<今、阿佐ヶ谷ロフトの社会派イベントが面白い?>
阿佐ヶ谷ロフトが新規オープンしてから、もう半年が過ぎようとしている。昨年の夏頃から、この阿佐ヶ谷ロフト実現のために、私もスタッフとともにへとへとになるくらいの全力投球の日々が続いていた。中央線で新宿駅から10数分とはいえ、急行も止まらない、ローカルな昭和の臭いがぷんぷん残っている町・阿佐ヶ谷で、約60坪の店を新規開店し、営業を軌道にのせるには相当のパワーが必要だった。
何度も書くことになるが、阿佐ヶ谷ロフトでは、「社会問題」「市民運動」「土着化」が、当面のテーマとして設定されている。我々は、阿佐ヶ谷近辺の住民がそういったコアな問題意識を持っているかどうかもわからぬまま、結構センセーショナルな社会問題系のイベントをいくつも開催してきた。たぶん、その中心となって企画を立案してきたのは、阿佐ヶ谷ロフト最長老で「革命オタク(笑)」の私だ。これらの企画は、ロフトでしかできないものだと思っている。そしてそこにこそ、ロフトが阿佐ヶ谷に進出してきた価値があると思っているのだ。その結果、徐々にではあるが、これらのイベントはお客さんが入り始めている。これは私にとって実に嬉しい限りである。
<アントニオ・ネグリってなに?>
さて私は3月初めに、阿佐ヶ谷ロフトのスタッフにこう宣言した。
「来月から、阿佐ヶ谷のブッキングには手を出さない。もう俺は還暦を過ぎ老いた。あとは若い君たちがやれ」。そうしたら、こんなワケの分からない面白い企画が出てきた。
「緊急論争! アントニオ・ネグリは来なかった」
2008年3月末に来日し、2週間の滞在中に大学などで、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定で、あれだけ話題になったのに結局来日しなかったイタリアの哲学者アントニオ・ネグリ。
講演の舞台となった東大、東京芸大などでは「ネグリは日本政府の入国拒否によって来日を阻止された、自由の侵害だ」と批判の声があがっている。
ネグリをめぐっての論争が続いてますが、そもそも私たちは何故ネグリを見たかったのか!? 話を聴いてみたかったのか!?
様々な関係者を集めてのガチンコトークです。
【出演】
上岡誠二(芸術活動家)/ 平井玄(文化活動家、東京藝術大学非常勤講師)/ 毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)/ 武盾一郎(246表現者会議)/ 鵜飼哲(一橋大学教授)/ スガ〓糸へんに圭〓秀実(文芸評論家)/ 花咲政之輔(太陽肛門スパパーン)/ 矢部史郎(思想誌『VOL』編集委員)他、出版、報道関係者多数出演予定!!
【あくまで交通整理の為の司会】
奥野テツオ(阿佐ヶ谷ロフトA)
(阿佐ヶ谷ロフトAスケジュールより)
私はあわてて、このイベントを企画したテツオ店長に聞いてみた。
「あのさ〜、テツオは『帝国』とか、ネグリの本を読んだことあるの? アントニオ・ネグリって、テロリスト“赤い旅団”や“モロ首相暗殺事件”とかに関わったという噂がある人だよ。知っていたの?」
「いや〜、全く知りません。この前ヤフーのニュースを読んでいたら、アントニオ・ネグリという思想家が入国拒否されたって出ていたので調べてみると、3月に東大の創設130年記念講演とか、ほかにも藝大や早稲田で講演をするはずで、姜尚中さんとか上野千鶴子さんとか、いわゆる全共闘世代のかたが関わっていて。で、この問題については招聘した方もドタバタで、論争が続いているらしいんですよ。そんな話、聞いてみたら面白そうじゃないですか?」
「凄いね。それで、お客さんって来るのかね?」
「そこがトークライブハウスの難しいところですよね。悠さん手伝ってくださいよ。テーマは“マルチチュード”ですよ(笑)」
「なに? マルチチュードって?」
「悠さん、マルチチュードも知らないんですか? 遅れてますね」
「うっ……」
ゴールデンウィークまっただ中の5月4日、このイベントは開催された。わたしゃ、たぶんお客さんは10人前後だろうと思って店に行った。しかし予想に反して大勢入っていてホッとした。ネグリを呼ぼうとした東大、藝大、早稲田の関係者が、この問題に対して国家とどう決着をつけるか興味があった。そしてなんとも大胆にも、司会をテツオ店長がしていた。こりゃー無茶だと思ったな(笑・でもテツオ店長は「勉強した」と言っていた。偉い!)。
案の定、イベントは荒れた(笑)。いや楽しかった。東大と藝大と早稲田の関係者の内ゲバから始まった(笑)。私は、「なぜ今、この時代にネグリなのか?」という問題意識をしっかり持って参加したつもりだったが、やはり話はちんぷんかんぷんだった。でもね、嬉しいよね。「面白そうだからやってみようか?」という考えは、トークライブハウスの姿勢として素晴らしいし、決して間違っていない。
