第4回 紅海〜エジプト〜トルコ
ロフト席亭 平野 悠
10月8日/航海32日目
<未踏の国・エジプトを前に気分が乗らず……>
アラビア半島とアフリカ大陸を二分する紅海の途中、エジプト・サファガに着いた。朝5時過ぎ、ツアーが古代エジプト王朝の遺跡、ルクソール宮殿や王家の谷へ出発して行った。いたってにぎやかだ。
私はどこか鬱状態が続き、世界遺産の一大観光地を目の前にして一緒に騒げないでいる。実はエジプトは、まだ足を踏み入れたことがない国なのだが、私の身体は動かない。ピラミッドだけは行こう。エジプトの落とし前はピラミッドだけで充分だ。
(後日行ったピラミッドにはがっかりした。ピースボートの団体600人余り、その他の日本人観光客をあわせると1000人以上がゾロゾロ。狭い通路は原宿並。何百人も一緒に食事、バカみたいにはしゃいで買い物している日本人。まあ、これが正しい日本人観光客のあり方なんだろうが……)
10月9日/航海33日目
<明日はスエズ運河を抜けて地中海だ>
N子さん(33歳・島根県出身)がエジプトで船を下りるので、送別会に引っ張り出される。自分をかわいがってくれたおじいさんが危篤なのだ。おじいさんの顔など知らない私はどうにも所在ない。明日はスエズ運河を抜け、地中海に入る。
10月10日/航海34日目
<一日かけてスエズ運河を通過する>
ここのところ毎日快晴なので雨が欲しいところだ。今日は一日、いくつかの湖をつなぐ航路であるスエズ運河と付き合った。旅はやっと三分の一を越えたところだ。少しフラストレーションが溜まっているみたいで、お菓子のバカ食いをした。
10月14日/航海38日目
<いいじゃないか、何日遅れようと>
さて「明日はギリシャだ」とみんな張り切っていた。昼過ぎ船内放送。「重要なお知らせ」ということで、船内説明会が開かれた。船側の説明によると、トルコ港湾局より又出港差し止めがあり、この船はトルコ・イズミール港に移動し修理する。最低3日はイズミールに釘づけになるらしい。
この船はこれで約10日間遅れることになるのか? 説明会は荒れ、紛糾は30分以上続いた。「故障の原因を説明せよ」「どう責任とるんだ」「ふざけるな! バカ野郎!」と迫る乗客。若者は全く発言しない。オヤジ、オバさんはやたらと意気軒昂だ。船側は「これは機密事項だ」との一点張り。具体的な説明はついに最後までなかった。
これまでの説明会と同様、私は傍観者を決めこんでいた。いいじゃないか、何日遅れようと。このボートを一生懸命に運営している若い子見ていると、怒鳴る気もなくなってくる。
船が遅れたため、急遽、被爆者の人達がアテネに飛んで、市長や現地NGOとの交流に出発した。若い子達も、トルコの若者たちと交流の接点を探し始めている。ここが単なる観光船と違うところだ。素晴らしいよ。この船はオヤジやオバさんの娯楽や観光の為だけにあるんじゃないのだ。この時間をどう有意義に過ごすかが問われているんだ。わたしの場合、読書と海を見ることと文章を書き続けることだ。日本に帰るのなんか、遅くなればなるほどいいよ。
10月15日/航海39日目
<ひとりぼっちで見知らぬ港町を散策>
乗客のほとんどはイスタンブールの観光ツアーに出かけた。年配者は飛行機で、お金のない若者は夜行バスで。イスタンブールからブルガリアなど東ヨーロッパに行こうとしている連中も、また、この船旅からいったん離脱して次の寄港地に向かう若者もいる。
イスタンブールに行けば30年ぶりだが、やはり行かないことにした。一人イズミールの町を気ままに歩くだけで自分は充分だ。疲れたらチャイを飲み、海岸で海を前に本を開き、夕食時に船に帰る。
10月16日/航海40日目
<「何ですか“革命”って?」>
深夜、デッキでi-Podを聴きつつ、星座表をあてにしながら星の位置を観察していた。武蔵(たけぞー・25歳)が現れた。彼は交換日記のコミニュティで一緒だ。しかも、わざわざ私に興味を持って同じグループに入り込んで来た青年だ。星空のもとで武蔵と話す。
「なぜ君はピースボートに乗ったの?この船が持つテーマを知っていたの?」「乗るときはそんなこと知らなかったですよ。世界平和とか興味もなかった」「でも今、君はピースボートの若者の中で積極的に活動している。折り鶴会(原爆被災者の会)の機関誌の編集長もやっていて、いわゆる平和とか原爆とかについて色々考え始めている。なぜなんだろう? 俺は“正義”をやっているんだという感覚を持っているの?」「そんなんじゃないです。心が洗われるというか、どこか気持ち良いんですよ」「俺たちの若い頃は、ベトナム戦争もあったし、あらゆる貧困や差別や殺し合いが許せなかった。だから立ち上がった。現代の矛盾の根源はこの資本主義社会にある、社会主義革命だ!
