アッラーの花嫁たち  BOOK
ユリヤ・ユージック (WAVE出版)1800円+税

なぜ「彼女」たちは生きた爆弾になったのか?

 う〜ん、凄い!一介のロシア20数歳の女性ジャーナリストであるユリアがロシアチェチェンの「自爆テロに向かう女性達」の真実を求めて、直接チェチェンに入り、ロシア警察や諜報部を相手にして、内側からの取材活動を始めるのである。彼女は永遠にやむことなく続く戦いの中でお互いに殺し合う「あちら側」や「こちら側」の連中に会って取材したのだ。当然この本はロシアでは出版禁止になる。
「私は1年かけてチェチェンの隅々を回り自分自身を爆破したこれらの女性達に関する事実を一片ずつ集めて来ました。・・・嘘・嘘。嘘があふれています。私達は皆、偽りの中で生きているのです。私たちはテレビのブラウン管から流れる言葉を信じています。」
と筆者ユリアが言う通り、これは日本のマスコミにも国民にも言える話だ。本書は「この女性達は本当に自らの信念を持って自爆テロを行なったのだろうか?」と言う一つの疑問から取材活動が始まるのだ。
 麻薬漬けにされた女性、ドンファンみたいな色男に騙される女性、貧困で両親から売られた女性、夫が理由なく処刑され一人残された女性、こういう「スカウトマン」に連れさらわれた選択肢のない女性達は、好むと好まざるに関わらず体中に爆弾を抱え、夢遊病者のごとく標的に向かい、彼女たちを操る男達はリモコン操作をしながら、一方ではビデオカメラを回しながら自爆テロを行うのである。
 筆者は訴える。チェチェンではイスラエル人によって殺された自分の肉親の復讐の為に死に向かっているんではないのだ! 「遠隔操作で彼女たちは自爆させられているのだ!」と・・・。(平野悠)

亡者の家  BOOK
福澤徹三 (光文社文庫)476円+税
リアルホラー旗手の新作!
フリーター描写に経験者ならではのリアリティー


 様々な職歴を経た作家。実話怪談も手掛ける。年齢も近い…と、われらがゴミ鍋マスター平山夢明と一見類似点の多いように見える著者福澤さん。実際とても親しいご友人同士であられます。実録怪談集『怪を訊く日々』を大変興味深く読んでおりながら、最近まで小説は未読だったのですが、今、私は大変そのことを嬉しく思っております…だって、これから福澤さんの小説をどんどん読んでいけるんだもの! 今まで読んでいなかったことを後悔する代わりにそんなことを思いたくなるくらい、とても私にはフィットする文章でした。平山さんが割と冒頭の方からグワーン! ガシーン! と鉛のギロチンのごときショック・グロテスク描写や突拍子もない狂人、異世界を描くのを得意となさるのに対し、福澤さんは日常の些末な光景をしっかり積み重ねて描きつつ、少しずつ違和感や人間同士の不和を積み重ね、それこそ真綿で首を絞めるがごとく読者をじわじわ追い込み、やがて後戻りの利かない恐怖に取り囲まれてしまう…そんな作風の違いがあるように見受けられました。クセになります。  本作の主人公は推定20代後半、私大中退でビデオ屋、コンビニ、居酒屋のホールとフリーター生活を続けていたが、彼女ができたのを機に就職活動した青年。しかしいざ正社員になろうとすると敷き居が低そうに見えて世間の壁は厚く、やっと決まった仕事が…中小規模の消費者金融、いわゆるサラ金、金貸し。この設定には様々な点でリアリティーを感じました。大人の作家がフリーターの若者を描こうとする時にありがちな「無目的、無軌道さ」への微妙な羨望がなく、かといって説教臭くもありません。また、「腎臓売れやゴルァ!」なトイチトサンの闇金ではなく、法律はきちんと守って夜9時以降は取り立てできない「中小企業」サラ金。つまり作中で極端な描写がなかなかできない訳で、この「中途半端感」、なかなか難しい設定だと思いますが、巧みなストーリーテリングによりぐいぐい読まされてしまいます。元フリーター青年の焦燥感、心理描写に説得力があるのは、営業/飲食/アパレル/デザイナー/広告代理店/講師…と経てきた福澤さんならではでしょう。ホラーなのか業界小説なのか途中まで考えずに途中まで読んでいました。怪異は現れるか現れないか…それは読んでのお楽しみ。何ごとにも中途半端な若者の成長小説、青春小説としても読めるので、ぜひ進路に悩む若い方々にも読んで頂きたいものです。 (尾崎未央)
CDは株券ではない  BOOK
菊地成孔 (ぴあ) 1500円+税