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コレが中止になった東大講演会のチラシだ。「だいたい"コモンウェルス"ってなんなんだよ」って質問してやろうと思ったが、最初っから激しくやり合ってて、そんな状況じゃなかったな。
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<デモはデモでもおいらのデモは……>
少し前の話になるが、「ダンシング イン ザ ストリート サウンドデモだよ路上開放!!」というイベントが、2月26日にNaked Loftであり、会場に入れないお客さんが100名以上もいたらしい。サウンドデモは、DJ車を先頭に、路上で音楽を楽しみながら反戦を訴えるという全く新しいスタイルのデモで、相当数の若者達に支持されている。阿佐ヶ谷ロフトでも5月2日に、「21世紀のデモはこれだ!」というイベントがあった。私も一パネラーとして壇上にあがり、素人の乱、save the 下北沢などなど、近年のさまざまなデモ映像を流しながらトークした。今、無党派層の若者達の間で、デモ論争が華やかなようだ。
もう40年も前の話になる。私の学生時代、「大学解体」とか「安保粉砕」なんていうデモ行進の時、スクラム組むと隣の女性のおっぱいが肩とか腕にあたって、おちんちんが勃っちゃって困ったことがあった。隣の女の長い黒髪が私の顔をなでるときなんか、思わずうっとりしたもんだ。中核派には巨乳が多かったから、わたしゃ、その隊列に紛れ込んでデモしたな。まだ各党派が一緒にデモしていた頃だった。いい女が多いのは革マル派だった。高校教師っぽいインテリ風な女が多かった。
そういえば、デモで機動隊に追われていた革マル派の女を救ったことがあった。機動隊に殴られていたのを、引っ張り出して助けた。2人とも放水と催涙弾でビショビショになった服を、彼女の下宿で乾かした。そして、自然と彼女と寝た。朝、起きたら味噌汁ができていて、彼女はいなかった。
私は彼女に恋をしていた。そのまま下宿にいて、彼女の帰りを2日待った。その頃、革マル派は他党派から一番の嫌われ者だった。わたしゃ、彼女に革マル派を抜けることを懇願したが、彼女は教祖クロカン(黒田寛一。革マル派最高指導者)を捨てなかった。本当にいい女だった。頭も良かった。それからデモで彼女と会っても無視された。「俺は身体だけを狙って君に恋しているんじゃないよ」って言いたかったけど……、僕らは離ればなれになった。
その後、彼女が革マル派の幹部と恋仲になっているのを知って、愕然とした。その次の日、私は王子野戦病院闘争で、むやみに機動隊に突っ込んで行って逮捕された。恋の恨みは恐ろしい。初めての留置所経験だった。出所した時、仲間から「平野、いつも日和っているお前が、あんな戦闘的だったのは初めて見た」と言われた。今思えば、革マルだ、ブントだ、中核だって言っても、たいした違いがあるわけでもなかったのに、悲しい恋だったな。
今月の米子
<孤高の米子>
猫って言う動物は孤独が大好きで、これが犬なんかと
違うところなのだ。猫は家に居着き犬は人間に寄生?する。
ともかく彼女は3歳になる。
ロフト35年史戦記・後編 第38回 新宿ロフトプラスワン編−5(1996年)
「プラスワン会員組織“風”の結成」
<深夜にたむろする常連客達から会員組織が生まれた>
開店して半年ほどが過ぎた1996年の初め頃、ロフトプラスワンでは、イベントとは別の場面である新しい動きが生まれつつあった。
当時のプラスワンは、始発の時間まで営業していた。トーク終了後の深夜のプラスワンは、自然と出演者と常連達との密接な交流の場になっていた。最低、チャージ&ドリンク代の1000円以下で朝までいられて、有名無名問わず、夜な夜な面白い人達がたむろするこの店は、サブカルチャーに多少なりとも興味のある若者達にとって、深夜を過ごす格好の場所だったに違いない。今のように24時間営業のネットカフェも漫画喫茶もなかった時代だ。イベント目的ではなく、深夜に泊まりがてらやってくる人達も増えていた。
当然ながら、この自由に解放された「広場」では、いろいろな若者同士の議論したり、共通の趣味を持った者同士、朝まで語り明かす場にもなっていった。そういった中から、「自分もイベントを企画してみたい。この人に会ってみたい、直接しゃべってみたい」といった要求も出てきていた。
