女性に嫌がられることをしてモテないとね
増子:今日はお忙しい中お時間を頂いて、本当にありがとうございます。山崎さんにお会いできるなんて、中学時代の友達に一人残らず電話して自慢してやりたいですよ(笑)。僕は一番最初にやったバンドが高1の時に組んだBLACK CATS(山崎氏が手掛けた伝説的なロカビリー・バンド、メンバーはクリームソーダの店員だった)のコピー・バンドで、ベースだったんです。でも余りにヘタすぎてすぐにクビになっちゃったんですけど。札幌にもクリームソーダがあったし、ホントによく通い詰めてましたよ。当時の噂では、クリームソーダで万引きしたら警察に連れて行かれないぞと。店の人からヤキを入れられるぞって(笑)。
山崎:札幌の店長は伴晋作という男でね。彼は作新高校の応援団の出だから、警察に引っ張っていくのが勿体ないからって自分で殴っちゃうんだよね。昔は彼と2人で喧嘩を売ってもらうために六本木によく行ってましたから。自分からは喧嘩したりしなかったけどね。普段は優しい男だけど、怒ると誰も止められなくなってしまう。
増子:あと、BLACK CATSのベースをやっていた(中村)元君が札幌へ帰ってきた時に、海外へ行った時に履いてたラバーソールをウチの弟(DMBQの増子真二)が売ってもらって、それをブン取ったこともありましたよ(笑)。元君にも当時凄く良くしてもらったし、とにかくBLACK CATSは全曲ソラで唄えるくらい大好きなんです。
山崎:当時クリームソーダを好きだった人達に子供ができて、今はヘタすると孫までいたりする三世代に跨る時代なんですよね。BLACK CATSのファンだった人の子供が親の影響でBLACK CATSを聴いたりして、長くやってるのも悪いことじゃないのかなって最近は思いますね。そんなことは店を始めた頃は考えてもいなかったし、むしろそんなふうになるのはイヤだと思ってたくらいでね。
増子:BLACK CATSの音楽もそうだし、クリームソーダのデザインにしても凄くピュアで日本的なものが根強く入ってると僕は思うんですよ。日本人のやってる良さって言うか。ロックンロールってやっぱり欧米のものだけど、その恰好良さの洋邦の位置が逆転したのはBLACK CATSのお陰なんですよね。あんなに恰好いいロックンロール・バンドは世界中探しても他にないし、よく笑われるけど、ブライアン・セッツァーよりも僕は好きなんです(笑)。
山崎:洋服もそうですけど、音楽についても僕はプロの中へは入ろうとしないんです。基本的に素人なんですよね。ビートたけしが以前何かのインタビューで答えていたけど、自分は映画監督としては素人のチャンピオンだと。それはクリームソーダも同じで、ロックンロールってお金儲けに走った途端にスピリッツが消えて、違ったものになってしまう。一番美しいのは駆け上がっていく瞬間なんですよね。ウチも、ゴルチエとかのライセンスを持っているベルギーの会社から「アジア以外の欧米でのライセンスを売ってくれ」とか大きな話も貰うんだけど、すべて断っちゃうんです。なぜなら、そこに入った瞬間にプロ中のプロになってしまうから。ずっとアマチュアの精神でいたいんですよ。40年近くやってるから、ベテランでプロフェッショナルに思われるかもしれないけど、ウチは営業もしないし、展示会もやらないアマチュアなんですよ。
増子:ピンクドラゴンの作るものならまず間違いないだろうっていう、洋服やグッズに精神性が表れてますよね。
山崎:プロになると採算を考えなくてはいけないし、どこかで妥協してしまう。ウチは必ず売っても儲からないアイテムを毎回入れてるんですよ。活きの良さと言うか、若い人の情熱みたいなものを入れ込みたいし、高価なものを売る方向には行きたくない。洋服はすべて自分のところで作って自分のところで売るから、それほどプライスを上げなくてもいいんです。だからいつもギリギリのところでやってますね。
増子:確かに、ピンクドラゴンのアイテムはネームバリューに反して安価なものが多いですよね。
