小泉さん、有事法制、個人情報保護法 成立おめでとう記念

 2001.9.11の米同時多発テロ以降、アメリカがアフガニスタン戦争、イラク戦争とひたすら戦争への道を突き進む中、日本もまたそれと歩調を合わせるように「戦争のできる国」へと変貌しようとしている。特に昨年、北朝鮮による拉致問題が明るみになって以降は、「北朝鮮の驚異」をテコにその勢いはますます加速している。それまでは市民の強い抵抗に阻まれた有事法制や個人情報保護法は、彼らの喉元に「不安」という恐怖を突きつけることで、あっさりと成立してしまった。今や、日本で「反戦」を叫ぶことはマイノリティな行為なのかもしれない。

 ロック・ミュージックは、それが生まれたときからずっと、個人が自由を獲得するための表現方法だった。だからこそ多くのロック・ミュージシャンは時として国家権力に反抗し、差別 を否定し、戦争に反対してきた。久しく「平和ボケ」と言われてきた日本人は、いつの間にか身近になってしまった戦争に対して、どう行動したらいいのだろうか。そして同時代の表現者はどんなメッセージを発していくのだろうか。

 個人情報保護法、有事法制、住基ネットなどを「悪法の枢軸」と呼んで、この間ずっと反対運動をしてきた作家・吉岡忍に、今、身近になった戦争と次々に成立する悪法の実体について素朴な疑問を投げかけてみた。かつてベトナム反戦運動を闘った吉岡氏の言葉は私達に多くの示唆を与えてくれるはずだ。 (TEXT:加藤梅造)


◆吉岡 忍(よしおか・しのぶ) プロフィール ──ノンフィクション作家。1948年、長野県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。87年、日航機墜落事故をテーマにした『墜落の夏』で第9回講談社ノンフィクション賞受賞。他に『日本人ごっこ』『鏡の国のクーデター』『放熱の行方』など。最新刊は、宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗などの異常犯罪を取材した『M/世界の、憂鬱な先端』(文春文庫)。

●今の若者とイラク反戦運動

──先日、ロフトプラスワンに来たごく普通の女の子が突然、真顔で「戦争について悩んでる」って言ったことがあったんですが、今まではあんまりこういうことはなかったと思うんですよ。

 やっぱりちょっと世の中の気分が変わったよね。僕らが個人情報保護法案の反対運動(註1)を始めた時、いわゆるメディア規制の側面 だけじゃなく、どうやって批判の論理を作るかってことを随分考えたじゃない。そこで、言論の自由とか、戦争の問題とか、民主主義とか、そういう部分を語らざるをえなかった。民主主義の原則からいってこの法案はどうなのかと。でもその頃は「そんなめんどくさいこと考えなくていいよ。世の中もっと楽しいこといっぱいあるじゃん」って冗談が言えたんだよね。

 でも、あれから2年たってみて、個人情報保護法は通るは、有事法制は通 るは、一方で9.11があり、アフガン戦争があり、イラク戦争がありっていうそういう状況の中で、若い子達の中から「戦争の問題を考えないといけないと思う」なんて言葉がでてくるのは、決していいことではないんだよ。みんなが表現の自由だとか民主主義なんて言葉を口にして、日本の現実を見るっていうのはあんまりいい状態じゃない。「そんなの知るか!」って言って遊んでられる方が世の中幸せなんだ。でも、若い人達が戦争について悩む気持ちもよくわかる。