私は、プラスワンに集まるこれらの若者を中心に、「会員組織」を作ろう、と思い立った。まずは、彼ら若者が主体的にイベントを企画するための一日店長(当時、店側は出演者をこう呼んだのだ)選考委員会の開催と、会員が自主的に作るフリーペーパー(会報)構想をぶちあげた。
私の発案に常連客達もノッてきて、どんどんアイデアが生まれていった。みんなの発案でいろいろな「班」ができた。営業していない昼間のプラスワンを、自主管理で自由に使う喫茶店経営委員会。スタッフを募り、自主映画を制作するための映画・映像班。他にも、写真班、社会問題班、ゲーム班、レクレーション班、なぜか巨乳班まであった(笑)。
さらに、会員申込み用紙を来店するお客さんに配布し、参加を呼び掛けた。テレビの情報番組などでプラスワンが紹介される際も、「トークライブハウス」という特異なスタイルとともに、店に集まる客自らが参加するという、全く新しい形態のこの組織についても触れられた。そういったメディア効果もあったのだろう。会員を募集して1カ月あまりで、入会希望者が200人を超えた。これにはびっくりした。「風」運営委員会には、毎回20名を超す参加者が集まるようになった。事務局は、単独で事務所用アパートまで借りるほどだった。
<プラスワン「風」結成おめでとう>
なんだなんだ、これは。会員募集開始1カ月半で、会員入会希望者が200人を越えたって……? 本当かいな……? プラスワン開始まで20数年、ロック野郎しか相手にしていなかった私めは、全く今の若者を信用していなかったんだよ。(中略)
そんな私めの意識をチョット変えてくれた事件があって……それは、園子温監督率いる東京ガガガの渋谷交差点占拠デモに、おじさん参加して、オットット今の若い連中結構パワーあるじゃないの……という印象を持ったのが、今回の「風」設立のきっかけだったんだ。
ヒョットして今の若い連中、それぞれにメッセージを持っているじゃないの……それなら、このプラスワンでも何か出来るかも知れない、というところで開始したんだけど、私め、まあ一ヶ月に10人位、私めがデバッテ骨のある奴を一人一人口説くしかないな〜アと実は思っていたんだ。それが私めの知らない内にどんどん……。チョットすごいネ。だって、この会員何のメリットもないんだぜ。酒代何割引きとかTシャツあげるとか、そんなものは何もないんだ。ヨドバシカメラの5%引きの会員カードとは違うんだゼ!!(中略)
この組織が何をやり出すか楽しみだ。実は私めも、同志を探しているんだヨ。(薬害エイズ隠しの)厚生省に一緒に石を投げに行く友達を!! 一人じゃチョット行けないけど、「風」なんて旗立てて何人かで参加するのもいいナアー。三月末には花見もやろうぜ。ROCKとトークのコンサートをやるのもいい、劇団も作ろうぜ、映画も撮ろうぜ。(中略)だからみんな、自分のメッセージを発信して同士を探そう、そして叫ぶんだ。
私めの願いは、ただただこの連中が四畳半の世界で自己完結しないでくれ、と思うんだ。私めも一会員として仲間に入れてくれや!
最後に「風」の財源の問題だけど、プラスワンの昼間の部を喫茶店として、企画を盛り込みながら「風」有志が経営するのもいいんじゃないかと……。私めの夢は広がるばかり……。
ロフトプラスワン席亭 平野 悠
(「風」会報『blow』vol.0への私のメッセージ、一部略&加筆)
こ一時、会員数が2の組織は50人にまでふくれあがった。なぜか、某企業の社長まで参加していた。しかし、結成とともに一気に盛り上がった「風」だったが、残念ながらその崩壊も早かったのだった。(以下次号)
|ロフトプラスワン・今は亡き伝説の一日店長たち|
第1回 青山正明(編集者・『危ない1号』編集長)
“トーク”ライブハウスは音楽のそれと違って、より出演者の「素顔」があらわにされる場所でもあった。この摩訶不思議な空間・ロフトプラスワンを主戦場にし一斉を風靡したものの、今や亡くなってしまった表現者は1人や2人ではない……。ロフト35年史戦記「ロフトプラスワン編」では今月から、今や伝説として(?)語り継がれる人物達にも、スポットライトをあててゆきたい。
1996年1月10日。「青山正明さんを励ます会主催、鬼畜ナイト」というイベントが開かれた。そしてこのイベントの宣伝チラシが、新宿中に大量にまかれた。これがまた面白いものだった。以下はその抜粋だ。
新宿でいちばんイヤ〜な夜
『危ない1号』鬼畜ナイト vol.01(2回目は無いかも…)
<一日店長・青山正明>>
