自分のルーツと生き方との合流
──まずはbobin and the mantraが結成した経緯を教えて下さい。
bobin 俺はネパールにいた時はハードロックとかメタルのバンドとかやってたんだけど、日本に来てからはライブハウスとかもよくわかんなかったから、フィリピンパブで演奏とかしてたんだよね。日本の大学の同級生が4トラックのレコーディング機材をもってたんだけど、同じネパール人のルームメイトがタブラを叩けたから、3人でレコーディングしてたんだ。そのタブラのメンバーは大学院で土壌物理学の勉強をしていて、ある時オーガニックの畑を手伝いに行ったら、哲っちゃんとともちゃんもそこに手伝いに来てたんだよ。しかも住んでる所が偶然にも近所だった。
哲太郎 その1週間ぐらい後にbobinに会って、ちょうどレコーディングしていたデモテープを聴かせてもらったんだけど、それがよかったんで、じゃあ僕のレーベルでCDにしようよって話になった。それが『SAMSARA
bobin』ですね。
bobin ライブもやろうってことで2、3回やったんだけど、その時タブラをやっていたルームメイトが大学院を卒業してネパールに帰ることになっちゃった。どうしようかなって思ってた時に、ちょうど大学の後輩にシタールを弾ける奴が入ってきたんで、これはちょうどいいなと。それが今のメンバーのサワン。
哲太郎 まだ日本に来たばかりのいたいけな学生を騙して入れたんだ(笑)
bobin シタールが弾けるんだったらタブラも叩けるだろうから、お前やれって。
──なんかうまいぐあいにbobin and the mantraになったんですね。哲太郎さんはもともとどういった音楽をやってたんですか?
哲太郎 僕は90年代のアシッドジャズが流行ってた頃に、大編成のジャズファンクのバンドをやってたんです。UNLIMITED
EDITIONという名前でCDも出してたんですが、当時は黒人音楽命って感じでやってましたね。
──ともこさんとサワンさんは?
bobin ともちゃんはジャズとクラシック?
哲太郎 アメリカに行ってた時にはラテン音楽をディープにやってましたね。
bobin サワンはインドの古典音楽をずっとやってたんです。
哲太郎 bobinはネパールにいた時はロックだったけど、日本に来てから逆にネパールの伝統音楽に目覚めたんだよね。
──ネパールのロックシーンってどんな感じなんですか?
bobin 今だに70年代という感じで、クリームとかジミヘンがそのまま生き残ってる感じです。もちろんそれはアンダーグラウンドシーンだけど。あと、伝統音楽を取り入れたニューエイジな音楽も流行っていて、日本の喜多郎の影響が大きいですね。
哲太郎 喜多郎はネパールですごい人気があるみたいです。
bobin 最近はグランジやスラッシュ・メタルのバンドも出てきたけどね。
──僕はネパールというと、漠然と、60年代後半のヒッピーが憧れて行った地、インド/ネパールという感じなんです。
哲太郎 面白いのは、昔のヒッピー達はありのままのインドやネパールに憧れていたんだけど、bobinのようなネパールの若い世代は、逆に今、アメリカのボブ・ディランなどをリスペクトしてる。だから時代が一回りしているんだよね。
bobin 時間の流れだと思うんだよ。だからマントラで目指しているのは、自分のルーツと生き方との合流だよね。俺は小さい時から聴きたくもないネパールの伝統音楽を聞かされて、そこで無理矢理ロックをやってたんだけど、今、マントラでは、それらをうまく合流してやりたいと思ってる。それは沖縄生まれの哲っちゃんと似てるんだよ。
哲太郎 僕も30歳ぐらいまで沖縄の音楽は嫌いだったのが、今自分のレーベルで沖縄音楽をリリースしているのが以前から考えると驚きなんです。
──逆に本土の人は沖縄文化に憧れている人が多いですよね。
哲太郎 僕はYMOが好きだったから、細野さんが沖縄を取り上げたりして初めて「もしかして沖縄音楽って新しいのか?」と思ったんですが、その時はまだエスニック音楽の中の1つとしてのとらえ方だった。でも、もっと歳をとってくると、やっぱり自分の中のルーツとして、沖縄を好きになっていきました。そんなに簡単に切り離せるもんじゃないなと。
始まったものはすべて終わる
──bobin and the mantraは根っこの部分で方向性がはっきりしてると思うんです。音楽性もそうだし、ラブ&ピースな思想もそうだし。
bobin マントラは調和が一番大きなテーマですね。それは音楽、ルール、生き方、影響、文化、人の心、関係性、それらすべてが音として出てくる時に調和しているのが僕らが目指しているマントラ・サウンド。
──そもそもマントラってどういう意味なんですか?