──今まで反戦運動っていうのは全共闘時代のものだと思っていたのが、今回のイラク戦争で急に身近なものになったと思うんです。

 僕が十代の頃は反戦運動じゃなくて平和運動って言ってたんだよ。例えばそれは原水爆反対運動とか60年安保闘争というものだったと思うんだけど、僕はそういったものに対して違和感があったのね。なんか後ろ向きな運動だなあと。ところがね、60年代半ばからベトナム戦争が始まると、その頃から平和運動じゃなくて反戦運動と言うようになる。まあ日本語として新しい言い方になっていった。もうひとつ、歌が変わったんだよね。平和運動の頃は、「二度と戦争に巻き込まれたくない」っていう内容の歌が多かった。つまり被害者の立場からの言い方だった。ところが、ベトナム戦争の頃になると、そうじゃないだろうと。日米安保はあるし、日本から戦車は行ってるし、ソニーはミサイルの弾頭につけるCCDを作っているわけだし、既に我々はかかわっているんだと。その状況から自分の身を剥がす、NOと言うことが必要になってくる。歌で言えば、それまで歌声喫茶なんかで歌われてた中村八大とか永六輔なんかの平和運動的な歌に代わって、反戦フォークやロックという新しい歌が出てきた。例えば、岡林信彦や頭脳警察なんかが出てきたんだよ。それはすごい変化だった。

 だから、今の若い子達が戦争とか政治の問題を考えるときに、どちらの方に軸足を置くか、つまり戦争に巻き込まれたくないっていう気持ちなのか、あるいは既に巻き込まれている現実があって、それに対してNOと言っているのか。この間のイラク反戦のデモなんか見てると、そこはまだ未分明だよね。

──政治的なデモに初めて参加する人が圧倒的に多かったですからね。

 この前、『千人祈』(註2)の朗読会があったじゃないか。あの時彼らが読んでいた反戦詩は、くだらないって言えばくだらないものかもしれないけど、僕はそうは思わなかった。彼らの詩には、まだ未分化な、巻き込まれたくないっていう気持ちと、既にこの手は血で汚れているっていうのと両方あったでしょ。それは今の若者の中にあるリアリティだと思うんだ。だからあれは決してバカにできないものだと思うし、あそこに何かがあると思う。

●国家権力と自分

──そういった「戦争はいけない」っていう素朴な気持ちっていうのは、例えば、北朝鮮の拉致問題で「日本の同胞に対してこんな非道いことをする北朝鮮になぜ報復しないんだ!」なんて言われると、どう答えていいかわからなくなってしまいますよね。

 僕は今の十代から二十代の子達を見ていて思うのは、彼らは小学校からずっと日本の国家とか政治というものを考えなくてすんだじゃない。それこそ東京の隣がニューヨークみたいな世界地図を頭に描いてるじゃないか。それは幸せだったんだよね。

 ただ、そういう幸せ感がこの2,3年なくなってきた。ブランドと美味しいものを追いかけてればいいっていう時代じゃなくなってしまった。それで初めて国というものを意識し始めるんだけど、今度は国の意識の仕方ね。日本という国の上から下まで、つまり天皇からはじまって、総理大臣、官僚から今の自分という一つのヒエラルキーがあるよね。そうすると今まで国のことをあんまり考えたことがなかった彼ら彼女らは、そのヒエラルキー全体をまるごと受け入れて引き受けなくちゃいけないと思うわけだよ。そこに権力というものとそうじゃない自分、権力と自分は違うんだという視点がない。それは北朝鮮を見ることと金正日を見ることが一緒くたになってしまうとも言えるんだけどさ。確かに北朝鮮の金正日は非道いと、だからといって日本の小泉さんがOKってことじゃないよっていう、そういう見方ね。アメリカに対しては、ブッシュは嫌いだけどアメリカ人は好きって人はいっぱいいるでしょ? そういうふうに見てけばいいんだけど、何故かアジアに対しては国家対国家という見方になっちゃう。

──特に日本は権力っていうものをあまり意識しない傾向がありますよね。

 なぜか日本のマスメディアは「権力」という言葉を使わないんだよ。

●不安と治安

──日本が経済的にイケイケだった頃は軍事力じゃなくてもプライドが保てた。でも、今のように経済が落ちてきた状況だと、今度は軍事力による強い国家への渇望がムクムクと湧いてきたのかなと思うんですが。