山崎:それは自分が育った環境が影響してるんだと思います。北海道の赤平という炭坑町に生まれ育ったんですけど、普段は真っ黒になって炭坑の中で働いてる人がしていたお洒落が僕の原体験なんです。当時はまだ恰好いい既製品がない時代で、彼らは全部自分でオーダーしていた。既製品よりもオーダーのほうが安かったんですよ。そういう人達に向けた洋服は安価なものだし、利益率は落とすけど商品の質は落とさないものを作りたい。それをずっと続けてきて、店もこの原宿でずっと同じ場所にあるから、未だに世界中のロック・スター達が買いにやって来る。だから僕の感覚としての基本は、そういう炭坑の町にいたちょっと愚連隊みたいな人達の洋服なんですね。ウチの洋服に黒が多いのは、炭坑町だから土も川も家も全部真っ黒だったからなんです。そこで一番目立つ色は赤でしょう? だから黒と赤の組み合わせが僕は大好きなんですよ。
増子:なるほど。ところで、今日は山崎さんにお会いできるというので、キチッと気合い入れてリーゼントにしてきたんですよ(笑)。
山崎:リーゼントっていうのは不良のもので、昔から大人にずっと嫌われ続けている。でも、だからこそいつまでもニューウェイヴでいられるし、どこかマジなんだなって思われるような純情なものなんですよ。ピカピカにバイクを磨いてるヤツって、暴走族の一員じゃなくて本当は生真面目で媚びない、純情なヤツじゃないですか? それに近いものがありますよね。
増子:「彼女が嫌がるからリーゼントができない」なんてヤツがいますけど、そんな輩はリーゼントする資格がないですね。
山崎:やっぱり、女性に嫌がられることをしてモテないとね。女性に媚びてモテるのは実は大したことじゃないし、それならいっそ、誰からも嫌われたほうが恰好いいですよ。今は男性が何でもハウツーに頼る傾向にあるから、女性から見ると男性が総じてつまらないと思うんじゃないのかな。
時代も人生も螺旋階段なんだ
増子:山崎さんの生き方を描いた『原宿ゴールドラッシュ 青雲篇』(森永博志)は僕のバイブルのひとつなんですけど、何と言うか、山崎さんっていい意味で物事に固執しない方ですよね。守りに入らずに、凄く軽いスタンスで次々といろんなことに取り組んでいく。
山崎:物欲ってものが余りないんですよね。何かを作って手に入れたとしても、何かの拍子ですぐに手放してしまう。別に愛情がないわけではないんだけれども、それが喩え大好きなものでも、自分のものにならなくてもいいってタイプなんです。サッカーの試合で日本と韓国が勝負したとすると、日本は経済でこれだけ勝ってるんだから、サッカーの試合くらいはせめて日本が負けてやれよと僕なんかは思うわけです。決して非国民なわけじゃないけど、そういう性格なんですね。相手を喜ばせたいと言うか、そこは客商売向きなのかもしれないですけどね。それは最近気が付いた。子供の頃に欲しいと思ったものは大体ずっと前に手に入れたしね。
増子:僕は、山崎さんがこの3階建てのビルの屋上にプールを作ったエピソードが最高に好きなんです。凄い大金と労力を注ぎ込んだけど、結局大量の水を手に入れただけだったという(笑)。
山崎:あの頃は毎日一千万くらいのお金が入ってきたんですよ。だからお金なんてどうでも良かった。そういうのを通ってきちゃったから、余計に物事に固執しないのかもしれない。ただ、ものを作ってる時は今でもまるで怒ってるみたいな凄いテンションで入り込みますけどね。怒ってるわけじゃなくて、凄く興奮しているだけなんです。こうして話していると、あなた、若い頃の矢沢永吉に似てますよ。凄く素直で、自分の意志をはっきり口にするところが。
増子:まだ永ちゃんみたいにビッグになりきれてないですけどね(笑)。BLACK CATSが現役だった頃と違って、今の時代はロックが子供のものになってるじゃないですか? そこで自分と同じ世代のヤツが聴けるロックをやろうとすると、なかなか難しいところはありますね。
