目の前に現れたものをすべて肯定する
──まず『PINK』が発表されるまでの経緯をざっと振り返ってみたいのですが、2003年11月1日にライヴ活動を一旦休止されて、それ以降1年半の間に海外盤を含む13タイトルもの作品を量産したのは?
ATSUO(ds, vo):ライヴを休んだのは、各方面からオファーを受けすぎたのがきっかけですね。自分達としてはどんどんやりたいんですけど、ライヴとレコーディングを並行して進めると色々と支障が出てくる部分もあって。集中してレコーディング作業に打ち込みたいと思ったんですよ。
──ライヴ休止期間にリリースされた作品の多くは、ロックの外側に向けての音を探究する小文字表記の“boris”名義がほとんどでしたが。
ATSUO:リリースを重ねるにつれて、「何かスペシャルなことをやってくれ」みたいなことをどのレーベルからも言われるようになりまして。有り難いことに、2枚組とかピクチャー盤とか何でもやらせてくれる状況にあったんですよ。そういうアートワーク込みで作品を発表できるので、形が先に決まっていると、自ずと音のほうもコンセプトや可能性が見えてくるんです。そこで自分達が思い付いたことは全部具現化したいじゃないですか。そう考えていくとマニア向けな方向性にならざるを得ない。音を出す現場で僕らが感じている気持ちいいことをありのままに伝えようとすると、やっぱりマスな方向からは外れていきますよね。
──メンバー自身の中では、大文字と小文字の表記に大きな区別があるんですか?
ATSUO:いや、全然ないですね。大文字、小文字の違いは、聴いてくれる人にとって入やすい、ガイド的な表記の差という程度です。入口を判りやすくしているだけと言うか。
──今回リリースされる『PINK』は、『あくまのうた』以来実に2年半振りとなるロックの中心に向かう大文字名義のフル・アルバムですが、これは小文字名義作品が続いたことへの反動もあるのでしょうか?
ATSUO:ええ。小文字のほうで徹底的にロックの外側へ向けた探究を続けてきて、その反動としてロックの中心を貫きたい、もっとその先へ行きたいと思ったんです。自分達が考える今一番新しいロックっていうものを今回やろうと。
──その“今一番新しいロック”というものを具体的に言うと?
ATSUO:ここ数年続けて試行している部分ではあるんですけど、消費され尽くされてるロックの記号的な部分と、僕らが音を出す時にまだ言葉にもなっていないような感覚を持つ音像という相反するものを融合させて提示する、って言うか。一聴すると普通にロックに聴こえるけど、今回の作品は多分判らない部分が凄くあると思いますよ。
──ミックスとマスタリングは、今やBORISの作品には欠かせない存在である中村宗一郎氏ですが、今度のアルバムで留意した点は?
ATSUO:録りはすべて自分達で行なったんですが、使っている機材がハードディスクでのデジタルレコーディングだったので、音が華奢な部分っていうのがやっぱりあるんですよ。それを中村さんというフィルターを一度通してもらって、ロックの譲れない部分みたいなものをしっかり残してもらったりしましたね。ツールとかハードとか、今回はその辺で中村さんに活躍してもらいました。
──『あくまのうた』の頃に比べて、レコーディングの手法は全然違いましたか?
