2017年2月

01(水)

キミもボクもライター! ルンルンライター跳梁跋扈時代、オッサンライターに色々言わせろの宴


OPEN 18:30 / START 19:30

前売・予約¥1,800 / 当日¥2,000(共に飲食代別)
前売は1/14(土) 10:00よりe+およびweb予約にて受付!

※ご入場はe+チケットお持ちの方、web予約の方、の順番です。
↓web予約ご希望の方はこちらから↓

このイベントの予約は締めきりました。

【出演】
神田憲行
オバタカズユキ
松浦達也
中川淳一郎

昨今「クラウドソーシング」とやらの発達とブログで誰しも文章を書けるようになりました。まぁ、それはいいことではあるのですが、何をもたらしたかといえば、「文章なんて誰でも書ける」ということからいわゆる「ライター」のギャラ減額&ライターの地位低下です。

まぁ、時代が時代だからそれでも構わないのですが、ちょっとライターの仕事を長年やってきたオッサンからするとやや複雑な感情ってのがあるんですよね。どんな複雑な感情かは当日阿佐ヶ谷ロフトAで語るにしても、こうした前提をもったうえで、今こそ「ライター」「編集者」「文章のプロ」といったイシューを真剣に語るべきではないかと思うのです。あとは、アホライターの情けなさも断罪しなくてはならない。

イラストレーターやプログラマーは特殊能力があると思われている。しかし、ライターは誰でもできるお手軽な副業♪ ルンルン! みたいな感じになっている今、「あのよ……、そこまでラクじゃねぇーぞ」と言いたいオッサン4人がライターというお仕事について語ります。

参加者は神田憲行(53)、オバタカズユキ(52)、松浦達也(47)、中川淳一郎(43)。雑誌ライターとして色々仕事をしてきましたが、今でもお仕事はいただけているワケでした、いかにオッサンになっても生き残るか、といった話もします。

さぁ、以下、各人のプロフィールですが、無駄に長く、いかに我々4人がメンドーなオッサンであるかがよく分かるかとは思いますが、一応モノカキとして長期間にわたって生き残ってきた証を記しておきますね。

■神田憲行
1963年大阪市生まれ。関西大学法学部卒。バブル期にかかわらず就活でほぼ全滅して、普通の人が普通にできることが自分にはできないことがわかる。かねてから尊敬していたジャーナリストの故・黒田清氏の独立に際して、無理矢理押しかけ弟子となる。月給10万円、ほぼ毎日「アホボケカス死ね死ね死ね」と罵られながら2年間勉強させていただく。

独立後東京に引っ越して、貯金13万円、東池袋の家賃3万円風呂無しアパートからフリーライター生活を始める。20代の終わりにライター生活が行き詰まりを感じてベトナムのホーチミン市で日本語学校教師になる。月給100ドル。約一年間の滞在ののち、実家に戻り、30歳で母親から毎月5000円のお小遣いをもらう生活を半年近く送る。ベトナム経験が書籍化されることになり、その印税でまた東京に行く。98年、「ハノイの純情、サイゴンの夢」(講談社文庫)、同年「横浜vs,PL」(共著・朝日新聞)ともによく売れる。

高校野球取材は93年から始めて今も継続中。2006年「八重山商工野球部物語」(ヴィレッジブックス)、同年日本エッセイストクラブが選ぶ「年間ベストエッセイ」のひとつに選ばれる。2014年「謎の進学校 麻布の教え」(集英社新書)が1か月の間毎週増刷される。2016年、日経ビジネスオンラインにて「今だから知りたい 憲法の現場から」という憲法をテーマにしたノンフィクションの連載を始める。ネットで憲法がテーマで、しかも8000字近いノンフィクションということで先行きが危ぶまれたが、第1回の「尊属殺重罰規定違憲判決」が3月の同サイトのアクセスランキングで一位になる。良い文章さえ書けばネットも紙も読者はついてきてくれると確信する。

現在は他に「ニュースポストセブン」に毎月、「ヤフー特集」に不定期に寄稿している。妻有り、子無し、ヨメが買ったお家に住まわせてもらってます。

■オバタカズユキ
1964年東京都生まれ、千葉県育ち。大学卒業後、出版社に就職するも2ヶ月弱で退社。塾講師などを経て、1989年よりフリーライターに。師匠にあたる人物はおらず、徒手空拳で仕事を覚えていったが、駆け出しの90年代前半に『別冊宝島』『クレア』の編集者から受けた数々の指導は今でも忘れられない。

