------今月は、この<THE 3PEACE 梶原徹也の深入りコーヒー3杯目!!>の最終回総集編として、私(荒木智絵)と梶原徹也氏でこれまでを振り返りたいと思います。ではよろしくお願いします!
梶原 じゃぁ、ゆっくり行きましょうか〜(笑)。

●1999年8月 難波 章浩様(Hi-STANDARD)
-----記念すべき第一回目! ものすごく長い時間取材してましたよね。6時間はくだらなかった! しかも今だから話せることですが(誌面 には載らなかった)<解散>に関して語ったんですよね。ドキッとした。
梶原 そうね、僕が夢を見て。難波君があっけらかんと「解散しちゃいました〜」って言ったんだよって本当に軽く言葉にしたら、その場の空気がウワッと変わっちゃって。その後も自分の音楽を追究しているみたいだし、当時ハイスタはとにかく自分たちのレーベルも順調に軌道に乗っていたときだったよね。
-----終始一貫して、いろいろ悩みながらも<自分で何でも決めていかないと音楽もやっていけない>っていうのがすごくポジティブで新しくて印象的だったな。

●1999年9月 岡崎 善郎様(PEAL OUT)
梶原 PEAL OUTはこの時以来おつきあいが深くなったんだよ。THE 3PEACEが活動休止になったSHELTERのライブにも来てくれたし。サルサガムテープだったりとも、対バンもよくやってくれたな。
-----ライブ中に担当楽器が変わる話が深くに及びましたよね。
梶原 REMのライブを武道館で見て、彼らが楽器にこだわらずにやっていたことにバンドが長くやっていく方法論があるっていう話をしたよね。岡崎君は僕と同じ所を見ているなぁって思って面 白かったよ。後は日本語の歌詞に関して。最近は日本語で歌うのはそれほど特筆することじゃないんだけど、当時は聞いてみたかった事の一つだったんだよ。

●199年10月 ジョニー吉永様
梶原 対談が終わっても、3,4時間語ってしまったんだよねぇ(笑)。
-----チャリティーイベントの在り方を話しましたよね。MUSIC BAZARを中心に。
梶原 チャリティーに関してはジョニーさん自身、子供さんが生まれてから考え方が変わったっていってたね。
-----ジョニーさんが<伝えるためにずっと音楽をやり続ける>っていう言葉が特に胸に来ましたね。
梶原 とくに、ジョニーさんは自分でも歌が歌えるっていうことがすごくいいなぁって思ったよ。自分のドラムと歌だけで地元で叩き語りライブをやったって言ってたじゃない。

●1999年11月 田原 智子様(ミラレパ基金)
-----そのチャリティーの在り方を引き継いで、田原さん。梶原さんはチベタンフリーダムコンサートを通 じてナワンさんと出会ったんですよね。
梶原 ミラレパ基金とチベタン〜は在り方が衝撃だったから。それ以来、THE 3PEACEの可能な所のライブではミラレパ基金のブースを出してもらっていたんですよ。いろんな意味で続けていく事の大変さを背負っている人だからね。
-----でも、あんまり気負わず一歩一歩っていうスタンスなんですよね。ヒステリックじゃなくて。音楽のパワーを良く理解している人ですよね。

●1999年12月 小林 雅之様(POTSHOT)
-----旧友といいますか(笑)。
梶原 この前もドラマーズで一緒になったよ。彼はその前のJ(S)Wとは違う方法でバンドを続けているんだけど、プレイヤーとしてこだわっているんだけど、自然体なのがいいよね。
-----POTSHOTのようなストリート感覚のバンドに30過ぎてもものすごい数のライブだったり海外ツアーをこなしてしまう小林さんって、一言すごいな〜って思います。
梶原 そうねぇ、スタンスが身軽だよね。いい意味で気楽に構えることなくロックをやっている気がしたなぁ。この人はドラマーとして体にガタが来てないっていうのが、羨ましいね(笑)。
-----じゃぁ、やっぱりPOTSHOTっていうバンドが合っているんですね!

