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1999年4月24日、歌舞伎町に移転した新宿ロフトのリニューアル・オープン初日は「公開オーディション」でした。
STANCE PUNKSを始めとする8組の新進気鋭のバンドがロフトの伝統だったオーディションに臨んだのです。日本のロック史に名を連ねる錚々たるバンドを数多く輩出してきた老舗のライブハウスが、これからの時代を担うルーキーたちに新たな門出となるステージを委ねたのは興味深い事実です。

遡ることそのひと月前、3月16日。小滝橋通りにあった西新宿ロフトの最後のブッキングは、その時点でキャリア20年以上を誇るベテラン・バンド、シーナ&ロケッツでした。
翌日の3月17日、西新宿ロフト最後の日は『LOFT FINAL PARTY』と称し、すべてのドリンクが無料の一大パーティーでした。お客さんはもとより歴代の出演バンドマンや関係者など、誰が来てもウェルカムというロフトらしい最後の饗宴でした。

最後のブッキングは大御所バンド、最後の日は感謝の気持ちを込めたパーティー。そして新たな幕開けのブッキングは新人バンド。
こうしたコントラストからもロフトが志向するライブハウスの在り方が窺えます。
仰々しい言葉を使えば、それはつまり、伝統の継承、革新への挑戦です。

1971年3月、烏山ロフトのオープンに端を発するロフトの歴史は、西荻窪、荻窪、下北沢と受け継がれ、1976年10月にオープンした新宿ロフトでひとつの完成形に達しました。
70年代のフォーク/ロックの黎明期〜成熟期はそのままロフトの歩みと重なります。80年代の空前のバンド・ブームは新宿ロフトがその震源地だったことはいうまでもありません。
ライブハウスの先駆者として日本のロック・シーンを牽引して伝統を継承していく一方、その時代に見合った新たな創意工夫を加えた革新がなければ伝統を引き継いでいくことはできません。

200〜300人のキャパシティだった西新宿ロフトから、500人収容のライブスペースとステージを併設したバーラウンジから成る歌舞伎町ロフトへの新生は、当時のロフトにとって新たな挑戦でした。
老舗ライブハウスの座に胡座をかくことなく、常に新たな視座で今の時代に見合ったコミュニケーション・スペースを絶えず創造することはロフトの使命であり、歌舞伎町ロフトは伝統と革新のコントラストを活かしたロフトならではのブッキングに取り組んできました。

あれから早20年。歌舞伎町ロフトは23年間続いた西新宿ロフトの歴史に追いつこうとしています。
2019年4月、新宿ロフトが歌舞伎町に移転して20周年を迎えることを記念して、この20年の総括とこれからの20年を見据えたスペシャル・イベントを1年にわたり開催していきます。 ここでもまた通底するテーマは、伝統の継承、革新への挑戦です。 “ROCKIN' COMMUNICATION”=あらゆるロックから生まれるコミュニケーションを発信するというテーマを掲げた歌舞伎町ロフトが、音楽が大量消費され、人間関係が希薄化していく時代にどんなブッキングを提示し、どんなコミュニケーション・スペースを提供していくのか。 新たなフェーズに突入する新宿ロフトの進化と深化にぜひご期待ください。






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