紅葉最前線に挑戦してみる!
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▲ 高津戸峡の見事な紅葉をごらんあれ! |
この号が読者の手に届く頃はもう12月だ。12月とは“師走”の月だ。“先生である師”が走るのだ。だから誰も彼もが忙しいのである。
しかしなぜか私は“暇で平穏”なのである。そんな中、私は私でこの一年で一番好きな晩秋から初冬の時期を楽しんでいる。秋は淋しさが同居して冬に向かうが、なにかかけがえのないものが手に入りそうな予感がしてくる季節なのだ。だからこの時期、私はなぜか“紅葉”にこだわる。
毎年私はどこかに紅葉を見に出かけるのが楽しみの一つなのだが、この夏の異常な暑さのせいで今年の“紅葉”は例年に比べると見劣りがするという風評が一般的で、なんともご近所さん(世田ヶ谷界隈)の風景で我慢しようと出かけてみることにした。
11月の中旬、今にも泣き出しそうな重い曇天の灰色に煙る空の下の日曜日の昼下がり、上北沢〜経堂〜梅ヶ丘〜三宿(約10キロ)と延々と続く整備された遊歩道を歩いてみた。いわゆる「彩〈いろど〉りも近くにありて思うもの」が一番なのだと思った。この遊歩道は、私が子供の頃にあった田園の中を流れる小川が高度経済成長の余波を受けてどぶ川となり、さらには下水道化されることによって蓋をされ、その上が遊歩道となったものだ。
どこまでも続く遊歩道を歩きながら、思わず昔のことを回想した。
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▲ お金持ち世田ヶ谷区のどこまでも続く遊歩道を歩く。 |
小学生の頃の学校の帰り道、田圃、畑、川が無数にあって、色とりどりの木々が生い茂っていた。川と川の流れの小さな島の中に弁天様と水車小屋があって、あまりにも素晴らしい紅葉と落ち葉が降り注ぐ小川のせせらぎの小さな作り橋の上で「なんて素晴らしい景色なんだ!」と思って動けなくなってしまったことが何度もあった。それで学校から一緒に帰る途中の友達から「平野、なにやっているんだ〜」と言われ、なんとも説明できなくって困ってしまったこと、それからしばらくは一人で帰ることを好んだ淡き少年時代の頃のことをしばし思い出していた。
途中、世田谷線山下駅近くの小綺麗なオープンカフェで一休みするために一杯のコーヒーを飲んだ。
戦争や虐殺ばかりやっている世界に、なんの志もない小泉首相や政治家たち、日本の将来にも絶望して、さりとて「より良き日本や世界を作るために戦う!」なんていう妄想はすっ飛んで、私は今日の『反戦デモ 〜ファルージャを救え』にも不参加した。
ブッシュを再選させたアメリカの建国以来の最悪さは勿論、どんどん悪くなっていく日本の政治に対しての反対運動も反戦運動もほとんど低調な日本はもっとひどいと思うし、これからの日本の行く末や私の子供たちの将来、かけがえのない地球のことを考えると、どこか居ても立ってもいられなくなる。と同時に「そんなことはこれから何十年も生きなければならぬ若い奴がやれ!」とも思いながら、晩秋の香りのする苦いコーヒーをすすってまた遊歩道に戻り、遠くに向かって歩き始めた。
紅葉ミステリーツアーに参加。もみじ狩りか熟女狩りか?(笑)
晩秋の遊歩道の散策は、またまた私を紅葉の世界に入り込ませた。「こりゃ〜今年の紅葉も捨てたもんじゃ〜ない」と思った私は、たまたま新聞の折り込みチラシに入ってきた「日帰りバスツアー …行き先は? 必ず見せます!! わくわく紅葉ミステリー 7,980円」というツアーの誘い文句に釣られ、思わず電話で申し込んでしまった。
このツアーの凄さは、当日になってもどこの紅葉を見に行くか絶対に教えてくれないことだ。バスガイドの説明によると、あらゆるデータを使って今が一番見頃なポイントに行くのだそ=?うだ。このテーマにもなかなか興味をそそられた。
以前からこういうツアーにはある種の幻想があって、一度は参加してみたかったし、「まさにこういうツアーこそ、家庭では旦那から相手にされない熟女が沢山参加していて、一人で参加する私は絶対バスに同乗する熟女さんとお友達になれること間違いないし、なんとも、もててもてて困るはずだ。だからきっと楽しい旅になるはずだ!」と勝手に思い込み信じて疑うことなしに、なにをトチ狂ったのか(笑)いつもであったら絶対起きることが出来ない、ウィークデイである木曜日の朝6時に起きて、バス会社の指定する新宿駅に一人急いだ。
バスの定員は40名、参加者37名。定年退職したらしい夫婦のカップルが2組、なんでこんなところに入り込んでしまったのか判らない若い恋人組一組、男性の老人組が一組、一人での参加が私だけ。後は全員がなんとも元気のいいおばさん族であった。
