奥崎謙三 主要年表
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1921 | 2月1日 | 兵庫県明石市大蔵町6丁目に生まれる。 |
1931 | 尋常小学校卒業後、木綿問屋に丁稚奉公。家族が離散。 | |
1940 | 徴兵検査で甲種合格。 | |
1941 |
3月21日 | 岡山工兵連隊に入隊。 |
4月初旬 | 中支九江工兵隊に入隊。 | |
1943
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1月末 | 独立工兵36連隊に転属。 |
4月末 | 英国領(当時)東ニューギニアのハンザに到着。 | |
1946 | 復員船中で、復員者3000人分の食料を横領しようとした船長の腹部を刺す。 | |
1947
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3月 | 三木市の共和製作所に就職し、入寮。 |
5月28日 同日 |
寮母に夜這いをかける。 父・俊三郎死去(翌日訪ねてきた弟により知らされる)。 |
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8月28日 | 寮母・石地シズミと結婚。 | |
1948 | 4月2日 | 母・和賀死去。 |
1951 | 神戸市でバッテリー商(サン電池工業所)を開業。 | |
1956 | 4月5日 | 不動産業者・延原一男を殺害。(懲役10年の判決「傷害致死」)。 |
1957 | 11月7日 | 大阪刑務所第2区へ下獄。 |
1966 | 8月22日 | 大阪刑務所4区独居房より満期出所。 |
1969 | 1月2日 | 皇居新宮殿の新年一般 参賀にて、天皇裕仁に手製のパチンコで 4発のパチンコ玉を発射。(懲役1年6ヶ月の判決「暴行罪」)。 |
1970 | 10月7日 | 東京拘置所より満期出所。 |
1974 | 5月11日 | 残留日本兵救出のためグアムを訪問。 |
1976 | 3月1日 | サン出版より「宇宙人の聖書!?」を自費出版。 |
4月25日 | 銀座松屋・渋谷西武・新宿丸井の屋上から、裏面 に天皇一家のポルノ写真(ポルノ写真に天皇一家の顔をコラージュしたもの)を印刷した「宇宙人の聖書!?」の宣伝ビラを約4000枚ばらまく。 | |
26日 | 全国指名手配。 | |
28日 | 独立工兵36連隊の生き残りである元軍曹宅を訪問した直後にパトカーに発見され逮捕。 | |
9月27日 | 懲役1年2ヶ月の判決「猥褻図画頒布」。 | |
1977 | 東京拘置所在監中に「神軍新聞」を発行。 | |
同じく在監中、参院選に全国区から参院選に立候補。 | ||
1978 | 4月17日 | 東京拘置所より満期出所。 |
1980 | 再び参院選に全国区から参院選に立候補。 | |
作家・井出孫六とともに西ニューギニアを訪問。 | ||
1981 | 8月20日 | サン出版より「田中角栄を殺すために記す」を刊行。 |
田中角栄に対する殺人予備罪で書類送検。「不起訴」 | ||
1982 | 「ゆきゆきて、神軍」(疾走プロダクション、監督・原一男)クランクイン。 | |
1983 | 8月 | 「ゆきゆきて、神軍」約2週間の西ニューギニアロケ。 |
今度は個人で東ニューギニア(パプアニューギニア)に向かい、戦友の慰霊のため上空から米をまく。 | ||
衆院選に兵庫一区より立候補。 | ||
12月8日 | サン出版より「殺人論」を出版。 | |
15日 | 元中隊長・村本政夫宅で、本人不在のため長男に対して発砲、負傷させる。 | |
17日 | 神戸市兵庫暑に出頭。広島拘置所に収監される。 | |
1986 | 9月18日 | 妻・シズミ死去。 |
1987 | 1月28日 | 懲役12年の判決「殺人未遂、銃刀法違反、火薬類取締法違反」。 |
1988 | 12月8日 | 熊本刑務所に入所。 |
「非国民 奥崎謙三はうったえる!!!」を刊行。 | ||
1993 | 6月15日 | 北九州市城野医療刑務所に移監。 |
1995 | 「奥崎謙三 服役囚考」を刊行。 | |
1997 | 8月 | 府中刑務所に移監。 |
20日 | 満期出所。「神様の愛い奴」撮影開始。 | |
23日 | 新宿ロフトプラスワンにてトークイベントを行う。 | |
1998 | 7月18日 | 「神様の愛い奴」ロフトプラスワンで上映。 |
2001 | 4月1日 | シネマ下北沢にて「神様の愛い奴」決定版、上映。 |