山崎:でも、こんなにレコードが売れない時代に存在できているのは凄いんじゃないのかな。今は何でもグローバルになって、何事にもカッチリしてないとビジネスにならないでしょう? 昔は結構隙間があって、例えば古着なんてどこにも売ってたし、凄く安かった。僕が買いすぎちゃって値が上がってしまったんですよ。海外に行けば宝の山に出会えたし、原宿で店を開けば誰でもある程度は成功できた時代だったんです。音楽もレコードを出せば何とかそれなりに生活できた時代もあったけれど、今のようにコンピュータで誰でもレコーディングできる時代になれば、自ずと飽和状態になりますよね。結局、ハードのほうがソフトをダメにしてしまったんです。レコード会社のバックはハードを作ってるところだから。要するにビジネスが目的で、音楽を好きじゃない人が増えたんだと思いますよ。ロックンロールのプロフェッショナルっていうのは、それはそれで凄いことなんだけど、さっきも言ったようにその時点で全く別のものになるんです。
増子:プロのパンク・バンドなんて面白くも何ともないし、それじゃ単なるパンク芸になっちゃいますよね。
山崎:ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインも、元はレコード屋のオーナーで素人だったでしょう? セックス・ピストルズを手掛けたマルコム・マクラーレンも、最初はヴィヴィアン・ウエストウッドと共に“LET IT ROCK”というブティックを経営していた素人だった。マルコムとは当時僕の彼女を通じて友達で、「来年凄いことを考えてる」って言うから何かと思えば、それがピストルズの登場だったんですよ。ピストルズを“SEDITIONARIES”の宣伝に使ったわけです。
増子:“来年凄いこと”すぎますよ(笑)。
山崎:マルコム自身が一番ピストルズっぽかったですね。僕がラッキーだったのは、当時のロンドンやパリにいたそのレベルの連中と全部友達だったことですよ。ミュージシャンも結構いたけど、その時点でもうビッグ・スターだから余り面白くなかった。あの人はいい人でしたよ、クイーンのドラムの人。
増子:ロジャー・テイラーですか! 話がビッグすぎますから(笑)。
山崎:クリームソーダのライセンスと自分達のグッズを交換しようって真面目に言ってきてね。彼はビジネスマンでしたね。あと、T・レックスのマネジメントの社長にも同じようなことを言われましたよ。今はその頃と違ってロックの寿命も延びて、大人どころかおじいちゃんまでもがロック世代でしょう? 言い替えればいい時代なのかもしれない。第一線から消えないで、今もずっとロックをやり続けている先人が海外も含めてたくさんいますからね。
増子:そうですね。ローリング・ストーンズとかを見ると、まだまだ全然行けるぞ! って思いますよね。
山崎:でも逆に、若い子なんかはヒップホップじゃないとダメだなんて言う。若い世代のほうが割と頑なで、自由度が少ないんです。みんなと一緒じゃないと不安がるし、仲間はずれにされるのが一番怖いんですよ。
増子:こうして話を伺ってると、ピンクドラゴンの代表という肩書きとは関係ないところで男が男に惚れるって言うか、山崎さんの人間力みたいなものにやっぱり惹かれますよね。何に対しても好奇心旺盛で、まだ海外へ行くのが珍しかった時代に向こうでいろんなものを吸収して…時代も良かったのかもしれないですけど。今は時代としてはどんどん悪くなってきてるような気もしますね。
山崎:そんなこともないですよ。時代はグルグル回るけど、同じ位置じゃなくて螺旋階段だから。同じロックンロールの曲を奏でていても、速さが違ったり、アレンジが違ったりするでしょう? だから一見同じことをやっているようでも、ずっと変わらない場所にいるようでも、ちゃんとその時代で段差が違うんですよ。レベルが上がっているようで、ひょっとしたら下のほうにいるかもしれないけど、上がいいって単純なものでもない。だからこそ人生って面白いんだと僕は思いますよ。
増子:いや、全くの同感です。山崎さんみたいに流行り廃りに関係なく、本当に自分が好きなことを自分らしく貫いていけるようにまだまだ僕も頑張ります。今日は本当にどうもありがとうございました。
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