ATSUO:ええ。『あくまのうた』は完全にアナログのテープで録ってましたし、録りも中村さんにやってもらって、素材の可能性や良さっていうのは中村さんが把握している感じだったんです。今回の場合は、何が録れてるかは僕ら自身が一番よく理解していたし、その違いは凄くありますね。ミックスも、今回はこちらが主導で進めていきました。実際に録れた音を曲としてどう“読んでいく”かと言うか、スタジオでジャムった音がベーシックの素材になっているものもありますし、それはガビガビの音だったりもするんですけど、そこから音や曲の方向性が生まれてくるんです。その時その時で目の前に現れたものをすべて肯定すると言うか、そんな作業でしたね。
──残響する音の彼方に見えない音像までが浮かんでくると言うか、聴いた人間のイマジネーションが掻き立てられる、独特としか言い様のないサウンドですよね。
ATSUO:自分達自身がひたすら楽しんでいる感じですね。スタジオで録れた音像から僕らの中でいろんな意味合いが引き出されてきたりとか、そういう部分が聴こえない音とか見えない意味になっていたりするので。
TAKESHI(vo, gu, ba):最初から「これはOKか? NGか?」、あるいは「必要か? 不要なのか?」っていうことに限定しているんじゃなくて、その時々で如何に楽しむかってことですよね。それがOKであるなら、最後の最後まで突き進んでいく。
ATSUO:例えばギターの音が凄くいい音で録れたとして、ミックスの時にそれを小さくしちゃったらただそれだけでその良さは台無しになりますよね。レコーディングしながら見えた、自分達が思う素晴らしい印象は形に残すように今回は努めました。
ロックの向こう側、その果てにあるもの
──これは大袈裟でも何でもなく、この『PINK』は日本のヘヴィ・ロック・シーンにとって今後大きな指標となり得る作品だと思うし、前衛的な部分と良い意味で大衆的な部分とのバランスも絶妙ですね。
ATSUO:そう言ってもらえるのは素直に嬉しいです。今回はもうなりふり構っていられないと言うか、とにかく「先へ行かせてもらうよ」っていう感覚だったんですよね。日本に限らず、海外に対しても。向こうのバンドと情報交換をしたり、実際に海外を回ると、自分達が肌で感じているロックの向こう側、その果てにあるものを強く打ち出したくなるんですよ。ここ何年か、“エモ”とか“カオティック”だとか、ロックの世界は随分と泣きたがってるんだなっていう印象があるんです。でも、僕らにとってはそれが嘘泣きに聴こえてしまうんですよ。インスト・バンドが凄く増えてきて、言葉の意味を放棄し始めている感じもありますし、そういうコミュニケーションとしての言語を使わないことが気になっているんです。だから今回はメロディや言葉にリアリティを強く持たせたかったんですよね。今のロックには余りリアリティを感じられないし、無理矢理泣いている気がしてならないんですよ。
──まぁ、音楽に限らずあらゆる表現はみな虚構の世界という言い方もできますが…。
TAKESHI:ただ、嘘泣きするにしても舌の出し加減が凄く目に付くんですよね。僕らが『PINK』で提示したかったメロディは“泣き”ではなくて、誤解を恐れずに言えば“キャッチー”さなんですよ。スーッと入ってくるし、こっちからも入って行けて、一緒に口ずさんだりできるものと言うか。それは歌じゃなくてもギターのフレーズでもいいし、そういうことで意味が生まれてくると思うんです。僕らと聴き手の関係性がもっと濃くなりますからね。漠然と“泣いてる”という印象だけ醸し出すなら凄く簡単だし、と同時に姑息だなと思うんですよ(笑)。
──要するにそれじゃ“気分だけのロック”ってことですよね。アルバムのラストを飾る「俺を捨てたところ」をいわゆるエモ好きに聴かせたら、もう“泣き”どころの騒ぎじゃないでしょうね(笑)。
TAKESHI:ずーっとサビみたいなもんですからね(笑)。ここ数年、海外のバンドからコンタクトを受けることが多いんですけど、そういったバンドは僕らが括られているような“ドゥーム”とか“ストーナー”のジャンルじゃないんですよ。“エモ”とか“カオティック”と呼ばれるバンドからのアプローチが実は多いんです。それは僕らがただ単に“ヘヴィ”ってことじゃなくて、実験的なものを作ろうとしても必ずメロディが“先にありき”だからだと思ってます。もしかしたら僕らのメロディが欧米の人達の概念にはない独特なものかもしれないし、それは判りませんけど。ただ、歌はあくまで日本語で唄っているので、言葉を超えたメロディの部分で強い印象を与えているのかもしれませんね。
──海外をツアーで回った時の現地の人達の反応はどんな感じだったんですか?