菊地さんはいったいどこまでいってしまうのだろう

「毎月、JポップのシングルCDを3枚選び、発売4週目までの売上げ枚数を予測する」というのが、この本の表向きのコンセプトです。が、それはあんまり重要じゃない。そもそも、何枚ぐらいの誤差ならOKなのか、その辺、実にいい加減。本文に登場する担当H氏は、答え合わせの度に「また外れです……」を繰り返し、一方の菊地さんは「5000枚差ぐらいニアピンにしない?」とか「なぜか3枚とも予想結果が84200枚に!」とか、どんどん暴走。
 この本には2003年9月〜2005年5月分までが収録されているのだが、ミリオンセラーは2003年に1枚、2004年に至ってはゼロ。さらに、最終総売り上げと4週目までの売上げがほとんど変わらないのだ。ショボッと売れて、サクッと忘れられる。その繰り返し。CD、思ったほど売れてないのだ(菊地さんも始め、実売数のきっちり10倍の数字を予想してしまうという凄いんだか凄くないんだか分からないナゾの能力を発揮しているし)。
 でもまあその中でも、売れたり売れなかったりの差はあるわけで、平井堅の微妙なソフトヴォイスに隠されたサービス過剰さと売上げの関係を指摘したり、ORANGE RANGEが他の「パクリ」と違ってなぜここまで肯定されたかを論じてみたりと、一応、「商品」としての音楽を毎回、異常なハイテンションで語っている。まあ、ヨタ話も挟みつつ。どこまで本気なのかわかんないまま、論理だけはスッキリと、勢いにまかせてザクザク語ってゆく手付きは、やっぱり天才的。どんな素材でもあっという間に調理してみせる板前みたいで、とにかく読んでいてヒジョーに心地よい。普段Jポップをほとんど聴かない菊地さんはこの企画を、面白がってんだか無理矢理テンション挙げてやってるんだかわからないが、まあ、読むヤツの怒りだか爆笑だかなんかその辺の感情を刺激してくれることは間違いない。
 この饒舌体の文章は、もしかしたらダンスホールユニット、ジャズグループ、映画音楽にもの書きに音楽講師、環境から産み出されるものなのかも。菊地さん、死なない程度にこのまま過剰な横溢を続けて下さい。音楽でも文章でも。 (LOFT BOOKS:今田 壮)

電波大戦 ぼくたちの"護身"入門  BOOK
本田 透 (太田出版) 1554円
電波男十番勝負(その2)=高等非モテの理論と実践!