●2000年1月 篭橋 俊樹様(back drop bomb)
梶原 篭橋君のback drop bomb内でのコンポーザー的見解が面白かったな。
-----音楽の趣味がすごく広かったのを覚えていますが。自分たちの曲を作る前に一リスナーとして聴いてしまうっていうのも面 白かった。
梶原 しかもリズムから曲を作るっていうことに、ビックリしちゃったよ。こういう作り方もあるんだなぁって。しかも英語の歌詞をヴォーカリストがメンバーに公表しないっていうのもなんか面 白かったな(笑)。いろいろバンドの在り方があるんだなぁって思いました。

●2000年2月 仲野 茂様(アナーキー)
-----梶原さんが30分以上遅刻して、茂さんと二人っきりで本当に本当にどうしよう、、、ピンチ! でした(怒)。
梶原 ごめん(笑)。茂さんかあ、、、、。アナーキーは一段落しているみたいだけど精力的にやっているよね。茂さんって見た目と違って、自分の中で色々悩んだり考えたりして、解決したり煮詰まったりする人なんだなぁ、って発見でしたよ。<仲野 茂もまだまだだなぁ>っていう発言に、そうかぁ、、、って思ったんだよね。
-----どんどん茂さんは<痛快にやりたい!>っていってましたが。
梶原  そうね、何をやるにしても吹っ切れていないとカッコ悪からねぇ。その辺をよく判っている人だからヴォーカリストとして格好いいんだよね。

●2000年3月 TSUTCHIE様(SHAKKAZOMBIE)
-----それまではバンドの人だったんですが、TSUTCHIEさんはバンドなんだけど打ち込みの人。さてどうしましょうという感じでしたけど。
梶原 機材のこととか判らないことを質問責めにしたんだよね。3PEACEの原君がSHAKKAZOMBIEのファンでそれで実現した対談だね。やっぱりTSUTCHIEがいっていた打ち込みの感覚は、僕には完全に理解していない部分もあるんだけど、<同じバンドなんだ!>っていうことを彼は強調していたよね。プログラミングする側のセンスだったりグルーブの仕方だったり、興味深い話が沢山あったな。一度お仕事をしてみたいんですよねぇ、リミックスとかどうやってやるんだろう〜って、横から覗いていたいな(笑)。

●2000年4月 かしわ 哲様(サルサガムテープ)
梶原 随分深いおつきあいになってしまいしたね〜(笑)。その後、私はサルサのレコーディング / プロデュース、ドラマーとしても参加して。 3PEACEの永野かおりさんとほぼ正式メンバーとして活動しちゃったりして。
-----梶原さん達が関わりだしてきて、サルサも大分スタンスが変わってきたんじゃないですか?
梶原 そうだね。精華園のメンバーは体調だったりの問題もあるんだけど。最初の頃は<福祉>の中でどう展開していくかだったのが、最近では音楽というアイテムを使って世の中にでていくことに主眼が置かれてきているからね。昔からサルサに関わっている人の中には色々意見もあると思うけど、やっぱりかしわさんをはじめとしてやっていることがいいことだって自信があるんだったら、どんどん世の中にでていくべきだと思うんだよね。本当にこのバンドは、続けるのが大変なんだよね。今は音楽を楽しむ! っていうことが大切かな。

●2000年5月 平野 悠(LOFT/PLUS ONE 席亭) & THE 3PEACE様
-----この号は趣向を変えて、PLUS ONEで公開取材したんですよね。THE 3PEACEがアルゼンチンツアーを成功させて帰ってきた記念に。
梶原 そうだったねぇ、、、難しかったよ〜。悠さんはすごく面白いネタ沢山もっているんだけど、みんなの前だとなんか普通 っぽくなっちゃったんだよねぇ、、、。おじさんの眼をみたらすごく面白い人だって判るじゃない。そこをもっとつっつきたかったんだけどねぇ、、、、。

●2000年6月 ミネタカズノブ様(GOING STEADY)
梶原 いろいろいわれているブームの火付け役ですよね。
-----<とにかくロックはどんどん繋がっていくんだ!>っていうことの再確認だったような気がします。すごくポジティブな流れの。
梶原 GOING STEADYは「さくらの唄」を出して飛躍的に変わったバンドだと思いますよ。「生まれ出づる悩み」を乗り越えての。そういう意味で、ものすごく応援しているんですよ。頑張って欲しいなぁ。

