音楽をやってることの意味が再認識できた
──まず、シングル『ユビサキから世界を』ですが、先日のライブでこの曲を歌う前に「ユビサキから世界が変わるかもしれないと思うことがある」とおっしゃっていましたが、具体的にどんな時に変えられると感じますか?
真戸原:家で一人で曲を書いたり4人でスタジオに籠もっていると、無限に可能性を感じることがあるんです。ホンマに世界が変えられるんじゃないかって。でも、そんな簡単なことじゃないし、なかなか口に出して言えなかったんですけど、ふと自分がこれから音楽を作りながら人生を渡っていく中で、曲は何曲作れるのかとか考えてもその数に無限性はなくて、それなら今のうちに1回歌ってみようかと思って曲を書きだしたんです。そしたらどんどん自分の中に入っていって何かを変えていきたいとか、聞いてくれる人にも今までの自分をちょっと変えようとか、間違ってることを見直してみようっていうきっかけになって欲しいなって思って完成させていったって感じですね。具体的に指のユビサキだけじゃなくて、考え方の端にあるものとか、思ってることのスタートの部分であったりとかの意味合いを込めて“ユビサキ”っていう言葉を使ったんです。
──メンバーのみなさんはこの曲を聴いた時に、ユビサキから何か変わるかもしれないって思ったことはありました?
中原:僕は、自分の中で気付いてない振りをしてたところとか、普段生活して流してしまってるところとかあるかもしれへんなあって考えましたね。自分は音楽をやって誰かに何かを伝えていきたいってのもあるし、自分自身も音楽によって一歩前向きになれたところがいっぱいある。だから僕らの曲を聴いてくれて感じ取ってくれて、どんなことでもいいので一歩前に、ずっと心に留めてくれるだけでも全然いい。そっから自分の中の何かが変わっていくちゃうかなと。
谷口:私も、まず自分が変わらんとあかんなっていうのがあって、変えたい思いとかもちろんあって、私も音楽やってたら世界が変わっていくと思ってたし、変わるもんやってずっと思ってたけど、なかなか早く変わっていくもんじゃない。だけど、その前に自分がモノの見方とか、人を見る目とかそういうのを変えてみたらどうやろうって。自分を見直したりとかそういうのを再認識してもらったら嬉しいなと思います。
阿佐 誰に対してでも言える曲っていうのが第一印象だったんですけど、自分以上のものを出すこともないし、できる範囲のなかで変われることはいっぱいあるし、だから立ち止まって考えてもいいんやろなって。もちろん前に進むことが前提であって、立ち止まっても考え方が前に進んでいるっていう形でいいんじゃないかなって思いました。
──発信する人たちがそういう気持ちでやってたら伝わるんですよ。ところで、真戸原さんが言う“世界”は、文字通りワールドというよりは自分をとりまく環境や日常生活っていう意味なんですか?
真戸原:個人的な野望としては世界っていうのはもちろん…(笑)、でもみんなに世界を変えてくれって言ってるわけじゃなくて、心の中に持ってる世界観っていうのを一回フラットに戻す。勝手にボーダーを付けたところを取り外してみる。親に感謝の気持ち言えなかったのがこの曲聞いて言えるようになったとか、そういうふうに変わっていってほしいなっていうのは思います。
──何かが変わるきっかけって小さなことですからね。一歩進みたいんだけど足踏みしているところをちょっと押してあげるって感じですね。
真戸原:そうですね。僕ら自身が音楽にそうしてもらっていたので、自分が作るときもそういう音楽を作りたいっていうのが根底にあるんです。人の背中を押すだけでなく自分達が音楽をやってることの意味っていうのを、『ユビサキから世界を』ができたことによって再認識できたというのはすごく大きくて…。そうやって背中を押せるような存在でいれたらなぁってずっと思います。
──今までの楽曲は彷徨っている中で光を求めているのだとしたら、この曲は光を見つけた場所にある感じがするんです。そう考えるとこの曲はいつ出来たのかなと。
真戸原:音楽をやってるときっていうのは手探りで何か答えを見つけていくということの繰り返しなんですけど、これが見つかったから間違いないっていうのは未だにないですね。言いたいこと言えたっていうのは瞬間的に訪れるんですけど、時間が経つと少しずつ切れて、また探し続けるという作業なんです。制作したのは昨年の12月ぐらいなんですけど、どっちかって言えば一番しんどかった時期。『真面目すぎる君へ』もそうなんですけど、一番しんどい時にこういう曲を書けて自分自身をフラットに戻っていけるっていう感覚はあります。
