ROOF TOP2004年11月号掲載
 新宿ロフト VS 新宿ロフト

プロローグ:“雑貨屋”ロフトが新宿にやって来た!

▲新宿三越と歌舞伎町。こんな近くで同店名店舗だったらお客さんは混乱してしまうだろう。それ以前に何十年と新宿で「新宿ロフト」をやっている誇りもある。でも争い事はいやなんだよな〜。

 う〜ん、何とも困った問題がまた私達ロフトの前に現れた。
 西武系の雑貨屋(?)“ロフト”が、新宿の三越に10月30日に出来るというのだ。
 それも私たちが28年間の長きにわたって経営してきたライブハウスの歌舞伎町“ロフト”とは250メートルの距離の所に出来て、またその宣伝メインコピーが奮っている。
「新宿ロフトがいよいよ誕生!」
 と来た。思わず「こりゃ〜ないよな〜」と思った。これでは、今まで新宿に“ロフト”が全くなかったみたいじゃないか? って一瞬思った。
 両ロフトとも若者相手の商売だ。我が社の定款には雑貨商売の項目も入っている。西武のロフトの資本力にものを言わせた宣伝力で駅前に大看板でも出されたら、地方からロフトのライブを観に来る人は三越のロフトのほうへ行ってしまうかもしれない。これは困ったと思った。
 人は「また平野さんの戦う遊び道具が出来ましたね。楽しいでしょ?」と言う(笑)ちょいと待てよ! 今回の相手は百獣の王“ライオン”だよ。「これがロック魂だ!」なんて粋がってちょっかい出すと大変な目に遭う。もうわたしゃ年だし、争いごとはたくさんなのだ。何とかこの複雑すぎる問題を「平和的に解決できないだろうか?」と毎日悩んでいる(笑)。


現場は大混乱?

 話は10月12日に遡る。
「すみません! 新宿ロフトさんですよね。そこにシステム手帳売っていますか? オープンはいつですか?」
 最近、そんな問い合わせの電話が新宿ロフトへ引っ切りなしにあるそうだ。
「いえ、手帳はありませんが、BOφWYとかニューロティカのTシャツやバッチなら置いてあります…」とスタッフは答えたと言う。
「何だ〜そりゃ〜」と聞き返す私に、「いや、実は新宿の三越に西武の雑貨屋ロフトがオープンするそうなんですよ。その名が“新宿ロフト”というので、間違い電話や問い合わせがやたら多くて困っているんですよ」との返事だった。
 早速グーグルで“新宿ロフト”と書き込んで検索をかけてみた。すると何と「10月30日、新宿三越に新宿ロフトがいよいよ誕生!!」と書いてある。まさか西武ロフト側は現在営業中の新宿ロフトがあるのを知らないわけないはずだし、悪意でこんなコピーを書いているんだったら…と思って、これはきっと何かの間違いだと思った。だって、これでは思いっきりライブハウスの新宿ロフトなんか端からないとばかりにデリカシーのないコピーだし、私たちにとっては人の家に土足で入り込んできたとしか思えなかったからだ。
 10月13日深夜、私は自分が管理している掲示板『おじさんとの語らい』に「西武のロフトが新宿に上陸する。その名も“新宿ロフト”。西武からは何の挨拶すらない。甘く見ているのかな〜」と書き込んだら、次の日“西武ロフト”の店長と名乗る人から、多分私の掲示板のタレコミかなんかがあって慌てたのだろう(笑)、「ロフト様にご挨拶に伺いたい」という電話を受けた。
 ちょうどその時、私は事務所で小林社長と「こういうコピーは困るな〜、特にロフトは地方からの客が多い。もし、西武のロフトで客寄せのためのイベントなんかやられたら、混乱することこの上ないのだ。とにかく顧問弁護士経由で内容証明を送って西武の真意を聞こう」ということになって、ロフト顧問弁護士の青山法律事務所に電話をかけている最中だった。