●2000年7月 冨永義之様(THE ELEPHANT KASHIMASHI)
梶原 最近の若手のバンドの流れで<日本語のロック>といえば、まぁブルーハーツの流れとエレカシの流れがあって、あとはイースタンユースだったりすると思って。それはオリジナルを経験した世代と次の世代とは全く別 物だったりするし、受け継がれていくものだったりするんだよね。
-----そうでしょうね。まぁ、冨永さん個人的にいうと、クリックの話が中心に来ていましたよね。
梶原 トミーは当時、ライブでも打ち込みと一緒にドラムを叩いていたんだよね。代表格といえばU2とだったりするんだけど、エレカシのライブとしてはもう少し! っていう部分もありつつだったんだよね。

●2000年8月 野沢直子様(The Ass Baboons of Venus)
-----二人目の女の方は、、、野沢直子さん!
梶原 なんていうのかなぁ、、、この人はものすごく才能を感じるんですよ。それはミュージシャン的な才能じゃないのかもしれないんですけど。お笑いの才能だったり、人を魅せる才能。漫才のネタとかコントとかって、ものすごく頭使って作ると思うんだよね。やっぱりいろんな意味でのセンスがないとダメだと思うしね。吉本好きの私としては、野沢直子さんが売れる前から「この人いいなぁ〜」って思っていたのよね。
-----異色対談だったけど、面白かったですよ。女としてすごく綺麗な人で、ビックリしちゃった! 可愛い部分もあって、羨ましいなぁって(笑)。

●2000年9月 高橋まこと様(De+LAX)
梶原 まことさんは小林君に更に輪をかけて、<生涯一ドラマー>だよね。相変わら8ビートのテンポ200くらいで刻めるみたいだし。すごいよ。
-----まことさんもドラマーズですよね。
梶原 そうですね、ある時期から参入してもらって。まことさんはホント、喋っているか叩いているかっていう感じの人なんですよ〜! 曲も忘れるし面 白いよ〜! 伝説のドラマーとしての顔と他の顔があって、面白い人ですよね〜。まことさん最高だから。

●2000年10月 イトウフミオ様(KEMURI)
-----フミオさんとはTHE 3PEACEのカメラマンの花房さん繋がりですね。
梶原 とにかく自分たちのスタンスだったりスタイルだったりにこだわりを持っててすごいよ。ジャケットにケナフの紙を使ったり、そういう彼らのスタンスはお客さんにも伝わっているし。KEMURIのライブはお客さんがいい感じなんだよね。いいなぁって思ったよね。いろいろあるんだろうけど、KEMURIのスタンスを貫き通 してくれるのは、一つの勇気になるよね。
----そうですね、個人的にもKEMURIには救われた事が沢山あって、感慨深かったです、はい。

●2000年11月 中村達也様(ロザリオス)
-----ブランキー脱退後の達也さんがその後、どういうアクションをするのかってみんなが耳を澄ましていた所の対談だったんですよね。この時取材をしたBAR AOYAMAでのジャムセッションが後のロザリオスの布石になったりして。すごく反響があったんですよ。
梶原 バンドマンとしては普通の話だったんだけどね。メンバーしか判らないいろんな人間関係もあるしね。達也君とはその後も電話したりしたんだよね。達也君の感情と共に揺れるドラムじゃないとダメだっていうバンドもあるしね。ものすごい持ち味だからね。その揺れを追求して、ブランキーが分かれてしまった一つの答えを提示してあげた方がいいんじゃないのって思って。ロザリオスの音をまとめようとしていたときにね。中村達也のドラムを提示して納得出来る部分もあるしね。ロザリオスは今はいい感じじゃないですか。ブランキーのそれぞれが何をやりたかったのかが、いい感じに出ているから良かったなぁって思っているんですよね。

●2000年12月 車谷浩司様(AIR)
-----アムネスティーのイベントでこの後一緒になったんですよね。
梶原 車谷君は割と外に向けて物事をはっきり打ち出していて。この時も「動物実験反対」というのを掲げてツアーをしていて。だからすごく論客としてもバーーッとしゃべり倒すのかなぁって思っていたんだけど。いざ話してみたら、いろんな事を悩みながらも前に進んでいるっていう感じがして。その姿勢に共感出来るなぁって思ったんだよね。すごく自分で自分につっこみを入れていたりして。だけど、「やらねば」みたいな所があるんだろうね。それと、彼は自分で「政治オタク」だって言ってて。彼の中では政治の部分と音楽の部分を結びつけるのが自然なんだって。
-----なるほどね。
梶原 私もバンダバソッティとかみて思うんだけど、彼らも政治のことしか歌っていなかったりするじゃない。それが普通 のロックかもしれないんだよね。だけど日本は政治のことと宗教のことにはまったく触れられていないんだよね。本当はそっちの方が不思議なのかもしれないよね。