著書に、『大学図鑑!』シリーズ(監修・ダイヤモンド社)、『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『ペットまみれの人生』(扶桑文庫)、『大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)ほか多数。近年は裏方仕事も多く、話題の書に、編集協力した『統合失調症がやってきた』(イーストプレス)、企画編集した『国のために死ねるか』(文春新書)、最新刊としては企画構成した『クラッシャー上司』(PHP新書)がある。妻子あり、借金なし、借家住まい。

■松浦達也
1969年東京都武蔵野市吉祥寺南町生まれ。小学校~中学時代は世界の文学全集や星新一のショートショート全作を読み倒す読書少年。現代国語のみ神童で、その他文系は中の中。理系は赤点多数。高校入学後、バンド活動に精を出すようになり、このあたりから「ごくつぶし」期(銀行員だった実父談)に突入。進学した大学除籍後もバンド活動で20代中盤までを食いつぶす。この頃、友人のバンドのライナーノーツや音楽系のフリーペーパーの原稿を趣味で受けるように。

バンドが解散し、飲食店の面接を受けようかと考えていたところ、週刊SPA!の編集者から声がかかり、本格的にキャリアスタート。当初数年間は「おめえはうちに出入りしてるライターで、一番ヘタクソなんだよ!」と罵倒されつつ、逃げ出す先もないのですべて「はい」で乗り切っていたら、政治経済からエロまでSPA!のあらゆる特集の企画に携わるように。ピーク時にはSPA!だけで月20以上の企画に関わる。

2001年9月17日立ち上げの朝日新聞社『seven』創刊時には博報堂からの出向編集者だった嶋浩一郎氏の企画「イスラエル×パレスチナ、なんでモメてるの?」的な巻頭特集を引き受けるが、校了・下版直後の9月11日夜に同時多発テロが起き、サシカエ&ページ3倍増。増員された中川淳一郎氏も含め、以降丸3日編集部で寝食をともにする(まったく寝てないけど)。

その後も男性誌、女性誌、ビジネス誌、マンガ誌、ファッション誌などあらゆる雑誌の編集・ライター仕事をしつつ、書籍など政治家や企業家、アーティストの聞き書きの構成(いわゆるゴーストライター)や編集本も多数。企業マターではWebの黎明期から公式コンテンツづくりをお手伝いしたり、出版社やネット企業のニュースサイト(真っ当なほう)の立ち上げや運用も。

ここ数年は、趣味だったはずの「食」も軸として加わり、『dancyu』などの飲食系媒体やアマチュア調理ユニット「給食系男子」などの活動も。企画・構成した同ユニットの著書はシリーズ10万部超。近著の『新しい卵ドリル』『大人の肉ドリル』(ともにマガジンハウス)もそれぞれ増刷中。みなさん、いつもたいへんお世話になっております。

■中川淳一郎
1973年北九州市八幡東区生まれ。ただし、プロフィール上は東京都立川市出身。「人を殺すための事前準備をしていた」と立川第八小学校で飼っているヤギを殺そうと中学3年生が忍び込んだが、その小学校出身。

1997年博報堂入社。2001年退社。アメリカ在住の親には退社を黙っていたため、それがバレた時、国際電話で「アホ!」「バカ! あんた、なんばしよーとね!」と九州弁で激怒される。そこから無職生活を半年したところで、松浦氏のプロフィールにあるように「seven」の編集に参加。同時期に「日経エンタテインメント!」のライター及び、「テレビブロス」の編集も開始。

2001年末からはサイバーエージェントのメルマガのライターになり、以後、よくわからないままヒューレット・パッカードやサイバーエージェント子会社の広報を手伝ったりする。2006年からネットニュースの仕事を開始。2009年に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)を書いたら案外売れて、そこからネットに関する執筆オファーが次々と来るようになり、「惨めだったオレのライター人生が変わった……」と感涙。以後、WEBR25やNEWSポストセブン、AbemaTIMESなどの編集にかかわる。現在の連載は東京新聞、週刊新潮、週刊SPA!、週刊ポスト、日刊ゲンダイ、ぐるなび、BLOGOS、jobrass。