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▲ ミステリーツアーのご一行。バスガイドの旗を先頭にちゃんとバッチを胸につけて進む熟女の皆さん。 |
外はまだ寒く暗い。バスは一路中野、練馬に若干の待ち客を拾って、関越道を通って群馬方面に向かう。私の席は一番後ろだ。前にはものすごく元気のいいおばさんたちの一団(6名)が機関銃のようにあれこれ話す声が聞こえる。まぁ、バス内の熟女の物色は後に回すとして、私は前の席のおばさん族の“会話”に耳をそばだてていた。またこれがとてつもなく面白い。当然彼女たちの話題は“子供、姑、友達の悪口”だ。面白いことに、こういう時には絶対旦那の話は出ない。
おばさんの一人が鼻をかみながら「あのさ〜、昔は鼻をかむとよく血が出たんだけど、今は鼻血も出ないわ…」とぶつぶつ言っている。「そうですか? 鼻血も出なくなったですか〜。そうね〜もう上も下も血すら出ない年になったのかね〜」という会話には思わずげらげらと笑ってしまって、前の一団は私を意識してか若干しらけていたな(笑)
天気予報によると、今日は雨とある。流れゆく車窓は灰色に覆われている。「ねぇ、うちのおばあちゃん、蟹のことをどうしても“ガニ”って言うのよ」「それって間違っていないんじゃない? ズワイガニや越前ガニって言うじゃない?」…そんなどうでもいい話が半睡の私の耳に強引に飛び込んでくる。
バスは桐生市に入り渡良瀬川沿いに走り、今日の第一の目的地“高津戸峡”に着いた。さて、熟女狩り…いやもとい紅葉狩りの結果はいかに?(笑)
【このコーナーは来月号に続く?】
NAKED LOFT(ネイキッド・ロフト)がオープンする
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▲ 改装前のネイキッドロフトでのサウンドチェック。おっ、なんとインザスープの面々ではないか。豪華ですな〜 |
なんとも、ロフト・グループにとっては8年振りの店作りだ。ネイキッドとは“裸の…”という意味があって、これはビートルズの『レット・イット・ビー』に出てくる有名な言葉らしい(加藤梅造のうんちく)。現在のロック系ライブハウスの新宿ロフトに下北シェルター、トーク系の歌舞伎町プラスワンもチャージや敷居が高かったり、それは巨大化してしまって、よりシンプルな誰でも参加できる裸そのものの“空間”が今こそ必要なのではないか? というところからこの店の発想は生まれた。
それも雑多な食文化と多分日本のどこを見回しても存在しないだろう“異空間”新宿百人町(通称・コリアタウン)という摩訶不思議な立地だからこんな店が出来るのかも知れない。なんとその店の3階はロフトのヘッド事務所なのだ。西武新宿北口2分、新宿ハローワーク(職安通り)の真ん前にある舗道沿いの1階という利点を生かし、オープンカフェ的な要素をふんだんに取り入れ、焼き鳥・おでんといった=?日本の食文化を融合させたトーク&ミュージックのライブ空間が完成する予定だ。
新店長の“テツオ”先生は日替わりバーカウンター姉ちゃんを配置するって張り切っているし、この日替わり姉ちゃんをなんとか“オタク的”姉ちゃんにして、「今日は特撮オタクの姉ちゃんのご出勤!」なんてしたらその日は特撮ファンがわんさか詰めかけるっていう寸法なのだ。すなわち、オープンな間口と焼き鳥のにおいの立ちこめる、シンプルでいていつもなにかをやっている空間だ。これは私にとって長年挑戦しがいのあるテーマだった。
どっちにしてもまだ明確な方針は持たず、あれこれ試行錯誤する期間を置きながら、基本的オープンは12月17日なのだがいわゆるグランド・オープンは来年2月ということになりそうだ。
ロフトプラスワンの原点とは…
話はもう10年近く前にさかのぼる。当時10年も日本を留守にして帰ってきたばかりの私は、ロックや日本の文化に関してはまさに“浦島太郎的存在”だった。
当時一軒だけ残っていた新宿西口ロフトに行っても、その頃主流のロック…スピッツだ、ウルフルズだ、ブルーハーツだと言っても、もう45歳を過ぎていた私にはとてもついていけなかったし、理解も出来なかった。昔の知り合いのロック関係者はみんな偉くなってしまってライブ現場には出てこず、せっかくロフトに復帰したのにほとんど疎外されている時代が続いていた。
下北沢に作ったシェルターも店作りだけは私がやったが、後は用なしのお払い箱状態だった。あれだけ話題になった新宿ロフト立ち退き紛争も、多くのミュージシャンやロフト・ファンが開いてくれた支援コンサートや署名運動等の後押しもあって、裁判(2審)は勝利的な“和解”も成立して、私は虚脱状態にあった。