●2001年1月 山口 洋様(HEATWAVE)
-----HEATWAVEの活動停止の直前になるんですね。
梶原 彼も38年組なんで、すごく身近に感じるミュージシャンなんだけど。そうだなぁ、彼がネイティブなこと、アイルランドにしてもネイティブアメリカンにしても、そういう事に惹かれていっていろんなアクションを起こしているのは山口君らしいなって思ったよ。
-----今年の夏もネイティブアメリカンのトム・ラブランク氏とツアーをしてましたね。
梶原 そうなんだ! バンドもソロも精力的に広がっていってね。すごくインパクトがあったね。同じバンドとしておつきあいしていた人間が、彼は独りで世界中に出ていって世界中の人と繋がっていろんな体験をしていったっていうのはすごいよ。同じ時間の使い方にしても。やるなぁ! って思ったよ。

●2001年2月 杉本恭一様(LA-PPISCH)
梶原 恭一君の後半はほとんどタイガーズ一色だったね(笑)。ドラマーの雪好くんが脱退したのはこの後だったっけ?
-----そうなんですよねぇ、、、、。
梶原 バンドっていろいろあるよなぁっていう一言に尽きちゃうんだけど。まぁ、この時には恭一くんもアナラーズを平行してやっていたわけだしね。そういうようなパーマネントバンドに所属しつつもある種の捌け口がある人はいいと思うんだけどね。上手いことバランスが取れると思うしね。まぁ、リズム隊はそういうふうにはなりにくいのかなぁ、そんなことをついつい感じちゃうよ。
-----こればっかりは、、、誰も口を挟むことが出来ないですからね。。。。
梶原 そうなんだよね。まぁ、今度今のレピッシュの在り方だったりをMAGUMI君あたりに聞いてみたいよね。現ちゃんには話を聞いたからさ。

●2001年3月 中條 卓様(THEATRE BROOK)
-----この号は原さんも特別参加でしたね。
梶原 この人のベースはすごいんだから! ビックリしちゃうよ〜! さっきの恭一君だったりMAGUMI君だったりもそうなんだけど、中條君とかね、僕が学生時代から知っている人が沢山まだミュージシャンをやっていることもビックリしちゃうね。
-----中條さんとは原さんのバンドでKING BEE'Sの時に、梶原さんとはニアミスしているんですよね。
梶原 中條君はパンクを通って来てない人なんだよね。で、話してみてもミュージシャン! っていう感じ。私にはある種のコンプレックスみたいなものがあるんだよね(笑)。玄人受けなかんじじゃないですか。憧れるよね〜。

●2001年5月 入江 美由紀様(ジッタリン・ジン)
-----ヨーロッパツアーで4月はお休みして。ジッタリン・ジン。
梶原 ジンタ君は本当にライブハウスで会うんだよね〜。この3人も仲良しだよな〜。私はこういうバンドは経験したことないんだよね。割とバンド内が何かをぶつけ合って、それで作り上げていく感じなのね。
-----仲良しには仲良しなりの音作りの法則があるでしょうね。
梶原 そうね。あと入江さんのドラムはすごく正確なんだよ。しかもものすごく練習するんだよ。それはちょっとすごいなぁって思う。後、今や自分たちで何でもやる! っていうスタンスになってさ。いい感じだよね。

●2001年6月 田原 智子様(ミラレパ基金)
梶原 私達がヨーロッパから帰ってきたばかりで。自分の中では向こうで<NON VIOLENCE!>がどう受け取られるのかがまずあって。結果、<NON VIOLENCE!>ってやっぱりアジア的・仏教的考え方なのかなぁって思ったりして。そういう所にチベタン〜があったんだよ。
-----そうかそうか。田原さん自身は別のアクションも示唆していましたよね。止まらない人だなぁ〜! って思った記憶があります。
梶原 この前のシェルターでもまた新しいことをはじめている感じはしたよ。やっぱりいかにして継続していくかとか自分の中ですごく考えていると思うんですよね。私は個人的に尊敬しているんですよ。