 でもさ、軍事費で言えば既に世界第3位なんだからさ。イージス艦を4隻も持ってるのはアメリカ以外には日本だけだよ。

──ただ、今まではそれを堂々と使えない状況があったじゃないですか。

 使ってるじゃん。有事法制がなくても使ってるんだから。ただ、堂々と使いたいからといって、じゃあ7つの海を制覇したいのかっていう野望もないんだよな。なんとなく力を持ちたいという願望は強いんだけど、それを使って何をするのかという具体性が全然見えてこない。だから、彼ら政府のやることはあまり現実性のない「妄想」だと思えてならないんだよね。

──軍事力を使って何かやりたいと思ってるのはたぶん政治家や官僚の一部で、国民の多くは「北朝鮮からミサイルが飛んできたらヤバイ」っていう危機意識から有事法制を支持してると思いますが。

 以前は北朝鮮どころか、中国もソ連も日本にミサイル向けてたんだから。かつての方がはるかに驚異だったんだよ。でも今は北朝鮮だけなんだから、何をいまさらって言いたくなるよね。

──では、なんで今頃こんなヒステリックな状況になってしまったんでしょうか?

 それは今の日本の世の中がうまくいってないからでしょう。経済的にも政治的にもどんづまりな状況だし、だれもバブルの責任とらないし、風通 し悪いしさ。何が問題なのかもよくわからないイライラした状況だから。軍事的な問題ではないと思いますよ。

──なんとなく不安な状況で性急にいろんなことが決められてますよね。

 たぶん1930年代の日本もこんな感じだったと思うよ。大正時代にある種リベラリズムの爽やかな風が吹いた後、昭和5年に大不況がやってくるじゃないか。それまで自由に何でも言えたのが、全然ものが言えなくなってしまう。それがしばらく続くわけじゃない。目の前がすっきりしないような漠然とした不安、それは今みたいな感じだったのかなあと思うよね。

──アメリカも9.11以降の不安から、ブッシュを支持している状況がありますが、不安な時、人間がこうなってしまうのはしかたがないことなんでしょうか。

 そこで僕は二つのことが言えると思うんだ。一つには、アメリカは民主主義というものをもう一度回復すると思う。それはブッシュの時代が終わった時なのかもしれないけど。ただ困るのは、彼らがもう一度民主主義を取り戻して、精神的にも文化的にも元気になる時というのは、何万人という人間が死んだ後なんだよ。アメリカっていうのはいつでも最初に戻るっていう不思議な歴史を持った国で、自分たちの世代がいつでも一番新しいと思っている、その繰り返しを続けている国なんだよ。だから、アメリカのデモクラシーが甦った時、それはは何十万人の犠牲が払われた後ではないだろうか。

●世界はだらだらと続いていく

 もう一つ言えるのは、人類、あるいは世界っていうのは、今まで壊れたことがないんだよ。日本は1945年に破局的な敗北をして焦土と化したけど、それでも甦った。最近の白装束もオウムもノストラダムスも、人類が終わることを煽って一生懸命イマジネーションを働かしているんだけど、残念ながら人間の本当の問題は、世界が終わらないってことなんだよ。傷ついてまた回復してという循環をずっと繰り返している。それに対して人類はちゃんとした答えを出していない。理想も途中までしか成就しないし、破滅も途中までしかいかない。結局、世界はだらだらと続いていくんだ。

──それは好意的に考えれば、本当にヤバくなった時、人間に理性が働くってことではないんですか。

 いや、そういう善悪の問題じゃなくて、もっと物理的なことだよ。我々は白か黒かっていう考え方が一番楽なんだよ。目の前の状況が悪くなると、すぐ人間は「世も末だ。お前ら目を覚ませ!」とか言うけどさ、そんなこと言っても世の中終わらないし、目なんか覚まさない。

──では今のような状況で僕達はどう身を処すればいいんですか?