bobin お経です。真言密教の“真言”。今度出るCDは、CDをかけると自然にマントラを唱えたことになるんだよ。Om
Mani Pame Hun(オン・マニ・ペメ・フム)というマントラがあるんだけど、Omは始まりで、Maniは強いもの、Pameは美しいもの、Hunは終わり。つまり、始まったものは、強いものも、美しいものも、すべて終わるというマントラなんです。人間は生まれて最後死ぬ
事に対して逆らうことはできない。今あることに執着して、へんなプライドを持ったり、守ったり、自慢したり、闘ったり、悲しくなる事にあまり意味はない。そんな執着がなくなると、お互いが調和してハッピーになっていく、そういうマントラです。そのOm
Mani Pame Hunが梵字でCDの盤面に印刷されている。
哲太郎 ネパールのお寺に行くと、円柱形のものにお経が書いてあって、それを手で回せるようになっているんです。それは「マニぐるま」というんだけど、それを回すことでお経を唱えたことになるんです。だからこのCDもCDプレイヤーで回すことで、お経を唱えたことになるんですね。
──なるほど! なんか御利益がありそう(笑)
bobin それは宗教的なものというよりも、もっとシンプルに、始まったものは終わるということなんです。それに対する執着はエゴだから。俺はエゴの強いミュージシャンが一番嫌いなんです。どうだ俺は凄いだろう!っていうのが。それは俺自身がガキの頃そうだったからで、だからロックを始めたんだし、ミュージシャンはみんなそういうエゴを持っているんだけど、それを越えたどこかに自分が調和していくものを求めたい。
哲太郎 bobinの歌は、自分がこうだという曲じゃなくて、自分の思いが曲になってる。そこがいいと思うんだよ。人間死ぬ
までそういうエゴを持っているものだからさ。
bobin 俺はエゴを持っているということを常に意識していたいんだよね。俺にとって音楽は自分の鏡だから。曲を作ることで俺はこういう人間なんだなってことを映して、できることは改善していきたい。
──bobinがネパールでなく日本という国で活動する意味はどんなところにあるんですか?
bobin 経済的な理由とかいろいろあるんだけど、日本は今変化の時期にあると思うんだよね。バブルも終わって無限の経済成長も終わって、今はみんなもっと原点に戻ろうとしている。逆に今のネパールは、昔日本が向かっていた方向に行こうとしていて、物がどんどん増えていくことがいい事だと思っている。俺がネパールでそういうのはやめようと言っても誰も聞いてくれないけど、日本みたいな国がもっと自然に帰ろうという動きをすることは、発展途上国にとってすごくインパクトがあると思うんだよね。
──でも、日本が本当にそういう方向にいくかどうかまだ微妙ですけど。
哲太郎 メインストリームが今すぐそうなるとは思わないけど、ある一定の人数がそうなったらある種の質的な変化となって表れると思う。そういうレベルにはなりつつあるんじゃないかな。
bobin ボブ・マーリーの曲で「ワン・ドロップ」という曲があるんだけど、1滴1滴がいつかは大きな流れになる、音楽はそういうものだと思うんだよね。だからマントラの活動は常にそういうものを目指したいです。
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