 恋愛至上主義、という恐怖の思想に支配された負け犬どもの蠢くこの3次元から脱出し、萌えの渦巻く理想郷である2次元への解放と解脱を説いた『電波男』。著者である本田透がその余波も覚めやらぬうちに第2の矢として放ってきたこの『電波大戦』、『電波男』が理論編であるとすれば今回のこの本はまさに実践編、有名になってきたヲタには必ず忍び寄ってくる現実女性からの「モテの魔の手」にどう対抗し、萌えへの信仰を守り抜くか、これを迷える小羊本田きゅんが偉大なる先人達の教えを請う、といった内容になっているわけであります。  エヴァブームの時にクルパー女にとっ捕まって身ぐるみ剥がされた竹熊健太郎師、「もはやこの世に愛などない」と悟りきり、パイプを結んで実践鬼畜ルートをたどり、遂には恋愛本まで出すに至ったオタキング岡田斗司夫師、今イケイケの新世代作家であるにもかかわらずメンヘルな彼女との生活に苦しむ滝本竜彦きゅん…良く考えるとこんな色んな大変な目にあった人たちに「モテないためにはどうしたらイイですか」とのこのこ聞きに行く、ってのも相当失礼な話ですが。
 しかし『電波男』では世のヲタたちにさんざ「3次元に希望はない、2次元へと旅立て!」とアジっておきながら、今回はオタク界のビッグ・トゥモゥロゥかよカリスマスクかよ、オレ達はおいてけぼりでございますか、そりゃないだろう、と思う皆さんもいらっしゃるのでありましょうが、何その辺りは尊師達のお言葉のあとに、さらなる実践修行の場、野試合として極真道場でキビしくしごかれたり、合コンにむりやり連れてかれてリアル女性にヒドい目にあわされたり、「やっぱ現実世界はオッかねぇ…」と見事にまとまっているのだからそれはそれでよしとすべきなのではないでしょうか。何よりこの本全体を通して満ち溢れている「モテ=悪」という思想は衝撃的です。それを対談者が1人も疑わないのはもっと凄すぎます!
 加害者(オタキング)、被害者(竹熊、滝本)というカテゴリーに唯一当てはまらない最後の哲人、倉田英之師(アニメ『R.O.D』や『かみちゅ!』制作者)のお言葉がなんといってもこの本最大の読みどころです。収入の全てをDVDに費やし、『恋風』1巻だけを24冊も買い、「女性とは会話のリージョンコードが合わない」「女はDVDプレーヤーにかからない」「女性的なものは紙か、.jpgで十分」と素晴らしすぎる名言の数々…完璧にあちら側に旅立っておられます。そんな生活をしていても倉田先生は自分の生み出したキャラクターのコスっ娘に惚れられたりするんですよ(しかももちろん付き合わない)! 完成し過ぎです先生!
 本田きゅんは果たしてこの倉田先生の涅槃の境地を目指すのか、それともこのまま世界革命を目指して世のオタクへの偏見と闘い続け、くらたまとやりあったりデリへルで中村うさぎを指名しといてホントに来たらチェンジ…したりするのかどうかは判らないが、今後はやはり実に実に興味深いのでありました。(多田遠志)
※ 10/27に本田透さん主宰のイベントがロフトプラスワンにて開催されます
放送作家のススメ BOOK
鮫肌文殊 (幻冬舎文庫)
放送作家という生き方

 放送作家というと、今では憧れの職業のひとつだが、その仕事内容について具体的なイメージを持つ人はなかなかいないのではないだろうか。多分、小説家や映画監督みたいに、その入り口もやり方も人それぞれだと思うが、その多様な中にも、やはり放送作家という共通した特徴があるはずだ。
 古館プロジェクトのブレーン集団「アングル」は、日本でも珍しい放送作家の集まりで、学生など若い人達を対象に無料セミナーを開催し、放送作家という職業の育成を行っている。そのコンセプトは「視点、観点さまざまな角度からモノを見て創造する」といったもので、アングルという名前もそこから付けられているようだ。
 本書は、「アングル」の講師である売れっ子放送作家の鮫肌文殊が、自身の経験を元に放送作家の仕事内容を綴ったもので、ぶっとんだ面白さの中に放送作家という生き方がはっきりと浮かんでくる。放送作家志望でなくとも、面白い発想を目指す人には非常にためになる本だと言えるだろう。(大口波人)
ごっしーのVIVA!VIVA!モーニング娘。 COMIC
ごっしー(作) やまのうち直子(画) (マガジン・ファイブ)1500円+税
モーニング娘。は永遠に不滅ごし!