ATSUO:基本的に凄く熱いですよ。日本語なのに、空耳で覚えた歌詞を唄ってる声も聴こえますし。
TAKESHI:「あれ、オカシイな、ここコーラスはないのに何か聴こえるな」と思ったら、目の前のオーディエンスがシンガロングしてるんですよ(笑)。
ATSUO:海外で受けている他の日本のバンドとはまた違ったところにいるとは思うんですけどね。ヨーロッパにしてもアメリカにしても、日本の音楽に対して“ストレンジなもの”を求める傾向にあるじゃないですか。僕らは表面的にはストレートなロックですからね。
──海外から戻って日本のロック・シーンに目を向けると、やはり埋めようのない隔たりみたいなものを感じますか?
ATSUO:いやぁ、まず日本には純然たるハード・ロックって存在しないじゃないですか。とかくテクニック志向であったり、お笑いであったり。
TAKESHI:真面目にやればやるほどそうなってしまうところはありますよね。まぁ、僕らはそれを真面目に追求しようとは思わないですけど(笑)。ロック自体が欧米からの輸入文化だから、元々ないものなんですけどね。
ATSUO:結局、ハード・ロックの居場所が日本には育たなかったんですよね。
TAKESHI:そういう本来何もない土壌で活動している自負はありますね。日本のロック・シーンは基本的に村社会なんですよね。細分化されたジャンルがいくつもあって…それに比べると海外のほうはジャンルの境界線が日本ほど厳格ではないし、“来るもの拒まず去るもの追わず”な雰囲気ですかね。
──そう考えると、BORISが活動の場所を海外に求めるのは極めて自然な流れと言えますよね。
TAKESHI:いや、今どき海外で活動すること自体騒ぐような時代でもないだろうし、日本のインディ・レーベルからアルバムを出すような感覚で、ごくごく普通に海外のレーベルからリリースしている感じなんですよ。多少言葉のやり取りに時間が掛かるっていうだけで。
ATSUO:うん。それと日本語で唄ってても全然やれるっていうのは実感してますね。
TAKESHI:言葉の制約は確かにあるのかもしれないけど、伝えたいことがあればきちんと届くと思ってます。デタラメな英語をステージの上で発しているわけじゃなく、ちゃんとした日本語でシャウト(笑)してますからね。そこに何か意味があるんだろうなという捉え方をされているんだと思いますよ。
ATSUO:“叫びのための叫び”ではないって言うか。意味合いとか曲の世界があって、僕らの中に感情っていうものが生まれるわけじゃないですか。人種が違っても感情はみんな持ってるものだし、意味が判らなくても何かしらの感情の部分で共鳴してくれる部分があるのかな、と。感情とか音の手触りとかメロディとか、聴き手がピントを合わせる部分をはっきり音として提示したいですよね。
意識を変えるきっかけとしての音楽
──アルバムの冒頭に「決別」という曲がありますが、矮小化していく日本のロックの現状へ向けたBORISからのメッセージなのかな? と思わず勘繰ったのですが(笑)。
ATSUO:それは日本に限らず、ですね。日本の音楽シーン云々じゃなくて“当たり前”とか“常識”とかそういった“慣れた意識”に対してですかね。
TAKESHI:うん。「ちょっと先に行きますわ」っていう。
──“清廉を謳い、ただ見つめるだけの傍観者”(「ブラックアウト」)にオサラバすると?