●2001年7月 FERMIN MUGURUZA 様
-----田原さんとの対比でバスクのFERMIN。
梶原 ヨーロッパツアー中に取材したんだけど。私としては仏教的な事を割と普通 にぶつけた感じだったんだけど。<NON VIOLENCE!>に関しては結構違った意見だったんですよ。<必ずしも非暴力が正しいとは思わない>という発言もあったしね。 -----まぁ、当事者としての意見も色濃くあったと思いますが。 梶原 で、その後にそれまで支持していたETAというバスク独立の団体の活動方針が変わってきてしまったらしく、FERMIN達はETAの支持を取りやめたりしていくんだよ。で、その後の彼らの考え方が徐々に非暴力に向かっているというのも話として聞いているんだけどね。9.11のテロがあったり、状況は刻々と変わっていくからね。FERMINは今何をするのかっていう活動化で、これはもう死んでからどうなのかっていう宗教観の違いって言う所も大きいからね。それでもいろんな話が出来たのは嬉しかったよ。

●2001年8月 TOKIE様
-----うってかわってTOKIEさん! 梶原さんたっての希望でしたよね。
梶原 そうね(笑)。TOKIEさんは本当に生まれながらのミュージシャンっていうお方でしたね。語る人ってより。本当にお話出来て楽しかったなぁ〜! 女性のプレイヤーに関して励ましの言葉をかけていたけど、それは真実味があったな。
-----そうですね。はっきり物事を言いながらも、堂々とプレイすると格好いいんだ〜! っていうのを目の当たりにした感じでした。
梶原 ロザリオスにとっても、TOKIEさんは重要な存在だったと思うな。

●2001年9月 NANAO様(AUDIO ACTIVE / DRY & HEAVY)
梶原 すごくいいなぁって思った。久しぶりにドラマーとしてのショックがあったんですよ。ビートが、なんでこうタイトに出るんだろうって思って。
----延々とワンドロップの解釈だったりが続いて、、、、。
梶原 そうね(笑)。取材の時間が七尾くんが一番長かったよね。普通にファンだもんな。ドラマーとしてみてかっこいいもん。
-----レゲエの精神だとか普段とは違った感覚の話がありましたよね。
梶原 後はリズムセクションからバンドへとの過渡期だったみたいで。その辺の話も濃かったよね。

●2001年10月 hidaka&thai様(BEAT CRUSADERS)
梶原 このバンドはみんなキャラがあるよね〜。面白いよ〜。ここら辺の音楽をやられるとねぇ、、、非常にツボだから弱いんですよ〜。ビートルズから始まってXTCとか、ブリティッシュのポップの流れがね、いいんですよ〜。KEYをいれつつギターの音圧で攻めてくる! みたいな感じね。ロックのカタルシスもあるんだけどポップで。打ち込みのおもしろさも拾っていっちゃおう! っていうバランス感。完成度が高いよねぇ。
-----hidakaさんの<コミットしないと意味がない!>っていう言葉がすごく印象的だった。
梶原 彼はガンガンモノをいう人だもんねぇ。熱く語っていたよね〜。
-----ビークルのマネージャーがブルーハーツのマネージャーだった人なんですよね。
梶原 そうね。彼のレーベルのラストラムは非常にいいレーベルだと思うなぁ。54-71なんか非常に興味があるバンドもやっていたりしてさ。

●2001年11月 山岸 潤史(THE WILD MAGNORIAS)
-----そして〜御大です! ジョニーさん以来っていう感じがしますね。
梶原 山岸さんとここまで深い話が出来て良かったなぁ〜って思ったよ。単身ニューオリンズに渡って、自分の好きだったワイルドマグノリアスのメンバーになっちゃって! 今や世界的なギタリストですからねぇ。周りから見ると、ブルーズ・ギタリストの〜っていうのとはちょっと違った方向に進みつつも、自分の音楽を掴み取った! ってすごいよね。
-----本当に、私は一番好きな人なので、、言葉はないです〜。
梶原 さっきのビークルの日高君も言っていたけど、コミットの感覚だよね。山岸さんみたいに自分の世界を持ちつつも新しい世界に飛び込んでいくっていうコミットの姿勢は、本当に音楽が好きなんだなぁ〜って思いましたね。