1960年横須賀生まれ。『危ない1号』編集長。『危ない薬』『アダルトグッズ完全使用マニュアル』著書。ドラッグやロリコンからテクノや変態まで、ディープシーンを広く論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。慶応大学在学時から幻の鬼畜カルト・ミニコミ誌『突然変異』を編集、ロリータや障害者から片輪や皇室まで幅広く扱う同誌は熱狂的な支持者を獲得したが、'82年椎名誠の横暴によって廃刊の憂き目にあう。(中略)その後、白夜書房入魂の伝説的ロリコン総合誌『ヘイ!バディ』に「6年4組学級新聞改めフレッシュ・ペーパー」を連載したり、変態総合誌『サバト』や特殊海外旅行ムック『エキセントリック』などの創刊と廃刊に立ちあう。(後略)
<ゲスなイヴェント・オーガナイザー>
村崎百郎(製粉工場工員、ゲスライター、アナルマニア、特技:染みつき下着や使用済みエロ本などをゴミ拾い)
ニコラス“ニグロチンボ”啓司(サンリオショップ店員、ゲスライター、元工藤静香ファンクラブ会員、特技:笑顔で女子小学生をナンパ)
<ゲスな出しモノとゲスゲストの皆さん>
・素人生撮り8ミリ鬼畜自慢『小学生をピンタで恐喝』(佐賀)
・犯罪者達の巧妙な手口を白日のもとにさらし、糾弾する!:講師 小沢豊(犯罪家)
・極悪“民暴”の餌食にならないために:講師 夏原武(元ヤクザ)
・身体障害者&精神病患者とのセックスは良かったか?:講師 ダイヤルk2
・根本敬初監督AV『寒くないかい(仮題)』撮影秘話
・私が跨いだバツキン死体:講師 釣崎清隆、聞き手 吉永富明(『危ない1号』編集部)
<主催者からの注意>
・人間のクズならびに鬼畜が大集合することが予想されます。少しでも良心や良識のある方は、入場をご遠慮いただいた方がよろしいかと存じます。初春ですし…
・サンダルばき、ジャージ、アロハ、短パン、超ボディコン、トップレス、セクシーランジェリー、全裸等の格好をされた方大歓迎いたします。
・なお当日、店内へのイリーガルドラッグの持ち込み、販売譲渡、使用は一切お断りしております。
・公安警察の入店、店内および周辺でのゴミ漁りはかたくお断りいたしますよ〜ん。
・店内トイレにての強姦もなるべくご遠慮下さい。外でやれ外で!
この夜はほかに、石丸元章、佐川一政、柳下毅一郎各氏など、日本全国からそうそうたる「鬼畜系表現者」が集まり、その奇妙なイベントは朝まで続いた。事前予告に違わず、「誰もがいたたまれない気分に浸れる、悪夢のトークセッション」だった。
この一夜限りのイベントの模様は、データハウスより『別冊・危ない1号・鬼畜ナイト』として発行され、なんと! 7万部を数えるヒットとなったのだった。そしてこの本に、当日、私のプラスワンでのイベント前振りインタビューが載っている。
平野:ところで「青山さんを励ます会」という会が発足したみたいですが、ありゃなんなんですか? いったいなにを励ましてもらうんですか(笑)
青山:まあ〜、それ話しだすとけっこう長くなるんで、メイン・エベントの石丸さんとの対談で、ねっちりお話しするつもりですけど……(笑)。たぶん、それ、夜中の1時ぐらいになると思うんで、お客さんみんな帰っちゃってくれるといいんですけどね〜、あんまし聞かせたくないから(笑)。
平野:ははははははは、ありがとう。それで「鬼畜ナイト」ってうたってますけれど、今日の主旨みたいなものを説明していただけたら、ぼくはもう、とっとと去りますけど。
青山:えーと趣旨はですね〜、ともかく今の日本において「言論の自由」っていうものが、果たしてどこまで守られるのかどうか……(中略)
平野:おー、基本的なキーワードは「言論の自由」ですか?
青山:妄想はどこまで言ってもしても罰せられないのか? どこまで差別用語を公衆の面前で言っても許されるのか……やっぱり雑誌とか活字メディアでは、どうしても制限がありますからね。ライブ・トークではどうだろうか……そこらへんのところをちょっと実験してみたいな〜って、あ〜、適当に今、考えただけですけど。(『別冊・危ない1号・鬼畜ナイト』(1996年8月/データハウス刊)より抜粋)
その後サブカル業界では、「鬼畜系」はひとつのジャンルとして確立し、青山さんと『危ない1号』は、その中心的存在だった。そして、この第1回の「鬼畜ナイト」は、伝説的イベントとして語られることになる。
天才編集者・青山正明は、2001年6月17日、自宅で首つり自殺で死んだ。私は、『BURST』2000年8月号の自身の連載で彼をインタビューしているが、この記事が青山さんの、生前にメディアに登場した最後のものになったのだった。合掌。
『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/index.html
ロフト席亭 平野 悠
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