 90年代の「アイドル冬の時代」を終わらせ、再びアイドルという存在に光を当てたのがモーニング娘。だとよく言われるが、モーニング娘。は芸能界のみならず、その周辺にも多様な文化を生み出した。そのひとつが、いわゆるモーヲタ(モーニング娘。の濃いファンの総称)と呼ばれる人達だ。
 もちろん昔も人気アイドルには「親衛隊」などと呼ばれるファンのコミュニティが存在したと思うが、親衛隊がどちらかというと閉鎖的な体育会系的縦社会だったのに対し、モーヲタは多種多様な人達が入り乱れ、それぞれがゆるやかに繋がっているという特徴を持っている。アイドル冬の時代を生き抜いたアイドルオタク達、「浅ヤン」「ラブマシーン」などから入った若い世代、かつての親衛隊の伝統を受け継ぐ者達、キョンキョン的なサブカル文脈からハマった人達などなど、モーヲタの間口は広い。そして本書の著者であるごっしーは、雑誌編集者として主にロック周辺の仕事をしていたのが、30代になってからいきなりモーニング娘。にズッポリとのめり込んでしまったという遅咲きのモーヲタだと聞いている。
 この「VIVA!VIVA!モーニング娘。」は、30代でアイドルの追っかけをはじめたごっしーが、モーニング娘。の現場という現場に出かけ、狂ったようにその模様をレポートするという、おそらく史上初のアイドル追っかけドキュメンタリーマンガなのだ(マンガ化を担当するのは、やまのうち直子さん)。モーニング娘。そのものが、その長い歴史に様々なドラマを持つグループなだけに、ごっしーのレポートの内容も毎回盛りだくさんだ。とりわけ、ごっしーが神と崇めるなっち(安倍なつみ)の卒業コンサートのレポートは、ファンならずとも感動的なドラマとして読めるだろう。
 マンガ以外の読みどころとしては、ごっしーが各地の会場で撮影した写真もなかなか見応えがある。押しメンの名前を刺繍したハッピや、オリジナルTシャツ、コスプレ、横断幕、車の装飾などなど、日本独特のアイドル文化が集約されているといった感がある。これだけでも立派な歴史的資料と言えるだろう。
 本書の出版を機にごっしーとしての活動に一区切りつけた著者だが、今後もモーニング娘。の現場には通い続けるという。この本がきっかけでモーヲタの世界に入った人は、是非会場でごっしーの姿を見つけて一声かけてみてはどうだろう。 (加藤梅造)

※10/13に本書の発売記念イベントがネイキッド・ロフトで開催されます。
「ごっしー'S モーヲタ・トークショー 2000-2005」
【出演】ごっしー、やまのうち直子【司会】ビバ彦
ビューティフル ボーイ  MOVIE
10月15日よりシネマスクエアとうきゅうほか全国順次公開
最強の「女」ムエタイ・ファイター

 7年前、試合前の計量で「他の選手や報道陣の前では裸になれない。」と、涙ながらに訴えたムエタイ選手がいたのを覚えているでしょうか。タイの国技であるムエタイの最強戦士でありつつ、神聖なリングに化粧をしてあがる。個性的だったその選手の名はパリンヤー・ジャルーポン。この映画は、日本のマスコミに「おかまちゃんボクサー」と、表面だけを取り上げられてしまった、このパリンヤー(愛称・トゥム)の半生を忠実に描いた作品である。
 バンコクの貧しい家庭に生まれたトゥムは、幼い頃から、自分が本当は女の子であることをきちんと理解していた。しかし、タイの宗教観や父の期待を裏切ってまで、そのことをカミングアウトするには、彼(女)はあまりに優しすぎるのだった。周囲に求められる自分のあり方と、本当になりたい自分とのギャップに苦しみつつ成長し、ようやく出会ったムエタイ。リング上で相手を倒した時に沸きあがる歓声は、トゥムが手に入れた、唯一自分の存在を認められる場所となる。そうして、着々とムエタイの道を駆け上がるも、頂点に近付けは近付くほど、トゥムは心のなかの「本当の自分」と葛藤するのであった。
 映画のなかにも、例の計量シーンが登場する。トゥムの心の葛藤を知る前は、自分も彼(女)を取り囲むマスコミと同じ目をして、テレビの前に座っていたことに気付き、ショックを受けた。「性同一性障害」というテーマは、最近では映画やドラマでも扱われるようになったが、実話がベースというのは、やはり重みが違う。「おかま」として、笑いだけに走るのではなく、「障害」として、深刻なお涙頂戴ものにするのでもない。彼女が自分の変貌を通して伝えたかったこと。それは、人にとって大切なのは、「自分の限界を知ろうとすること」ではなく、「自分の希望を明確に把握すること」なのだ。目指すところを、正確に捉えているからこそ生まれる「強さ」というのは、男も女も関係ない。そのメッセージがしっかりと伝わるこの作品を、男女を問わず是非鑑賞していただきたい。 (杉浦もも子)
がんばれ!ベアーズ/ニュー・シーズン  MOVIE
9月23日(祝)より、みゆき座ほか全国ロードショー(UIP映画配給)
愛すべきベアーズが再びスクリーンで観れる!

