摩訶不思議な街“百人町”
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▲ 警察に後押しされた自称「自警団」が今日も街を闊歩する。その昔この自警団が新宿争乱の時、全共闘狩りをやっていて、私の印象としては良くないな。 |
新宿駅を背に北へ進むと靖国通りの起点があって、その先の世界最大の風俗地帯・歌舞伎町を抜けラブホの密集地帯を突っ切ると、今話題著しいコリアタウン・百人町にぶち当たる。
新宿の高層ビルに冬のオレンジ色の太陽が影を落とす午後4時。この摩訶不思議な百人町は新たな歌舞伎町に代わる“不夜城”として君臨し始める。
1年前のここ百人町はもの凄い破壊的な街だった。イラン人を中心とする麻薬のプッシャー達が“逮捕=強制送還”をあらかじめ覚悟して「(麻薬なら)何でもあるよ」って小声で通行人に甘いささやきを投げかけて来るこわ〜い街だった。一晩5,000〜7,000円のみかじめ料を払って、ヤクザの監視の中、北風の吹きすさぶ街路に立ち並ぶ国籍不明の売春婦達もたくさんいた。街角での外国人マフィアとヤクザの抗争は日常だった。その欲望と混沌とした怪しい魅力に吸い寄せられるように集まって来る厳ついヤクザや外国人マフィア、女を買う目的の男達や麻薬を買い求めるジャンキー達のどこか不安げでうつろな眼が至る所に徘徊していた。
そしてこの1年、石原慎太郎都知事の警察権力や自警団を使った強引な“新宿浄化作戦”が進行し、この街は一見平和を取り戻したかのような佇まいを見せている。しかし、取り締まりを逃れるべくやばい連中達はみんな地下に潜ってしまった。そしてこの街は今日もいつ爆発するか判らない時限爆弾を内包しながら不気味に存在する。
ネイキッドロフトが始動した!! 〜原石を発掘せよ!〜
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▲ 職安通りに面したこの店はどう成長していくのか。ライブハウスの原点を提示できればと思う。 |
昨年12月17日、そんな漂流街・百人町に“ネイキッドロフト”(22坪)は誕生した。
何度も書くが、この店のコンセプトはまさに名前の通り“ネイキッド〈裸の〉ロフト”なのだ。この店のイメージは、ライブをよりシンプルな形に戻して“音楽やトーク・ショー、パフォーマンス”を原点から再度見直してみようということだ。
今や都内にある多くの表現空間(ライブハウス等)は、動員力のある表現者の囲い込みというか獲得競争に明け暮れているのが現状だと思う。この店における“テーマ”は、お客さんが20〜30人しか入らないライブをどうやって赤字なしに、あるいは表現者達の金銭的な負担なしに開催でき、店が潰れることなしに営業できるか? というものだ。この店はそんな私達の長年のこだわりから始まった。
動員力の少ない無名な人ほど“面白いライブ”を観ることができるというのは私達の信念だ。確かにお客が20〜30人の売り上げではライブハウスは運営・維持できないだろう。しかしこの“雑多な塊”にこそダイアモンドの原石がごちゃまんと存在するはずなのだ。私達は同時にそういう原石も発掘し、世の中に出していきたいと思っている。
今回の店は予算的な問題も含め、PA照明などは徹底的に簡素化してみた。だからいわゆる、照明ギンギンギラギラ状態やロックの大音響がこだまするステージはない。防音設備も完璧でなく、立地が1階で舗道に面していることもあり、打楽器とギターのいわゆるアコースティック中心の弾き語り風なステージになる。客席も座れて40〜50席だ。だからライブハウスとしては採算が合わない。そこで私達はさらなるライブハウスの原点に立ち返ることにした。