●2001年12月 TOSHI-LOW(BRAHMAN)
梶原 BRAHMANとはイタリアで一緒にライブをやったんだよね。日本での彼らのライブも好きだけど、日本以外での彼らのライブがまた見てみたいなぁ。

-----とにかくすごくストイックな人達ですよね。音楽に対して。
梶原 今年のフジロックが終わってライブを高田馬場でみたけど、彼らにとってはRADICALなスタンスというか、どこでも変わらないんだっていうライブを見せてくれたよね。で、すごくバンドとして成長したなぁって思った。二度目のイタリアツアーの話も聞いたけど、海外ツアーでのいろんな事を吸収して、精神的にタフになったよ。貫禄がでたなぁって思った。

●2002年1月 喜納 昌吉様
-----2002年の幕開けは喜納さん!! この方はとにかく凄まじいほどのパワーを感じましたよ。圧倒されっぱなしだった。
梶原 そうだねぇぇぇ。ものすごいよね。なんなんだ?! っていうくらいだったよね。しかもカオス! カオスだよ〜! チベタンのときに一緒だったナワンさんもすごいパワーなんだけど、それを自分の中で上手いこと浄化していたりするのよ。だから喜納さんもそういう感じなのかなぁって思ったら、違った!! カオスのまま、ありのままぶつけて来る! <祭りッ!>って。この間、9月11日にもロフトに出演していたけど、ものすごかったなぁ。こういう人が一度政治に参画すると面 白いことになるかもしれないよね。政治をライフワークにするんじゃなくて、出来ることならぶっ壊して、いい物を生み出すきっかけになればいいのになぁって思うな。

●2002年2月 suGar様(BAFFALO DAUGHTER)
-----suGarさんは本当の意味ではっきりとモノを言う方ですね。すごく信頼できるなぁって思った。
梶原 そうだね。チベタン〜でもオピニオンリーダーとして記者会見にも臨んでいたよね。それはアメリカでのグランド・ロイヤルでの経験も大きいんじゃないかなって思ったな。その部分も含めて、日本のバンドが日本以外で活躍するはしりのバンドなので、その在り方は学ぶ所が多いよね。
-----しかも自分たちの音楽のマーケティングがしっかりとビジョンとして頭にあるのがすごいなぁって思った。成功するのもこりゃ、自然の流れなんだろうなぁって。
梶原 行動力がすごいよね。ポンッて行けないじゃん。日本でやっていることを止めるわけだから。自分たちの事を信じる事が出来るからだろうね。僕たちが出来なかったことをもっと前に体現しちゃっているんだから、羨ましいしすごいと思う。バンドの感覚が素晴らしいな。

●2002年3月 NAGOYA様(WRENCH)
-----オーディションでアナーキーに加入したなんてすごい、、!
原 アナーキーを選んだ(笑)。WRENCHとアナーキーって全然違うじゃん! しかもNAGOYA君はぜんぜん普通 だからね。気負ってもないし。面白いよね。彼のドラムも味があって特徴があるんだよね、好きなんですよ。
-----まぁ、アナーキーもWRENCHも癖のあるメンバーって言うことかもしれないですよ(笑)。梶原さんとは年齢が一緒なんですよね。
梶原 そうそう。お互いがんばんなきゃねぇ。
-----<うっわーな人生>を歩んでいるのは、SHIGEさん(WRENCH)だけじゃなくてNAGOYAさんも充分! っていう気がしました(笑)。

●2002年4月 OZOMATLI様
-----OZOMATLIは本当に好き! もう一回みたいなぁ〜!
梶原 ある意味ね、僕が気になっていた音楽をやってのけちゃった人達に思えるんですよ、、、、。トラディッショナルなリズムとヘヴィーグルーヴな所をミクスチャーして。両方がもつロックのカタルシスですよ、特に打楽器のアプローチを表現していてさ〜。面 白かったよね。反面やられた〜っていう気分! いいバンドなんだけどさ〜。登場と退場は客席を通 るでしょ。客をバーーーッと煽ってさ。特に退場はアンコールの変わりに、生楽器だけで延々お客さんと一緒になってみんなでセッションするなんて格好いいじゃん。
-----燃えますねぇ! みんなで取り巻いて踊りまくってね。
梶原 否応なしに盛り上がっちゃうもんねぇ〜。来たーーーって。打楽器の感じがとにかく気持ちいいんだよね。ベーシックがきっちりしていていいよ〜。