 僕なんかはこういう時、ちょっと距離おいてしばらく見てればいいんじゃないかと思うんだよね(笑)

──そんなに楽観的でいいんですか? 今日は、有事法制が成立してどうしようって話をしたかったのに…

 いいのいいの。だって通っちゃったんだからどうしようもないじゃん(笑) まだまだ落ちきってないから。ただ言えるのは、有事法制が通 ったことで、今後、日米安保のもと、基地の再配置、基地機能のレベルアップが行われるだろう。そうすれば、近隣諸国との関係は間違いなくうまくいかなくなるよね。ただ、このまま日本がエスカレートして核兵器を持とうなんて話になったら、アメリカは絶対それを許さないだろう。近隣諸国ともうまくいかないし、アメリカともギクシャクしはじめる、にもかかわらず他に行き場もない。日本はアジアに友達いないからね。だからずる賢くいくしかないんだろうな。

●日本はアジアの一員?

──ブッシュがあまりにもメチャクチャやるせいで、今、日本でもアメリカに対してかなり客観的な見方をするようになりましたよね。でも、日本が本当にアメリカ離れをしたいなら、やはり近隣のアジア諸国と親密な関係を作るしかないと思うんです。

 まだ戦前の日本のほうが、アジアに対して近い存在だったよ。例えば、亡命者を引き受けたり、あるいは魯迅が留学したり、日本はアジアの一つの避難場所を提供していたんだよね。とろこが、今、「反米愛国」を主張する人達って「反アジア」でもあるからさ、アジアに友人を持とうとしないよね。僕がもし反米愛国家だったら、アジアに対して猛烈に日本を売り込むよ。そりゃ、単なる形式だったかもしれないけど、かつて大東亜共栄圏というのを作ろうとした時、民間の右翼の人達が山のようにアジアに行って交流したよね。そう考えると、今の状況は戦前のナショナリズムのミニチュアですらない。  それに対向する考え方としては、一つに、国際協調主義をきちんとやること。ナショナリズムというものをもう一段上にあげた形で、国連を中心とした国際間の調整機能を強化していく。ただ、今の国連は国会だけがあって司法もなければ行政もないような所だから、そこはもっと強化していくしかないだろう。

 もうひとつは、世界がブロック化していくという大きな流れがあって、それはヨーロッパが典型なんだけど、アジアも今、ASEAN(東南アジア諸国連合)を中心としたブロック経済化がすすんでいるわけ。ASEANはアメリカとつかず離れずなんだけど、今後は離れていく可能性もある。むしろ中国により引きつけられているといった方がいいかもしれない。そうすると世界は、南北アメリカと中国を中心としたアジア、ロシアも含めたヨーロッパ、あとアフリカはどこへ行くのかまだわからないけど、こういうふうに世界が大きな3つのブロックに別 れていくわけじゃない。当然、日本はアジアのブロックに行かざるをえないんだけど、日本だけアメリカとくっついていこうとするわけだよね。これは、やっぱり経済的にも政治的にも成り立たないと思う。やっぱりアジアの一員としてやらなければ21世紀はやっていけないんじゃないかな。

●殺すな、死ぬな!

──最近の吉岡さんの言葉「戦争のできる国に向かうなかで、君よ、殺すな、死ぬ な!」についてお聞きします。「殺すな」っていうのは、かつてのべ平連(註3)のスローガンですが、ここに「死ぬ な」と付け加えたのはどういう思いからですか?

 これは、今の日本のひどい不況から、首をつったり、電車に飛び込んだりする状況の中で、ちょっと待てよと、追いつめられた人に、その孤立した状況を固定化することはないだろうという語りかけです。そうやって死んでいく人はみんな孤立してるじゃないか。年間に3万人が自殺するという状況はやっぱり異常だよ。

──ベトナム反戦の時代との違いとして、今の日本は、吉岡さんが『M/世界の、憂鬱な先端』で書いたとおり、非常に不透明な社会になっているわけですよね。他人は何を考えているかわからないし、理解できないような凶悪犯罪は次々起こるし。