TAKESHI:そうですね。でもそれは、実際にこの場所を離れて遠いところへ行くっていう大それたものではないんですよ。自分達の立ち位置と言うか、見ているアングルを少し変えるだけで遠くまで飛んで行けるよっていう意味なんです。「さあ、世界を変えよう」という今回のアルバムの惹句にある“世界”も、地球上の国家や地域を指しているのではなく、日常とか世間と言われているもの、普段生活している中で感じる当たり前の意識(世界)を変えようってことなんですよ。
ATSUO:意識を変えるきっかけとして、僕らの音楽が作用してくれればいいなという願いを込めて。このアルバムでは、僕らと世界との関係性が音に表れてると思うんです。個々人が持っている主観が合わさって世界は成り立っていると思うし、世界=意識なんですよね。
TAKESHI:その変化のきっかけは音楽でも、映画でも小説でも何でもいいんですよ。そういう使い古された題材ではありますけどね。
ATSUO:“世界が変わっていかないと、このままではマズイな”っていう危機感に誰しもが直面していると思うんです。そこでまずしなければならないのは個々人が意識の慣れから脱していくことだし、今のような便利な社会の中で何事にも考えないようにさせられているのが諸悪の根源だと思います。そのきっかけ作りをしていきたいんですよ。
──この間の衆議院選挙も、郵政民営化か否かという派手なパフォーマンスで二者択一を迫った自民党が我々国民に対して思考停止状態に追い込んでいましたけど(苦笑)。
ATSUO:とりあえず、テレビ見るのをやめましょうと言いたいですね(笑)。
──ロックに限らず、あらゆるジャンルの音楽には映像喚起力が備わっていると思うんです。ダイレクトに耳に届く音から聴く人が妄想を逞しくさせる楽しみ、歓びが音楽にはありますよね。それは思考停止だとできないでしょう?
ATSUO:そうですね。ネットの世界も凄く発展して、CDを買う人がすぐに情報に辿り着いてしまうから、その間に妄想を膨らませる時間がなくなっちゃうんですよね。それと、テレビがいつの時間でも食卓にあるような日本の家庭に身を置くと、いろんな価値観が端から固定されてしまう。自分の価値観で物事を考える時間がどんどん減ってしまう。不便な社会は意識が豊かだろうし、今の日本みたいに豊かな社会は逆に貧困な意識になっているんじゃないですかね。
──ジャケットも鮮やかな極彩ピンクですが、アルバム・タイトルの『PINK』には、単純に色の意味以外にも“極致”とか“感動(興奮)”、“刺す”“傷つける”といった意味もありますよね。そうした様々な意味付けをすべて内包しているアルバムだと思うんですが。
ATSUO:“PINK”というひとつの色なんですけど、一般的にはそういういろんな意味合いを持っていますよね。でも、僕らの中では逆に全然意味のなかった色だったんですよ。それが凄く面白いと思って。
TAKESHI:こういった音楽でジャケットが黒だったら、何となく音のイメージも湧くじゃないですか。でもこれだけ派手なピンクだったら、意味がさっぱり判らないでしょう?(笑)
ATSUO:そういう意味では、妄想が膨らむ色って言うか。僕らの中で意味が希薄なぶん、いろんなものを吸収してくれる色かなと。でも本当に…意味がないんですよ(笑)。
──意味のないところに意味を持たせた?
ATSUO:まぁ、そういうことになりますね。そういう自分達でも判らなくなる瞬間とか判らない状態っていうのを凄く大事にしたいんです。すべてを言葉に換言してしまったら、そこで考えることや感じることをやめてしまいますからね。
──バンドとしては、ライヴを休んで以降今作に至るまで思考停止している暇がない活動ペースですよね。
ATSUO:ええ。特にライヴを休止して以降、逆にバンドが凄く加速している感じがあって。“バンド”とか“世界”というプログラムでいろんなアイディアとかイメージが湧いてきて、それに突き動かされていると言うか、ひたすらドライヴし続けてますね。外付けハードディスクもフル稼働させて(笑)。
目に映るものを通して“見えないもの”を見せる
──ひと月後に発売される『PINK』のアナログ盤のほうは2枚組で500セット限定、別ミックス&ノーカット・ロング・ヴァージョンの4曲を収録という、今回も期待を裏切らないアイテムですね。