そんなある雪の降る深夜、私は新宿の行きつけの居酒屋でそこの主人相手に酒を飲んでいた。すると隣の席で見知らぬ親父たち数人が懸命に“盆栽”の話に興じていた。話は“盆栽から生け花”まで広がっていき、私はいつの間にかその話の仲間に入っていて、その物知りの親父連中から色々な“うんちく”を吸収することが出来て、実においしい酒が飲めた。
その時私は「ふら〜と入った居酒屋で、無名だけどその道のいぶし銀のようなこだわりを持った人たちの話が聞けるライブハウスって出来ないものだろうか?」と考えた。もしこんな空間が出来れば絶対面白いはずだと思った。まさに“NO TALK, NO LIFE しゃべらずにはいられない”なのだ。世界でも初めての“トークライブハウス ロフトプラスワン”の発想はそんなところから生まれた。
簡単に言えば、その発想もただ自分の“遊び場”が欲しかっただけなのかも知れない。だからプラスワンのオープン当初のブッキングは困難を極めた。出演交渉をすると「なに〜! 居酒屋で酔っぱらい相手にしゃべれって言うのか! バカにするな!」と何度も電話を切られた。そんな中で実に好意的に、それは面白がって色々な知り合いを紹介してくれたのは、あのオタク教元祖・唐沢俊一さんと新右翼の鈴木邦男さんだった。
さて今回実験的に、そして意欲的に新しい試みに挑戦する“ネイキッド・ロフト”の運命はどうなるのか、興味のあるところだ。
西武新宿ロフト VS 新宿ロフト
喧嘩するより仲良くしたほうがいいという結論
西武が三越に作った“新宿ロフト”の広告量は凄い。一体いくら投資しているのだろう? 雑貨屋ってそんなに儲かるものなのだろうか?(笑)
この紛争に関して、相次いでロフト・ファンやミュージシャンから非難めいたメールが会社や私のところに来ている。「ロフトはこの西武大資本の暴挙を許すのか? 西武側はロフトの抗議になんの配慮も見られないではないか?」「断固抗議して戦うべきだ…それがロック魂だ!」と。
確かにこちらとしても弱小企業ながら“意地”も“名誉”もあるわけで、この問題はそうは簡単に引き下がれない状態だった。西武側が我々の要求を突っぱねてきたら、当然負けを承知で戦うしかないとは思っていたのだ。これは私が好きな“敗北の美学”なのだが、しかし西武側は大手企業のしたたかな戦略か、それなりの誠意を持って我が方の提案を処理してくれているようだ。すなわち、西武側ロフトはライブハウス新宿ロフトと一般のお客さんが混同しないように精一杯の努力をするということで、まだ当然予断を許さないが双方の意見が今のところ一致したということなのだ。
でもね〜わたしゃ酒を飲みながら考えたよ。その酔った勢いの結=?論は、老舗ライブハウス=新宿ロフト、伝統、名誉…そんなもんは糞くらえだと。西武ロフトの出現で“ライブハウス新宿ロフト”が潰れるようだったら、そんなもん潰れればいいと…。
それでわたしゃ、西武ロフト開店の10月30日にお祝いの花輪を送ったよ。「同じ新宿文化地区同士のお店、がんばりましょう。ご開店おめでとうございます」って…ちょっと粋でしょ(笑)。そうしたら西武側から丁重なお礼の電話と手紙が来た。
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▲ 紅葉ミステリーツアー最後の目的地「妙義山神社」で誰にも相手にされず一人、撮影する。「そうか〜あの山で連赤殺人事件が起きたのか」と感無量だったな。 |
例年ならば、12月と言えば一年の大総括をしなければならない月だ。
この数年来、私は日記を書かなくなってしまった。以前ならば家族、友達、仕事、ライフワーク等々、年末の1ヵ月かけてノート1冊分ぐらいはあれこれ“自己反省”をしながら書き込むのが12月の過ごし方であった。その作業をしなければ年を越せないというか、新しい気持ちでちゃんとテーマを持って新年を迎えることが出来ないでいた。
しかし、今年はもうそんなことはしそうもない自分を見る。それだけ世の中が世知辛くなってきているのだろうか? 来年はどんな年になるのだろうか? どんどん年をとるたびにリアリティのある現実から意識的に遠ざかろうという意識が働く。「もう俺には関係ないことだ!」って。だって“歴史は若い人たちのためにある”って昔から思っていたことだし、私の若い時は「権力を握っている老人どもがどんどん世の中を悪くしている」って思って、「老人よ表舞台から去れ!」って叫んでいたのだから…。
すなわち、未来は彼ら若者にゆだねるしか私たち爺婆には選択肢がないからなのだ。がんばれ! 若人!
ロフト席亭 平野 悠
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