●2002年5月 松田 晋二様(THE BACK HORN)
-----すごく面白かったなぁ、、、松田君は。
梶原 THE BACK HORNの曲の作り方、まず仮タイトルがあって、みんなでジャムっていってそこに歌も乗っかってくる。メロディーもそこからうまれて、歌詞は後から決め込む、っていうのにビックリしちゃったよ。信じられなかったよ。
-----ジャムバンドは以外とそういう形が多いみたいですよ。
梶原 ジャムバンドは判るんだけど、BACK HORNは歌モノのバンドだともいえるじゃない。そこにびっくりしたんだよね。自分たちにとっては当たり前なんだってね。逆に曲先行でくると煮詰まっちゃうんだって。
-----BACK HORNと3PEACEの根底にはどろどろが流れているってね。
梶原 (笑)。

●2002年6月 福岡 ユタカ様(YEN-CALLING)
-----福岡さんもすごいエネルギーを持った方でしたよね。石見神楽の話は強烈だったなぁ!
梶原 福岡さんもOZOMATLIと一緒でベーシックに持っている物があるね。福岡さんは石見神楽にすごく影響を受けていて、伝統芸能という部分で気を遣う事も沢山あるんだろうけど、彼自身コラボレートしていて。すごく羨ましかったよ〜! 本当に育った環境だよなぁ、、って思ってしまうんですけどね。今年の石見神楽を見ることは出来なかったんですが、次回の機会には絶対!! 練習が見たい! どうやって作っているんだろうって。

●2002年7月 上田 現様
-----空間の作り方ということで、元ちとせさんのレコーディングでのことで<乾いた空間>を生み出すのに<耳に聞こえないレベルのストリングス>を残してそれが陰の役割をするという件は、ほぉぉ〜って思ったんですよ。
梶原 ミュージシャンって情報量を詰めこみたがる人の方が多いんだけど、結局詰めこみ過ぎちゃうとなんにも伝わらないことを現ちゃんはきちんと判っているんだよ。<引き算>の方法で空間を作り上げていく〜みたいな感じだろうね。それは一つの本質だよなぁって思ったよ。最近私は、若いバンドにアドバイスする場面 が多くなってきたんだけど、言えることはただ一つだったりして。「何を伝えたいのか」ということ。ダイナミクス、行く所と押さえる所を考える事なんだよね。全体を聴いてね。その判断が出来ることは非常に重要だなっていう気がしましたね。元さんでクローズアップされた感じもしたけど、現ちゃんは一貫してコンポーザー能力は非常に高いよね。

●2002年8月 佐久間 正英様(四人囃子)
梶原 佐久間さんはブルーハーツの初期の段階から関わって頂いいたこともあって。私の中では別 格の人なんですよ。憧れちゃう部分が大きいですよ。ここまで音楽が判って操れたら、本当にすごいな! って思う。しかも自分との接点としてはロックオヤジっていう所もあってね。
-----インテリジェンスなんだけど、ものすご〜く熱くて、初めてお会いしたのにいきなり尊敬でした、私的には。すごすぎた!
梶原 僕にとっては今、いい感じで話せる人なんですよ。
-----プロデューサー的な観点のヒントが沢山ありましたね。 梶原 そうだね。後半戦は教えを乞う感じになって、興味深かったんですよ。佐久間さん的な立場での発言だったけど、本当にいい感じに話せて良かった。いいよなぁ、才能ある人は吹っ切れててって思ったな。