西武ロフト側と初会談を持った

 10月18日午後2時、こちらの予想に反して、株式会社ロフト執行役員の上品なお二方が我が事務所にやって来てくれた。こちら側は当社顧問・青山法律事務所の青山 力弁護士、浅野卓郎弁護士、小林社長、 保坂総務部長と私が出席した。
 もう、この時点では相手方の二人は我々の出した「内容証明」の文面はすでに読んでいるわけで、こちらの“主張”は充分理解していたと言える。
 当然こち/?らはテレコを用意して「今日の発言は全部議事録にします」と宣言してから話し合いは始まったのだが、当たり前の話、この日の時点では“論議の応酬”はなく、西武側が我々の問題点をただ“聞く”に終わった。
 こちらが会議で詰めた内容はこうだ。「このままでは“新宿ロフト”という店舗が近くに二つ存在してしまって、一番困るのはお客さんなのだから、我々は“ライブハウス ロフト”とちゃんと名乗るので、そちらは“西武新宿三越ロフト”か“西武雑貨屋ロフト”という感じで名乗ることにしませんか?」 そう提案をした。
 西武側は当然、「この案を持ち帰って協議したい」ということで、西武側の協議結果の期限はその週の金曜日ということになって会談は終了した。
 大人と大人の話し合いになるのか? 裁判になるのか? ゲリラも含めた大闘争になるのか? それは未だ判らないが、問題は西武側のロフトの開店があと10日もないということなのかな?
 ライオンが牙を剥いて襲いかかって来るのか?
 それとも新宿という地域でお互い若者相手の商売として“共存関係”を保つのか?
 難しいところだ。 お互いが最低限の“信頼関係”を築くことができればちゃんとした軌道に乗れるはずで、この日はそれに向けた第一歩と私は総括したい。


“ロフト”の言葉の由来──ロフトの沿革

▲歌舞伎町移転前、小滝橋通りにあったロフト。立ち退き問題の時、みんなが各々反対運動してくれてうれしかったな。

 そもそも“ロフト”って言葉は、私が1971年に京王線の千歳烏山に7坪のほんの小さなスナックバー(ジャズ喫茶)を開店したとき、友人が「この店は山小屋風の内装だから“屋根裏部屋”だな、だから“ROOF TOP”だな」と言って、「そう言えば、NYのソーホー辺りで芸術家の卵が集まっていろいろな活動をしている所を“LOFT”って呼んでいたな…」と思い出して名付けたのが始まりだ。  当時の日本ではほとんど知られた言葉ではなかった。だから目的意識的にこの“LOFT”という言葉を店の名前に使い出したのは多分私が初めてなんだと思う。  それから西荻ロフト(73年)、荻窪ロフト(74年)、下北沢ロフト(75年)を順次開店し、1976年10月に新宿駅西口近くに新宿ロフトを開店し、1980年にロックバー・自由が丘ロフトをオープンし、ロフトの店舗拡大時代は一応終わった。その後新宿ロフトだけを残し、それ以外のロフト各店は全部暖簾分け(荻窪、下北、自由が丘)あるいは閉店(烏山、西荻)して、私は世界放浪の旅に出てしまう。  ちなみに、75年にレコード会社が出来てこのレーベル名を“ロフト”と付けようと思って商標登録をしようとしたが、確かそれはある繊維会社が登録していてダメだった。  恐らく、西武はその繊維会社から長いこと使われてもいない“ロフト”の商標を買ったんだとは思うが、 西武が“ロフト”の名を使い出したのはそれからずいぶん後の事だ。その当時、私は日本にいなかった。もし日本にいて頑張ってロフトを営業していたら、西武には“いちゃもん”の一つくらい付けていただろう(笑)。  その後、私は1990年に日本へ帰ってきてロフトに復帰し、現小林社長とタッグを組んで1991年10月にライブハウス・下北沢シェルターを開店し、1995年7月にトークライブハウス・ロフトプラスワンをオープンさせた。1999年4月には新宿ロフトが歌舞伎町の現在の店舗に移転、リニューアル拡大オープンして、500人収容のメインステージと200人収容のサブステージを擁して、“音楽によるコミュニケーション”をコンセプトとして全く新しい形(一つの空間の中に二つのステージがある)のライブハウスの営業を開始した。…そんな経緯があるのだ。  さて、皆さんはこの“二つの新宿ロフト”についてはどう思うのかな? 興味あるところだ。