──アルバム『素晴らしき日常』も、もがいている誰かに助言してあげてる詞がすごく多いなと感じました。光を導いてあげる詞がすごく多くて、『五色の虹』(M-1)は、自分の中にもある虹で言う不完全な二色分をみなさんの曲を聴くことによって補われているのかなっていう気がします。
真戸原:僕自身がいろんな面があって、弱い自分がいてそれを応援する自分がいて、辛い自分を埋めようとする。そうやって向かっていく気持ちは発信しても力を持っているものなのではないか、基本的にはそれが背中を押せること。自分自身をマイナスからプラスに変えることっていうのが背中を押せるところじゃないかなって思います。みんな自分自身を不完全と思ってるかはわからないですけど、考えとか自分の生活に100%満足するってことはできない。それをアンダーグラフが生み出す音楽で導けるなら幸せなことやなあと思いますよ。
──『ユビサキから世界を』は行定勲監督によって映画化されると伺いましたが、いきさつは…。
真戸原:レコード会社の方が行定監督にこれでPVを作って欲しいと音を渡してくれたらしいんですけど、逆転して監督から映画を撮ってみたいって言っていただいたんです。
──でも、PVとか自分達の曲を映像でイメージを限定させる危惧ってのはないですか? 音楽を聴いて個々人が膨らませる風景描写であるとかを限定しすぎちゃうのはどうなのかなって。
真戸原:そこは悩んだところでもあって、ジャケットひとつにしても、できることなら音そのまま出したいっていう気持ちがあるんです。でも最近思うのは僕らが真ん中にいて、いいものを集めていくということは僕らの音楽を好きな人にとっては悪くないことやなと。映画は作品の延長上と考えてもらって、曲自体は聴いた人のフィルターで判断して欲しいなって言うのは思います。ただ、上映されるために作ったというよりは作品を作りたかったんですけど、出来上がると無限大に見て欲しい感じがするんですよね。
──生徒役で出演もされていると聞きましたが…。
真戸原:そこは全く話が広がらないと思いますけど…(笑)。すごく大好きな監督だったので経験してみようって。誤解されると難しいんですけど、ここで音楽っていうのが軸に見えるだろうと思ったし、その辺を気にしてても誤解はされへんやろという余裕からやってみたんです。
──久々の学ランはどうでした?
真戸原:(笑)無理があります。正直、全員無理があります。
──谷口さんは?
谷口:主役の子らと同じ制服で。あまりにも見た目が違いすぎて…。似合うと思ってたんですけど、さすがに無理でした(笑)。
人に影響を与える人としての音楽の向き合い方
──最初は大阪でストリートから始めて、今の状況ってかなり変わりましたよね。まわりの見る目も変わったんじゃないかって思うんですが…。
真戸原:僕ら自身も変わったところもあるだろうし、全く変わってないってのは嘘になると思う。変わって当然やと思うし、その部分をどう受け止めるかっていうので一番大きかったのが責任感。人に影響を与える人としての音楽の向き合い方っていうのをちゃんと考えて、いろんなことを出していきたい。そんなことインディーズの時には全く考えてなかったのに、まわりの見方が変わってくることで考えるようになった。
──まわりの見方が変わっていくことへのとまどいはありました?
真戸原:テレビもそうですけど、僕ら自身が情報になったときにかかるフィルターっていうのはすごいとまどいはありましたね。だから全く喋りたくなくなったり全く笑いたくなくなったりそういう葛藤が常にあって、全て跳ね返したりとかプラスに持っていくっていうのは4人で音楽やること以外は頭で考えてもできないことやなって感じはありました。あとはライブでみんなの顔が見れたら世のフィルターがどうでもそこに来てくれるんなら間違いないっていうのを感じたんです。そういう変わったものを1回とったっていうのはありますね。僕らのライブに来てくれる人ってシャイな人たちがいっぱいいると思うんです。だからこそ曲を聴いていろいろ思ってくれるんでしょうね。お互いの真ん中にある音楽で繋がれているという強さを持てるようになりました。
──先ほど“責任感”と言われましたが、注目を浴びて責任感もプレッシャーもあってよくこれだけ濃厚なものを作れるなっていうのはありますけど…。自分から発していく言葉の選び方とかメロディーの推敲の仕方とかはインディーの頃から変わりました?