 1976年に公開され全米、そして日本でも大ブームを起こした野球映画『がんばれ!ベアーズ』が、29年ぶりにリニューアルされて帰ってきた。当時、僕は小学生だったが、この映画を夢中になって観たことを憶えている。野球を題材としたアニメやマンガ、ドラマはその頃には既にたくさん存在していたが、今思うと、日本のそれはスポ根路線というイメージが強かったのに比べ、この『がんばれ!ベアーズ』は、根性よりもユーモアという点がよかった。なにしろ、弱小チーム・ベアーズのメンバーは、野球が下手だけでなくやる気もゼロだし、その上、デブ、チビ、黒人、メキシカン、とろくな奴がいない。そこに、金目当てで雇われた監督バターメーカーはよりによってアル中のダメ大人。初試合は、1回表に相手チームから26点取られて試合放棄するというさんざんな結果に終わり、ベアーズはいきなり解散の危機を迎える。しかし、一応、元プロの投手だったという経歴を持つバターメーカーは、そのわずかなプライドからか、チームの強化をなんとなく考え、元恋人の娘で、かつてピッチングの技術を教えたアマンダをチームに誘うのだ。
 なんだかんだありつつもアマンダがベアーズに入った所から、徐々にチームは活気をみせはじめ、さらには、とんでもない不良だが野球は上手いケリーが加入するに至って、いよいよベアーズの快進撃が始まる。
 なんといってもこの映画の魅力は、女の子のピッチャー、アマンダの存在だ。旧作ではアマンダを演じるティータム・オニールが抜群に可愛かったが、今回アマンダ役のサミー・ケイン・クラフトがどれだけの魅力を出すのか? そして、もうひとりのキモ、ダメ監督バターメーカー役がビリー・ボブ・ソーントンというのもかなり期待していいだろう。
 そして、なにより注目なのが、『スクール・オブ・ロック』のリチャード・リンクレーターが監督を務めている所だ。ベアーズを現在に甦らせるのにはまさにうってつけの監督と言えるだろう。
 ベアーズと宿敵ヤンキースとの最後の名試合をまた観られると思うと本当に楽しみだ。(加藤梅造)
パープル・バタフライ  MOVIE
11月新宿武蔵野館ほか全国公開
「時代」を生きた蝶の強さ。そして、儚さ。