その昔(30年も前)、ロックがまだ一部不良の音楽と言われた時代、ロックがまだ市民権を持っていない時代のロフト各店の営業M?形態を参考にした。つまり、昼間はロック喫茶として営業し、夕刻5時から出演者のリハーサルを開始、7時からライブをやって、夜10時頃のライブ終了と共に店を片付け、“ロック居酒屋”として朝4時まで営業する方式を採用してみた。いわゆるライブの赤字分(その昔、ライブはほとんど赤字と決まっていた)は何とか居酒屋営業でカバーしようというものだ。
ライブの動員の数が少なくなっても、貧乏な若き(?)表現者に金銭的負担はさせないようにしたいと思っている。今の時代、そんな営業形態がうまくいくかどうか判らないし、店のスタッフ達は大変だ。しかし挑戦してみる価値はあると思っている。私達も頑張るから、みんなの心ある応援を期待したい。
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「荻窪ロフトと下北ロフトが私を育ててくれた『ゆりかご』だった。ロフトの平野氏は、ミュージシャンのチャージ(料金)をピンハネせず、採算はあくまで飲食営業でまかなうという、画期的な発想の持ち主だった。駆け出しのバンドに最低動員保証をさせる今の多くの似非ライブ・ハウスの現状を見る時、私達は実に幸運だったと言う外はない」(山下達郎、『ROCK is LOFT』ロフト出版・1997年度版でのコメントより)
風俗文化最前線 〜歌舞伎町報告-1
友人から「今、歌舞伎町の裏ビデオが値崩れしている」という情報を入手したのが今年の初めだった。何故値崩れしているのかの事情は知る由もなかったが、何と“加藤あい入浴盗撮ビデオ”が1,000円以下で手に入ると聞いて、いそいそとプラスワン近くのビデオ屋に行って買い込んだ。やはり評判通り加藤あい様はほんまもんだった(笑)。
以前このコラムでも書いたが、「こりゃ〜町のレンタル・ビデオ屋で恥ずかしながらエロ・ビデオを借りるよりいいな〜」と思った私は、それから幾度となくこれらのビデオ屋に行って(それなりに“はずれ”もたくさんあったが)多くの面白お宝ビデオを手に入れることができた。“モー娘トイレ盗撮”なんぞは一時は1本=3万円近くの値が付いていたのが、値崩れした時点で1本=700円で売られていたのは感激したな。まぁ、画質は悪かったけれど私の好みの“熟女、スワップ”(お前はアホか?)ものが安く大量に手に入ったのは、多くの同好の連中に羨ましがられたもんだった。何故この裏ビデオに戦慄するのか? と疑問を持たれる人は多いと思うが、それは各自の“趣向の問題”なので答える必要はないと思っている(笑)。
さて、今年初めには歌舞伎町に30軒近くあった裏ビデオ屋が次々と姿を消し、ついに12月には一軒もなくなってしまったのである。これは大変なことだ。私達一般ユーザーが知らないところで巨大な陰謀が働いていると思った。
今年5月、新宿区の区長が汚職で辞任(最低〜)して、選挙の結果、東京23区では初めての女性区長が誕生した。その直後に歌舞伎町近くにある新宿大ガード下のホストクラブの看板が「青少年の教育上好ましくない」という誰かの鶴の一声で撤去されてから、小泉首相、石原都知事、新宿区長トリオは警察や自警団と手を組んで“歌舞伎町浄化作戦”をそれはもの凄い勢いで展開させ始めた。
今、歌舞伎町は警官の一方的な意志による無差別な“職務質問”(何とポケットの中まで強引に探られるのだ)と性風俗摘発の徹底的なローラー作戦によって、いわゆる怪しげなものがどんどん撤去され、渋谷みたいにただの有名チェーン店が並び、子供が行くつまらない街になりつつある。何とも悲しいことに、世界に誇る“歌舞伎町性風俗文化”は消滅しつつあるようだ。歌舞伎町を訪れる人も、例年とは比較にならないほど少なく閑散としまくっているのが現在の歌舞伎町なのだ。
“Save the 下北沢”報告
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▲ セイブ・ザ・下北沢の「勉強会」。
都市計画の専門家先生の説明の後、老いも若きも討論にM?入った。 |