真戸原:変わった変わってないで言ったら変わってないです。責任感やプレッシャーを感じて言葉を選ぶ事が背伸びをすることだと考えてて、まわりをどうしようじゃなくて歌うことだけに専念すれば届くやろう、と。それがはねのけたっていう感じでもないんですよ。考え方として消化したっていうだけで。
──より音楽にピュアに向き合えるようになったっていうのに近いですね。音楽を始めた時の気持ちのままで。
真戸原:それは今改めて考えてもホンマに変わってないと思うんですよ。イイ曲やなあって隣のおばちゃんに言われるだけですごい嬉しいし、メンバーに「この曲好きやわ」って言われるのも幸せ。その辺に対しては変わっていく必要性も今のところ感じないです。
──『素晴らしき日常』の『真面目すぎる君へ』(M-11)はインディー時代の曲なんですが、気持ち的にずっと一緒ってことなんですね。
真戸原:歌ってるときも演奏してるときもほとんど変わりはないですね。アレンジを変えるっていうのはまたチャンネルが違って、サウンドとして今出したいのはこっちというのはもちろんあるんですけど、詞を変えなかったのは作った頃の気持ちと変わってなくて、その時と同じようにまだ聴いてない人に聴いて欲しいっていうような思いがすごくあった。
──以前「この曲で自分達もすごく背中を押された」っておっしゃってましたけど、やっぱり強い思い入れが…。
真戸原:バンドとして大阪から東京に出てきて4年間ぐらい無我夢中でいろんなことやってたんですけど、4人でできる限界っていうのを感じてたんです。その時にこの曲ができて初めて電波に乗って、僕らの中で大きな一歩を進めたっていうのがあったんです。この曲があってメジャーデビューできたっていうのもあるし、思い入れはすごい強いですね。リリースするときっていうのは曲への感謝の気持ちなので、みんなに聴いてもらおうっていうのをすごく感じた。
──曲への感謝。
真戸原:ライブではやってたんですけど、もう一回磨き直してお披露目するっていうのは一番いいかなという気持ちです。
──『真面目すぎる君へ』の歌詞にも「正直者がバカを見てしまう」とあるんですが、今の時代“真面目”という言葉はとかく損なイメージがついてまわりますよね。
真戸原:そういう自分を嫌いにならないでほしいってすごく思っているんです。その人たちにまず背中を押してあげれるような曲を作りたかったし、僕らも「真面目ですね」ってよく言われるんですけど、僕らは“真面目”って言うより“真剣”なんです。同じなんですけどね。極端に言うと、広く浅く行くなら狭く深く行った方がリアリティーもあるし、やってて楽しい。意味があるって実感できるんです。
──「真面目だね」って言われると、そんなことないのにって思いますよね。
真戸原:「真剣です」って言えばいいんです。誰でもひとつのことに集中して、それがいいように向かったり悪いように向かったりすると思うんです。悪いように向かってると感じ過ぎて自分を嫌いになったときに聴いて欲しいなって思います。あの頃の僕らも逃げることはできない状況だったので“なんとかなるよ”っていう考え方には進めない状況ではあったんですけど、乗り越えた上で何かをできたらいいなって。
コミュニケーションしたい
──アンダーグラフの曲はコアな人だけじゃない人にもすごく伝わる。それがビートルズとか昔からあるようなポップスに近いスタンダード性の高い曲だと感じます。
真戸原:詞を書いて思いを伝えてコミュニケーションしたいっていう気持ちがあるんです。僕の思いを聴いて欲しいし、どう感じたかっていうのを知りたいし、自分の世界にも入るけど伝える言葉として探したり伝えるメロディーを探したりっっていう作業はよくあります。
──だから誰でも受け入れられる曲になるんですね。アレンジのほうは相当時間をかけられるんですか?
真戸原:かかりますね、うちらの場合は。
──難産の感じで?