 金髪女性たちから羨望のまなざしを受けるなか、艶やかな黒髪をなびかせ、「インナ・ビューティー。」と微笑む美女。このCMでもおなじみ、今や、アジアン・ビューティーの代名詞となったチャン・チィイー。日本でも、出演作品が目白押しの彼女が、我らが中村トオルと共演し、さらには、2003年第56回カンヌ映画祭コンペに正式出品されたのが、この映画「パープル・バタフライ」です。  しかし、この映画のチャン・チィイーは、ボサボサの黒髪を無造作に結い、(普段の凛としたメイクの代わりに)すっぴんに近い顔に、煤汚れをつけて登場します。まずは、そのギャップに度肝を抜かれましたが、驚かされるのはそれだけではありません。・・台詞が少ない。彼女が、仕事帰りの中村トオルを出迎え、帰り道を並んで歩き、部屋で2人きりになる。そのシチュエーションなのに、台詞がない!大抵の映画は、観客にキャラクターの設定を掴ませようと、始まってすぐは、「キャラ解説」ともいえるような台詞を差し込んでいるように思えます。それに慣れているせいか、「この2人は恋人でいいのか。それとも仕事仲間、いや兄弟?」と、いろいろ考えさせられました。そして、2人の演技や表情から、必死に設定を読み取ろうとする。そう意識を働かせているうちに、始まって10分足らずで、すっかりこの映画に夢中になっている自分がいました。スタートから、「この映画、なんか違うぞ。」と思わせてくれます。  ストーリーは、1920年代後半の満州で、この2人が離ればなれになるシーンから始まります。そして30年代なり、社会が戦争に包まれた時、ふたたび再会を果たす2人は、もはやかつての恋人としての関係を築くことはできなかった。なぜなら、離れている間に、男は日本軍の諜報員として、女は反日組織の要員となっていたのです。時代の流れによって、対立する関係となってしまった彼らは、それぞれの想いを胸に、悲劇的な運命へと導かれていきます。  本人たちの想いや絆、それよりも「時代(風潮)」が大切にされた過去は、確かに存在したのでしょう。しかし、現代に生きる私たちにとっては、いまいち実感が湧かないのも事実。この作品には、「戦争」という時代に巻き込まれた若者が登場します。そして、それぞれが葛藤しながらも、その時代を生き抜く姿が存分に描かれています。そこに、先にも書いた台詞を抑えた演出の効果も加わり、その心の葛藤を、表情やしぐさのひとつひとつで表現しています。ストーリー自体、展開、そして役者の演技と、全てが見ごたえたっぷりの作品となっています。 (杉浦もも子)
不滅の男 エンケン対日本武道館  MOVIE
10月15日よりテアトル新宿ほか全国順次公開(アルタミラピクチャーズ配給)
前人未踏、唯一無比のライブ映画

 音楽家とは、常に新しい表現を志していく存在だと思うが、それは長く続ければ続けるほど困難な作業だ。まるで、いつまでたっても頂上の見えない山を一生登るが如く。
 遠藤賢司ことエンケンは、1969年のデビュー以来36年間、ずっとその困難な道を走り続けている。時には転んだり倒れたりするが、基本的に後退や停滞はない。だからいつの時代にもエンケンは多くのリスナーにリスペクトされ続けている。
 そして今、そのエンケンの映画ができたという。監督・主演・音楽 遠藤賢司。僕はまだ未見だが、映画の概要を聞くだけでわくわくしてくる。企画のはじまりは、遠藤賢司のライブ映画を作ろうという話だった。そこでエンケンが選んだ場所は日本武道館。しかも無観客ライブ。エンケンと日本武道館が一対一で対決するのだ!この突拍子もないアイデアを実際にやってしまうところがすごいと思うが、舞台設定もエンケンらしい。武道館のアリーナに二百台のアンプを積み上げて創った富士山、その麓に、巨大なミラーボールがぶら下がる四畳半のステージ。そこに登場した九十九歳史上最長寿のロックンローラーが、二十曲をひたすら演奏して帰って行く。
 おそらく映画館はこれまで観たこともないライブ会場に変貌するだろう。僕は今、このエンケン対武道館の対決を早く観たくてしょうがない。 (加藤梅造)
ステルス  MOVIE
10月8日(土)より日劇1ほか東宝洋画系にて全国ロードショー(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給)
圧倒的にリアルなアクションシーン。
これは未来に起こるべき可能性のひとつか?