いつの頃か、世田谷区の表玄関と言われる下北沢の駅前に「環七並の50メートル道路を通そう」という計画が持ち上がっている。またぞろ“公共土木工事”の話である。
下北沢という街は昔ながらの商店街がある一方で低層住宅が近隣を囲み、ロックやジャズ、演劇といった雑多な文化の発信地として多くの若者が集まる街として中央線の高円寺と共に君臨してきた。
何と言っても下北の魅力は若者文化と中低層建築物の街並みであり、その街並みや商店街が育む人間関係なのだと思う。だからその街は深夜であろうと安全だっだし、最低限の“共同体思想”は未だ生きている数少ない街なのである。この街はシャッター通りと化し、人通りのなくなった地方の都市にとっては羨ましい限りの商店街なのである。
数十年前の悪法“大店法”の施行以来、日本の各地に息づいていた村落共同体や都市にあった“コミュニティ”はほとんど崩壊してしまった。いわゆる人間の尊厳とかコミュニケーションなどは重要ではなく、経済のグローバリゼーション(利益中心主義)こそが最大限重要なことになってしまっているのだ。
東京の端を流れる多摩川では、自然の流れを取り戻すべく過去コンクリートで覆った川べりを剥がす工事をしていて、それとは正反対に沖縄では人口7,000人の村に400もの土建屋が出来ている。いわゆる島全体の“公共工事=土木工事化”に島民全体が煽られているのだ。もう誰も地道な農業や漁業をやらなくなって、すぐ金になる公共事業に群がっている始末なのだそうだ。
今、下北沢の街は大騒ぎである。高齢化した下北沢の地権者は、損得ずくで自分の得られる利益で下北沢を出てゆこうとしているし、当然世田谷区が押し進める再開発計画によって環七級の道幅の道路が駅前まで走れば、街は大幅に分断され高層ビル街になる。道路を“回遊”するコミュニケーションあふれる街作りではなく、またもや自動車物流優先のまさに“土木工事”ありきの計画なのである。当然、街は小田急線下北地域地下化工事にかかる10年も合わせて、またこの先数十年下北沢中が土木工事一色になるのである。
そもそも、今度の世田谷区長は最悪なことに道路建設促進を公約に当選した人である。その世田谷区官僚達は旧態依然とした地元商店街の了解を得るだけで工事を進めようとしている。そこで「ちょっと待ってくれ! 私達もこの街の再生には意見がある。私達も参加させて」と手を挙げて活動し始めたのが“Save the 下北沢”という下北を愛する人達なのである。
12月も押し迫った夜、私は音楽評論家の志田 歩さんに誘われてこの集会に参加してみた。何と会議場には若い人から年寄りまで40人近くが参加していて、熱心に議論している情熱にはびっくりした。今のところこの“Save the 下北沢”が提出している数々の提案には世田谷区や地元商店街は全く無反応で、無視を決め込んでいる。多くの税金を使うことを含めて、この下北沢再開発計画を一部の利権団体と区役所、商店街ボスの密室での計画に終わらしてはならないと思う。私も下北沢に店を持っている関係から、ちゃんとこのグループに参加してみようと思っている。
「ざわざわと人の集まるこの街を、大きな道路が踏みつぶしてゆく。しもきたを愛するものたちよ、今立ち上がろう!」と“Save the 下北沢”の人達は今日も下北を愛する人達に訴えかけている。
“Save the 下北沢”ホームページ http://www.stsk.net/
何か希望をあまり持てないような気がする新年になりそうだけれど、“国家”とか“組織”“民族”とかあまり信用できない世の中になってしまって悲しいけれど、防衛策はそんなことには惑わされない何事にも負けない“強い自分”を作るしかなくって、でもきっと2005年はどこかで“跳べる”隙間を見つけて、より良い明日を“想造”してアクティブに生きて行きたいと思う。
2005年新年
ロフト席亭 平野 悠
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