なんて叫んで、そのためには命を落としてもしょうがないって思っていた時期もあったよ」「何ですか、革命って?」「……革命って何だろうね」思わず私も考え込んでしまった。参った!
今夜はマイルス・デイヴィス特集だ。「マイルストーンズ」が静かに始まる。
10月17日/航海41日目
<元バックパッカーに連れられて……>
17時頃、フリースぺースで囲碁を打っていると、イスタンブールからみんなが帰って来た。その中のひとり、電気屋の上さんが大声で「これからアゴラ(市場)に行く」と言っている。戻って来たばかりなのにだ。イズミールのアゴラは、2世紀に建てられた建物が現在も使用されている。
「外出、付き合っても良いですか?」「オブコースよ、あんたならついてきてもいい。外国は初めてかい?」「何回かは行った事はありますが」「そうか、バックパッカーって知ってるかい?」「えっ何ですか、それって」
私はしらばっくれて聞いてみた。
「俺は昔、バックパッカーだったんだ。世界中50カ国は回ったかな?」「凄いですね」「まあ、外国に行くっていうことはだな、ただ美術館とか遺跡巡りをするだけではいかんのだよ。その国を知るっていうことはだな、自分の足で歩くのが大事だよ」この点は全く同意見だったが、それからアゴラに着くまで、上さんの自慢話が延々と続いた。この人は凄い、相づちを打たないでも機関銃のように話し、時折、「なっ」っと私の目を見る。「そうか。私もこんな調子で外国自慢をしているのか?」と思ったら、ちょっと恥ずかしくなった。
10月18日/航海42日目
<60代オヤジと20代女子のコミュニケーション>
今朝また船内放送があった。案の定また延期。いつ出港できるのか見当もつかない。だがなぜか私は怒る気になれない。確かにこんなボロ船を船会社から借り受けた連中には「いい加減にしてくれ!」って言いたくもなるが、でも私は今までの自分の生活になかったようなコミュニュケーションやドラマに感動しているのだ。
今日は「在日朝鮮人はいかに差別され生き続けたか」という話を聞いた。深夜には22歳の若い子と2時間も話した。この船の若い子は、ポジティブで好奇心に溢れている。
焼酎のお湯割りを片手に音楽を聴いていた。「たま」の和久君の「月が出たよ。月が出たよ〜」という曲が、あまりにも今夜のイズミールの港町の情景にあっていたので、酔っぱらったついでに、隣のビーチチェアに寝ころんでぼんやり遠くを眺めている女の子に聴かせたくなった。「ねえ、この曲聴いてみない?」。他意はなかった。
彼女の返事は突拍子もないものだった。「私、物々交換の世界に行きたいんです。争いのない、自分で作物を作って自給自足の生活をして、牛や鶏を飼って、緑に囲まれて……」「物々交換か?いいね、素朴で。井上ひさしの『吉里吉里国』みたいのができたらおもしろいよね」「吉里吉里国って?」「うん、ある時、東北の片田舎の小さな村が突然、日本から独立を宣言してしまう話なんだけど。コミック調でシリアスな物語ではないんんだけれどね」「私、森の中に住むんです」「????」
この子はただ、観念的に幻想を追っているだけの様な気がした。これが、60を過ぎたオジさんと20代前半の若い子との精一杯のコミュニケーションなのだ。
10月19日/航海43日目
<明日出港予定らしいがまず無理だろう>
明日は出港予定と聞くが、船内の状況を見るにつけまず無理だろう。折り鶴会の川崎哲さんは船を下り、被爆者とニューヨークの国連に向かった。原爆問題の講演をするそうだ。心の中で「がんばれ〜!」ってエールを送る。
10月20日/航海44日目
<今日は2つの感動に出会った>
イズミール寄港7日目。今日は2つの感動に出会った。
ひとつは、82歳の老人・安部さんが街に絵を描きに行くと、ピースボートの若い連中がゴミを拾っているのに出会ったのだそうだ。聞くと、「この街に感謝することって何かって考えて、これしか思いつかなかったので」「どのくらいやっているの?」「はい、午前中一杯やっています」と答えた。教師生活40年の安部さんは、とてつもない感動を覚えたそうだ。「この船に乗っている若い子達は素晴らしいよ、凄いよ」と私も思った。
もう一つは、九州の老人・中川さんと、世間話をしていた時だった。
「昨日カミさんに、この旅に出て初めて電話をかけたんだよ。俺たち普段は喧嘩ばかりの、仲の悪い夫婦だったんだ。カミさんは電話口でず〜っと黙ったままだったんだ。また俺に怒っているのかと思ったよ。でもしばらくすると、すすり泣きが電話口から聞こえて来たんだ。泣いてるんだよ、電話口で……。参ったよ……」