 自分と社会、自分と世界というものがこんなに近くで直に向き合っていて、みんなが内側にこもってしまうという状況はとても不幸だよね。僕は「友達30人説」っていうのを言ってるんだけど、それは小学校の同級生が30人で、それが中学・高校と続いて、大きな会社に入ったとしても、つきあいがあるのはせいぜい30人ぐらいってことなんだけど、今の子供に聞くと友達30人もいないもんな。もちろん僕がここで言ってる30人っていうのは、趣味や意見が違っても、話ができるって人を入れてるんだけど。趣味でもいいし、テレビの話でもいいし、戦争の話でもいいし、なんでも話ができる奴を30人ぐらい作っておく。そうやっておけば、たとえ白装束が近くに来たって、その30人の関係の方が密度が濃ければ、全部の興味が白装束にいっちゃうことはないと思うんだよ。

 ところが、今、多くの人が関係性を奪われて、自分の関心の領域まで奪われ、どんどん孤立してしまって、結局インターネットで自殺の仲間を求めてしまう。意見の違う奴も含めて自分の近くに30人ぐらいいれば、社会でどんなことがあっても、その関係性がクッションになってくれるじゃない。そういうクッションになるような30人を作ったほうがいいというのが「友達30人説」なんだけど、そういうのがないととてもやっていけないよ。だから、経済的に息詰まっているんじゃなくて関係性に息詰まっている、それが今の日本の憂鬱だと思う。

──アメリカはどうなんですか?

 アメリカは日本ほど若い奴が自殺してないでしょう。老人の自殺は多いけど。日本のように30代、40代が多いっていうのはやっぱり異常だよ。

──やっぱり日本は「憂鬱な先端」なんですね。

 そうだと思うね。不安というのが、単に飯が食えない不安だとしたらわかりやすいんだけど、そうじゃなくて、文化の軸がないことに対する不安でしょう。軸がないからインモラルになる。外から強制されるモラルじゃなくて自分の中に育っていくモラルがなくなるから。そこが日本の一番の問題じゃないだろうか。

●権力へのパラサイトを拒否せよ!

──そうした憂鬱な不安の中で剥き出しになった個人に対して、個人情報保護法みたいな法律が出てくるのは怖いですよね。

 個人情報保護法は、単に条文の一つ一つではなく、その法律が持っている思想そのものが問題なんだ。つまりすべての人間のアイデンティティを管理すること、それはセンシティヴ情報も含めてなんだけど、そういうものを行政や公権力が管理する、それを明け渡すことによって、大災害や有事の時にはあなた達の面 倒を見てあげますよという思想、それが問題なんだと。生きてる中でいろんなトラブルがあったとしても、なるべくお上を頼らず、個人と個人の間でそれを解決するという考え方が本来当たり前なのに、行政が介入することで個人は安心するし、トラブルも解決するっていう考えが植え付けられてしまう。それは、個人を権力に対してますます依存させるような、権力の寄生虫のようにしか生きられないような、そういう考え方を作り出していく。これは大きな問題でしょう。

 もちろんそうやって生きてる方が楽でいいよって人はいっぱいいるよ。パラサイトで生きたい奴はそう生きればいい。でもそうじゃない、そういうのはイヤだって奴に対しても、法律は例外を認めないから。法律の条文がどうのこうのよりも、こうした思想が植え付けられるような法律に対しては、きっちりNOを言っていかないと僕達の社会はとりかえしのつかない所に行ってしまうと思う。今、個人情報保護法だけじゃなくて、住基ネットにしても、有事法制にしても、全部がそういう方向に向かっているから。

 権力に依存することではじめて自分の人生が成り立つんだという考え方。結局、お前は無力だと、お前は弱い人間だから一人じゃ生きられないんだということをずっと言われ続ける。そんな人生やりきれんよ。

(註1)個人情報保護法案拒否!共同アピールの会
──2001年3月に上程された『個人情報保護法案』に危機感を覚えたジャーナリスト、作家、フリーライターを中心にして結成された。

(註2)『千人祈』
──「インターネットの住人達による言葉の千羽鶴」として、ホームページ上でイラク反戦の一行詩を募集した所、3月26日の最初の書き込みからわずか2日で1200を超える言葉が寄せられた。千人祈URLは、
http://www.g-labo.to/word_crane.html

(註3)べ平連
──ベトナムに平和を!市民連合。1960年代後半から70年代にかけて活動したベトナム反戦の市民運動体。


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