ATSUO:やんちゃさせてもらいました(笑)。音楽が簡単にダウンロードできるようになってパッケージの意義がなくなりつつあるし、アートワークの部分で無駄にお金を掛けることはCDやLPの物欲を掻き立てる意味において凄く重要なことだと思ってますから。色々な意味での情報の豊かさがどんどん圧縮されてデータも軽くなって届けられてしまうし、印象が湧き起こるきっかけみたいなものがどんどんなくなっているので、アートワークも含めていろんな感覚や印象を伝えるものを作り続けていきたいんです。
TAKESHI:ダウンサイジングしていく時代の流れの中で、僕らはあえて倍々で大きくして行きたいですね(笑)。LPだと、それを買って家に持ち帰ったらスペースを占有するわけじゃないですか。CDの棚にも入らないし、それなら立て掛けるか、飾るしかない。そんな印象を残していたいんです。
ATSUO:本来アルバムって、曲間の長い短いだけで全体の印象ってガラッと変わるじゃないですか。そのアルバムという単位が壊れて、無音の部分が意味するところがどんどんなくなってきた。1曲、1曲をダウンロードして、聴こえているものとか見えるものにしか感じることができなくなっているんですよ。
──CD『PINK』と同時発売となるDVD『Heavy Metal Me』は、目に映るものを通して“見えないもの”を見せることに意識を集中させた映像作品ということですが。
ATSUO:これはもう、実際に見てもらうしかないですね。「a bao a qu」はヨーロッパへ行った時にカメラに収めた素材がたくさんあって、それを編集したクリップですね。何が現実で何が虚構なのか判らなくなるような作りになってます。ドキュメント的なライヴも収めてありますし、バンドの活動の向こう側にある意思とか、そういったものを感じるきっかけにもなるといいなと。DVDにしてもCDにしても、結局は音を中心にして映像を作っているので、聴こえてくる音で聴こえてこない意味を感じてもらったりとか、映像でも見えているもので見えない意味合いを感じてくれたらと思ってますから、スタンスは同じなんですよ。映像を作ったほうが、僕らの音の構造がより判りやすく伝わるかもしれませんね。
TAKESHI:音でも映像でも、受け手であるリスナーがどう妄想するか、逆に発信する立場にある僕らは妄想を働かせるためにどう仕掛けていくか…結局はそこのせめぎ合いだと思うんですよね。
ATSUO:映像作品はもっと意欲的にリリースしていきたいですね。やればやるほどスキルも上がっていきますから。
──ちなみに、影響を受けた映像作家とかいらっしゃいますか?
ATSUO:(アンドレイ・)タルコフスキー[旧ソ連の映画監督:1932〜1986]とかは大好きですね。妄想を吸収して引き出す作家と言うか、映像の中に相互関係、ライヴ的な意味を含めているところは凄く共感しますね。あとは、寺山修司の演劇論とかにも影響を受けてると思います。
TAKESHI:僕はタルコフスキーの撮った映画は正直今ひとつピンとこないんですけど、『サクリファイス』という彼の遺作のメイキング映像はリアリティがあって好きでした。主人公が家を燃やすシーンで、カメラが回ってないまま家が焼け落ちるトラブルがあって、家を建て直してからもう一度火を放って撮影したんですよ。そのエピソードには凄くシンパシーを感じましたね。
──そういう信念の貫き方は、BORISの活動姿勢と相通ずる部分があるんじゃないでしょうか。
ATSUO:見たいものは見たいし、作りたいものは作りたい。みんなもっと快楽を追求したほうがいいんじゃないですかね。そこそこの音質とか…そういうのでいいの? って思いますね。一人一人がもっと気持ちいいことをどんどんやれば、みんなもっと幸せになるんじゃないか、世界は変わるんじゃないか、と。
──途中にレコーディングを挟んだ3週間のアメリカ東海岸&西海岸ツアー後、日本では年内唯一シェルターでのワンマンが決定していますが、これは貴重なライヴになりますね。
TAKESHI:ええ。余談になりますけど、海外ではステージと関係のない部分で気を使うんです。できるだけまずいものを食わないようにとか、ライヴハウスのトイレは鍵はかかるのか、紙はあるのかとか。中には便座が取れていたり、ドアがなかったりとか(笑)。
ATSUO:防犯上の理由からか、色々不便がありますね。
TAKESHI:シェルターはその勢いをそのまま持ち込んで臨むので……当日はシェルターのトイレの便座を取り外してみようか?(笑)
ATSUO:あそこは便座のない和式だよ(笑)。
TAKESHI:じゃあ、ドアを取って紙もなくそう(笑)。
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