私は、この言葉に一言も言えず黙りこくった。突然、自分のカミさんを思った。嫌な事を思い出させるジジイだと思った。突如酒が飲みたくなった。酔って港の夜景を見ているとメランコリーになってしまい、自分のカミさんにメールした。「こんなヤバい、勝手な俺と長いこと付き合ってくれて感謝しています。ありがとう」。こんな事を思わせてもくれるのが、ピースボートの旅なのかもしれないと思った。
10月21日/航海45日目
<若い連中にうっかり自慢話をしてしまった>
地中海やエーゲ海クルーズの巨大な観光船が次々入港し、半日ぐらいで「ボーッ」と不気味な船笛を鳴らし出港してゆく。今日は朝から熱っぽい。風邪薬を飲み、午前中は寝ている。午後、「旅についてのしゃべり場」という若い子の自主企画イベントを覗きにゆく。主催者と目が合って「平野さん何か喋って下さい」と言われ、うっかり、やってはいけない自慢話をしてしまった。こりゃ〜まずい。そろそろ化けの皮がはがれてきた。こういうイベントには近付かないようにしよう。
10月22日/航海46日目
<温泉? 俺は買収されないぞ(笑)>
風邪が治らず、日中は寝たり起きたり。熱はほとんどないが、鼻づまりがひどく、のどが痛い。夕刻にやっと調子良くなり、落語のビデオ鑑賞会で枝雀と円生を一時間ほど観る。落語はいい。気が晴れる。外は晴れわたっていて、相変わらず天気が良い。明日は「希望者に全員無料で一泊温泉ツアーにご招待します」とのこと。喜ぶみんなを横目に「俺は買収されないぞ」って思った(笑)。
10月23日/航海47日目
<イズミールで中年3人デート(?)>
よくしゃべるあの機関銃おばさんとデート(?)した。ベトナム・ダナンのミソン遺跡ツアー以来だ。ちょっと恥ずかしいので、同室で田舎者のSさんを誘った。なぜかSさんは終始機嫌が悪かった。イズミールの巨大なバザールで、彼女にとても似合いそうな服を見つけた。「ねえ、これ買いなよ」「でも、私レアル(トルコの通貨)持っていない」「大丈夫、ほら」と自分のレアルを出したがちょっと足りない。「Sさん持っているレアル出せよ」と言って彼のレアルを取り上げた。「ムッ」とふくれるSさん。「Sさんはこの機関銃おばさんに惚れているのか?」って思ったが、まさかね。
10月24日/航海48日目
<涙が出るくらい悲惨な船になってきた>
イズミール11日目。まだトルコを出港できない。涙が出るくらい悲惨な船になってきた。毎日晴天が続いている。
午前中、ネットが無料で繋がるという地区まで遠征する。他人の家から放出されるネットの無線LAN電波を盗むのである(笑)。トルコの10月は結構寒い。しかし日の当たる所では液晶画面がほとんど見えないので日陰にゆき、冷たい海風に吹かれながらネットをつないでいた。なんでこんなにしてまでネットをしなければならないのだろうか?
10月25〜27日/航海49〜51日目
<異国のネットカフェで暇な時間を過ごす>
トルコはイズミールの港に停泊し、もう少しで2週間。ここ2日間、昼間はほとんどネットカフェにいる。日没前に戻り、日が沈むと酒を飲んで、デッキにいって寒さにふるえながi-Podで音楽を聴き、港の夜景を楽しむ。
10月28日/航海52日目
<30年以上ぶりの人工衛星に心揺さぶられ……>
日没後に船長から、「後は審査官の出港許可書が出来上がるのを待つだけ」というアナウンスがあり、ようやく乗客達の顔がほころんだ。20時、ようやく船が動き出した。見慣れたイズミールの港よ、さよならだ。
展望デッキでダウンを着込んで横になる。エーゲ海の夜空は、星が本当にキラキラ見える。その中に人工衛星が見えた。サハラ砂漠縦断以来、おそらく30年以上ぶりだろうか? 急に興奮している自分がいた。「うわ〜お、人工衛星だ!人工衛星が見える!」。酔いが回るにつれて、私は自分の過去に陶酔してゆく。こんな時は森田童子の曲が一番いい。私のi-Podに彼女の全曲が入っている。あの時代ははなんだったのか? 夢か? 風の中にいた。もう一度やり直すなら、俺はどんな生き方があったのだろうか? 何もなかった私の終わりにさ……。(続く)
『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/index.html
ロフト席亭 平野 悠
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