「ステルス」では領空侵犯というキーワードが出てくるが、正直、国の境目がない島国の平野で育った私にはピンとこない出来事だ。しかしスリリングにみせてしまうのは、アクション映画の土壌ならではか。いや物語の中心にSF的存在を内包したガジェットがあるうえで人間ドラマ、ストーリーのダイナミズムを語るという、アクション映画としてシンプルにして正しい選択の一つをしているからかもしれない。
 ともかく後に暴走してしまうが、無人ステルス戦闘機・エディ(E.D.I.)は機械にして人間的だ。けれど機械である。その魅力を思うと、映画なら、アイアンイーグルのF16、ブルーサンダーのヘリ。テレビならナイトライダーのナイト2000、エアウルフetc…。
 その中でもナイト2000は大好きだった。しゃべって、ポーカーもつきあい、小言を言いながらここぞという時は大活躍。「あったらいいなあ…」をナイト2000に思っていた。無意識な願望はそこにあった。この映画はアメリカで大ヒットらしい。探知できずに領空を飛べるガジェットに願望を?
 今のアメリカの願望と不安はなんなのだろう。そういう視点でこの映画をみても興味深いのではないだろうか。 (斉藤友里子)
長州小力 VS アントニオ小猪木
〜お笑いど真ん中〜In 西口プロレス
  DVD
3800円で発売中
本文は「小力について僕が思っている二、三の事柄」です

 最近…やたら長州小力見かけますよね。小力パラパラでブレイク、色んな所に出ずっぱりですもんね。お笑いブームも先が見え、必死にあるあるネタで喰いつなぐ「クラスの面白い奴」レベルのお笑いタレントどもが、残弾も尽きてバラエティーに引きずり出され、貧しい女関係等のプライバシーを切り売りし、トークにからめず脂汗を流している中にあって、「長州力のマネ」と言う1ネタ(しかもこれってネタって言えるのかがそもそも疑問)のみで渡っていく小力の存在は、非常に目立つ、と言うか特異すぎると言わざるを得ない。そもそもブレイクしていること事態が摩訶不思議だ。何故なら彼を「可愛い」などと言う女共のほとんどはおそらくいや絶対、その元ネタである長州力がどんな姿か、全く知りはしないのだ。そもそも小力が真似している長州(ややこしい)は革命戦士であった80年代あたりの長州なのだから、ますます判るわけがない。ほとんどその成り立ちからして理解されていないのに、大ウケしている、何か純粋芸術的なテイストすら持つ、実に不思議な存在なのであります。個人的にはリーヴァンクリーフ以来のワシっ鼻タレントとして重要、と考えますが。
 カリスマスクおちまさとが大いに小力を気に入り、彼が構成している番組全てに、内容にマッチするかどうかは全くお構いなく小力をムリヤリ突っ込んだりしたおかげでか、予想より(おそらくは本人の予想も)はるかに上回る大ブレイクを見せた小力。この前なんかニュース番組に出てて、報道フロアでパラパラ踊ってましたよ?他の芸人のようにバラエティーにて意外な素顔…なども見せる事なく、彼は今日もTVや舞台で請われるままにパラパラを踊っているわけですが。
 しかし彼の今後、って果たしてどうなるんでしょうかね? 筆者が危惧するのは、このままの調子で露出を続けているといずれは長州力本人に対面せざるを得ないのではないだろうか? それってどうなのか? そもそも既に会っているのか、元々小力の芸は長州の許諾を取っているのか、寡聞にして知らないのだが、なかなか気難しい、というか一癖あると評判の長州が相手、もし無許可であった場合、その対面の日は小力に取って長年の憧れの人に会える人生最良の日にして同時に人生最期の日、…なんて事も夢想させる、ますます目の離せない存在であるそんな小力。ぜひその障害を乗り越えて長州との間にコロッケ&美川的相互扶助関係を築いてもらいたいものです。 (多田遠志)
※ DVDには西口プロレスの試合の模様、名場面集に加えて、小力自身による「小力パラパラ」振り付け解説収録!

男の墓場プロダクション映画 『任侠秘録人間狩り』 『怪奇!幽霊スナック殴り込み!』
2006年1月21日から 二本立て公開(シネマアートン下北沢)