちがあったと思うんです。それが、ヤクザの世界にそういうものを感じていて、なんか家族みたいだなって思っていました」
 親分から可愛がられた川崎は、極道の世界では重要な役である親分の運転手に抜擢された。
「自分が親分になるよりも、自分が尊敬する人を助けてあげるような、そういう役の方があってるなと、そんな感じがありました。少年院でたまたま大河ドラマの『武田信玄』を見てたんですが、その中に出てくる軍師の山本勘助に憧れてたんです」
 川崎が実の父親とうまくいかない渇望から、ヤクザの親分に父親像を求めたのはごく自然なことだったのかもしれない。しかし、彼のある種純粋な思いは半ば裏切られる結果 となった。そして川崎はヤクザの世界でも禁断のクスリの世界に手を染めることになった。
「組に対して次第に反発心みたいなのが起こったんです。家族だと思っていたのに裏切られたような感じがあった。俺の事だれも重要に思ってくれてないんだって。寂しい気持ちと悔しい気持ちが一緒になって頭にきちゃったんです。ヤクザやっていること自体アウトローなんだけど、クスリやってもっとアウトローになってやるってヤケになっちゃったんです」
 もともと物事にとことんのめり込むタイプの川崎は、クスリの世界にもどっぷり浸かるようになった。自宅に閉じこもって、起きている間ずっと部屋を改造したり自作のオブジェの制作に没頭した。レイブパーティーのデコレーションも手がけクスリをキメて踊り狂った。
「周りの友達が僕の作った物をスゴイなんて言う人がいて、自分もすっかり芸術家だと思ってました。完全に勘違いしてましたね(笑)」
 しかし、最初はクスリで天国の気分を味わっていたが、次第に覚醒剤特有の症状が現れてくる。そしてある時を境に川崎の生活は地獄に変わった。幻覚症状と極度の被害妄想にとらわれ、ついには自殺未遂を起こした。当時一緒に住んでいた姉が自殺した川崎を病院に連れて行き、そのまま精神科に入院することになった。

●リハビリ生活
 川崎はクスリを絶つため民間の薬物リハビリ施設である沖縄ダルクに入寮することになった。
「自分ではどうすることもできない状態で生きているのが不思議だった。水の中でゆらゆら揺れている葉っぱみたいなものです。だからそこで身を任せるしかなかったんですね。」
 ダルクでのリハビリ生活が1年近く過ぎ、薬物依存の症状も抜けてきたころ、川崎は沖縄に来てから初めて姉に電話をかけた。このまま沖縄に残って生活していくことを伝えるためだった。しかし、姉の口からは思いがけない言葉が返ってきた。
「でも、優香が待ってるよ」
 優香は川崎が東京でつきあっていた恋人だ。薬物中毒になる前からつきあっていたが、クスリのせいで長い間音信不通 になっていたのだ。川崎もまさか優香が自分のことを待っているとは思いもしなかった。その言葉を聞いた川崎は即座に帰郷を決めた。
「とっくに見放されたと思っていました。それが待っていてくれていると聞いて、本当に嬉しかったです」

●再びボクシングの道へ
 帰郷した川崎は住み込みの仕事を見つけ、愛する優香のため毎日懸命に働いた。もうヤクザに戻る気はまったくなかった。そんな川崎に次なる転機が訪れる。地元竹ノ塚で偶然に旧知の古川誠一、そしてボクサーのカズ有澤、コウジ有澤と出会ったのだ。すっかり更正した川崎のことを古川らは自分のことのように喜んだ。そして、数日後、古川から思いがけない提案をされたのだ。もう一度ボクシングをやってみないかと。
 悩んだ川崎は優香に判断を委ねた。優香がやってもいいと言えばやるし、ダメだと言えばやらないつもりだった。返事は…OKだった。
 プロになるためには、ハードなトレーニングは当然として、どうしても背中の大きな刺青を消す必要がった。200万円の手術費はすべて友人・知人からのカンパで賄われた。古川、カズ、コウジもカンパ集めに尽力した。刺青は完全には消えなかったが、ジムの有澤会長の熱心な説得で、最初は難色を示した日本ボクシングコミッションもファンデーションを塗るという条件でプロデビューのOKを出した。
 それからの川崎は一心にボクシングに打ち込んだ。26歳というボクサーとしては遅いデビューだが、これまでの回り道が決して無駄 だったとは言えないと思う。ここに至るまで川崎は多くのことを経験し、そして学んだ。
「ボクシングの試合ができてることもすごいと思うんですが、なんかそれだけじゃなくて、自分はボクシングができて、すごく変われた。たくさんの人と出会えたし、それだけでも嬉しいという気持ちがあるんです。感謝しなくちゃいけないなあと。自分が今あるのはみんなのおかげなんだってホントに思うんです」 「昔は勝つことって簡単に考えてたんですけど、本気でボクシングをやって初めて勝つことの難しさを思い知らされました。負けた時はもちろん悔しいんですけど、それよりも相手を尊敬する気持ちの方が強いですね。」
 川崎のデビュー1戦目。観客席には由里歌、優香の他に父親の姿もあった。息子タツキのデビュー初勝利を見届けた後、父親は病気で他界した。父親から息子への最期のプレゼントはリング・シューズだった。

 現在、川崎タツキはSウェルター級2位にランクされている。一度つまづいたら負け組にされてしまう今の世にあって、人生は失敗しても何回だってやり直せるということを川崎タツキは当たり前のように見せてくれる。そして今、川崎は日本タイトルを目指して日々練習に励んでいる。(文中敬称略)

FIGHT

2月7日(月)後楽園ホール
「グリーンファイトボクシング2005 Part1」

川崎タツキ×小松学(10R)
原口清一×吉田健司(8R)

BOOK

「はぐれ者」〜悪魔と戦ったボクサー川崎タツキの半生〜
原功・著

NEKO PUBLISHING
\1,470


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