●2002年9月 太陽族
-----「男の子」は梶原さんとマリさん(JACKS)でプロデュースでしたね。
梶原 そうだね。彼らは今本格的に全国ツアーに出ていて色々悩みも出てきたみたいだけど。がんばれがんばれ〜っていう感じだよ。太陽族は身内みたいなもんだからなぁ。4,5年前から知っているんだけど、メンバーも今とは大分違うんだけどさ。いろんな所で人気が出てきたことは不思議に感じたり、非常に嬉しいことでもあるんだよね。彼らはこれからいろんな事、バンドの在り方だったりに悩んだりするかもしれないんだけど、私で話せることは彼らに話したいなと思っているんですよ。
-----梶原さん、完全に親心ですね。
梶原 (笑)。まあ太陽族はまだまだこれからのバンドだと思うよ。それは彼らもわかっているだろうし。いろいろ考えて良くなっていくと思うよ。とにかく頑張って欲しいな〜って思う。

●2002年10月 & 11月 花房 浩一様
-----花房さんすごかったから2ヶ月連続でやってしまいましたが。
梶原 まっとうな意見だと思うな。みんな口に出したくても出せないし行動できないことを、やってのけるだけのパワーがある人だということはすごいことだけど。私にとっては悩んでいた所をズバズバってくれたしね。
-----ライブハウスの在り方への件は反響が大きかったですよ。関係者を含めて。
梶原 日本でどうやって実現していくのかっていうことだよね。
-----それと、ライターなり編集者としての在り方はけっこう堪えたんですよ。なんか私、やっぱり全然生ぬ るいな〜って。事勿れ主義が一番嫌いなのに、ROOF TOPはそうじゃない! って言い切れるのか? って、真摯に考える必要が出てきた。本当に愛情を持って取り上げているのか? 書く場合はなおさら、そういう問答があってもいいのではないかって。
梶原 そうね、でも音楽の編集でもスタッフでもそういう好きだけのスタンスはプロフェッショナルとしてどうなんだ? っていう所も出てくると思うんだけど。あくまで自分の趣味を貫くことと、その音楽が理解はできないけどその音楽のミュージシャンとファンがいる限り伝える事をするっていうのも、両方プロの姿勢として合ってもいいんじゃないかなって思うんだけど。
-----そうか、、、そうなのかなぁ、、、うん、そうですけどね。判るんだけどその辺、まだまだ私は悩み中。。。中途半端はよろしく無いなぁっていうのだけ判っているんですけどね。
梶原 でもね、資本主義の中での音楽であって、メジャーもインディーも自分たちで何でもやる! っていう健全な方向に流れているじゃないですか。自分がどの方向を選ぶのかだよね。試行錯誤の上だよね、全て。

※今号で今の形の<深入りコーヒー3杯目!!>を最終号としますが、2003年1月号よりリニューアルしてリスタート致します! 手に入れ損なった号の<深入り〜>が全文を通 して読みたい方は、今号までの御感想と梶原氏に対談して欲しいアーティスト(人物)、必要事項を明記の上、下記までご応募下さい。出来る限り送付させて頂きます。また、近日中にLOFTのWEB内にUP致します! これからもよろしくお願い致します!! (roof top編集部)
〒169-0073 新宿区百人町1-5-1 百人町ビル3F LOFT PROJECT「深入り」係
03-5287-9177(FAX)chie@loft-prj.co.jp(e-mail)

 
 

 


難波章浩(Hi-STANDARD)
岡崎善郎(PEAL OUT)
ジョニー吉長
田原智子(ミラレパ基金)
小林雅之(POTSHOT)
篭橋俊樹(back drop bomb)
仲野茂(アナーキー)
TSUTCHIE(SHAKKAZOMBIE)
かしわ哲(サルサガムテープ)
THE 3PEACE & 平野悠
ミネタカズノブ(GOING STEADY)
冨永義之(THE ELEPHANT KASHIMASHI)
野沢直子(The Ass Baboons of Venus)
高橋まこと(De+LAX)
イトウフミオ(KEMURI)
中村達也
車谷浩司(AIR)
山口洋(HEAT WAVE)
杉本恭一(LA-PPISCH)
中條卓(THEATRE BROOK)
入江美由紀(ジッタリン・ジン)
田原智子(ミラレパ基金)
FERMIN MUGURUZA
TOKIE
hidaka & thai(BEAT CRUSADERS)
山岸潤史(THE WILD MAGNOLIAS)
TOSHILOW(BRAHMAN)
喜納昌吉
suGar(BUFFALO DAUGHTER)
NAGOYA(WRENCH)
OZOMATLI
福岡ユタカ
上田現
佐久間正英(四人囃子)
最終回総集編