新宿ロフトの名の重さとは……

 下記の文章は、ARBというバンドのファンが先日私の掲示板(おじさんとの語らい)に書き込んだものだ。

 投稿日:2004年10月16日(土)17時28分
 難しい事や法律的な事はわかりません。
 ただ、僕らARB KIDSとしては新宿LOFT=雑貨屋では困るんです。
 LOFTの社歌(?)である「LOFT 23時」(作詞:石橋 凌/作曲:田中一郎)という歌の中にこんな一節があります。
 「新宿LOFTじゃ毎晩 気の合うあいつらと 腕を組み朝が来るまで 飲んだくれていたんだ」
 新宿LOFTの名称があの雑貨屋と広く認知されてしまったら“こいつらは雑貨屋で朝まで飲んでんのか?”
 とわけのわからない解釈をされてしまうんです。
 まぁ変人扱いされるのは慣れてはいるんですが(笑)。


今私たちはまた新しい形態の店作りに挑戦している

▲今、バーとして営業している新店舗予定地。写真は試しに音を出してみようとサウンドチェックの様子。こうやってアンプラグドライブやったり、色々なテーマを話したりする直のコミケーション空間を目指したい。原点回帰なのか?

 そんな“新宿ロフト”の名前がどうたらこうたらの混乱の中、私は、現在のロック系ライブハウスの新宿ロフトやシェルター、トークライブハウスのロフトプラスワンの限界点というか、今のライブハウスの流れ(いわゆる商業べース)に抗すべく、新しい形態の「アンプラグド」(アンプラグドとはプラグを抜くという意味=つまりシンプル)な店(空間)をまた新宿(多分新宿百人町、職安通り・コリアタウン)に作ろうと思っている。
 その店のコンセプトとして徹底的な虚飾を廃し(大音響のPAや照明やステージはいらない)、全くシンプルなミュージックとトークの“face to face”の原点に立ち返るべく、方向性の空間創造を模索している。それも表通りに面したオープンスタイル・カフェ的な形態で極力ライブチャージは取らない方針なのだ。

 そういうコンセプトだからほんの小さな店(23坪)だし、街角の路上で演奏しているアコースティック程度の音しか出さないので、巨大な費用を必要とする防音もいらない。基本的にお客はテーブルについて飲みながら演奏を聴く。だからギターを一本持ってくれば演奏できてしまうくらいのスタイルの予定だ。
 ということは、この店では有名ミュージシャンが出演することはないと思う。わたしゃ、店の前で焼き鳥を焼き、缶ビールを売るのだ。焼き鳥の匂いのするライブハウスっていいと思うな〜(笑)。
 悲しいことにプラスワン誕生の当初(9年前)は「断固ライブチャージは取らない」という方針であったが、歌舞伎町に移転してからのロフトプラスワンはお客さんが100人以下だと赤字になってしまうことになったのだ。そうするとどうしても店はより高いチャージを取り始め、必然的にお客の入らないテーマと出演者はどんどん排除されていき、店は劇場化していくことによって予定調和の馴れ合いトークが多くなってしまう(それは商業的には当然の話かもしれないが)。
 その限界をどう克服するかが課題だった。すなわち私の信念は「音楽にしてもトークにしても、動員10〜20人程度が一番面白い」ということなのだ。これこそが“原石”なのだと思う。“原石”を磨いてダイヤモンドにすることがライブハウスの担う宿命なのかもしれないと思っている。
 私が今目指している空間は(それはほんの小さな空間だけれど)、トークも音楽もライブ形態も徹底的にシンプルにし、各種ライブは20人以下でも成立し、音楽ライブ(アコースティックが基本)は店から出るのは交通費だけで、ギャラはないけれど、そこに居合わせたお客さんに帽子かなんかを回して「カンパ制」で運営し、店の経費は飲食だけで賄おうというものだ。
 これこそ“ライブハウスの原点”のような気がするのだが、果たして私たちの新しい挑戦はどうなるのか?
 予備(ならし)オープンは12月と考えている。

ロフト席亭 平野 悠

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