真戸原:そうですねぇ(苦笑)。
中原:すんなり出てくるものをやたらと否定したがる(笑)。シンプルなリズムが嫌いなわけじゃないのに、ちょっとひねった自分達らしいと勝手に思ってるらしさを作り込んだり、途中でスタジオ入ったときに沈黙になることもある。それでも満足いくものを作りたいし、メロディー・詞がどれだけ聴き手側に伝わったり、ライブを想像したりとかいろんな方向に広がっていくので、土台だけはしっかり自分らで作らないとぶれていくのもイヤだし、そういう意味ではこう……難産ですね(笑)。
──ファースト(『ゼロへの調和』)のレコーディング経験もあって、ノウハウも拾得されたと思うんですが。
真戸原:機材に詳しくなったりとかの知識はありますけど、何もないところから始めて曲だけに集中するんですけど、メジャーデビューしてる人はアレンジがポンポンできんねんなぁって勝手に思い描いていましたけど僕らは…全然できない(笑)。
中原:そういうもんだよね。1枚目から2枚目のレコーディングで音作りとかはいろんな知識も得たしっていうのでこだわりがでてきて楽しいんですけど、さらに首を絞めてるっていうところがある(笑)。
──やりたいことが増えますもんね。アレンジには毎回島田昌典さんを迎えて、過不足なくジャストなアレンジですよね。
真戸原:一度詰め込んで聴いていく作業っていうのもあるし、気持ちいいところっていうのは僕ら4人も島田さんもなぜか一緒で、ずっと一緒にやっていけるっていうのはいいですね。
──ところで『枯れたサイレン』(M-9)だけちょっと違った気がしたんです。今までの楽曲が喜怒哀楽で言ったら“喜”と“哀”を足して“楽”になる曲だと思うんですけど、この曲だけはストレートに“怒”が入っていて…。
真戸原:『ゼロへの調和』に入っている『シュノーケル』とか『白い雨』だったり、僕の中では怒りの部分というところを出してるつもりではいるんですよ。今回のアルバムではバンドサウンドから出てきた僕の言葉に挑戦したくて、それが『枯れたサイレン』なんです。今まではテーマも決まってたし、出てきた言葉に風景を付けてきた作業も多かった。サウンドに背中を押されて出てきた言葉っていうのが一番多い曲かもしれないんですね。
──優しさも人間の感情のひとつですけど、怒ることもまた人間じゃないですか。ライブ見たら人間臭さって出るんですけど、行かない人はわからないじゃない。そういう意味では人間っぽさを感じる1枚だなって思います。
真戸原:普段家で考えてる事がそのまま言葉になっていると考えてもらえればわかりやすいと思います。完全に自信満々の僕はいないので、全体を通してどこかしら不安感があったりするんじゃないでしょうかね。それを怒りに向けてしまったり、楽しい部分だったりとかきっとその不安感を拭っているんだと思います。
──歌詞は誰でもわかりやすく平たい言葉になってるんですけど、それで伝えるっていうのは一番難易度が高いと思うんです。誰でもわかる言葉で組み立てて口当たりのいいメロディーで広めるっていうのは、誰にでもできることじゃないと思うんですよ。誤解を恐れずに言うならば、童謡に近い。
真戸原:僕らの音楽が童謡ぐらいのランクに行ってくれれば野望を越えてますけどね(笑)。それしかできないっていうのがあるんです。難しくして英語にしてとかできないので、一番やりやすい感じではあります。
──あと『アナログcpu』(M-5)じゃないですけど、デジタル万能の今の時代に、表現の基本姿勢が手作りっていうのはみなさんの根底にあります?
真戸原:そうですね。人が作る音楽やし、デジタルでも人が作ってるんでしょうけど、特別なことをしようとやってるわけじゃなくて音楽作ることしかできへんから、人のあったかみとしてできたら最高やなとは思ってます。新しければいいって考え方は全くないです。
──ということは、最新の機材使ってるとかでは…。
真戸原:意外と使ってるんですけどね(笑)。
後悔がなければ前に進めている
──『素晴らしき日常』にかけて言うなら、一番自分が素晴らしいなとか幸せを感じる日常の瞬間ってどんな時ですか?
中原:音楽をやってるときですね。正直何気なくやってるんかなって思ったりもするんですけど、よくよく考えてみたら普通に一番幸せですね。『ゼロへの調和』を出して、またアルバムを出せるってういう時に曲を制作して、音楽をやれていってるっていうのは一番幸せでした。
──『スロウライフ』(M-7)の詞みたいですね。
中原:毎日毎日がリアルタイムであんまり感じないと思うんですけど、振り返ると全部無駄なこともないし、ちょっとずつ自分が変われてることもあるだろうし、1日1日がいいなと思います。
谷口:たぶんみんな同じなんですけど、ほとんど毎日一緒にいて、その真ん中に絶対音楽があって、いろんなところで出会うスタッフやマネージャーもそうだし、全部自分達が作ってる音楽が繋げてくれてるものだから、あんまり言い過ぎるのも気持ち悪いんですけど(笑)、言えるのならば素晴らしいものなのかなと思います。
中原:音楽やってる瞬間が一番強く覚えてるってこともあるし、あの時嫌やなと思ったことでも振り返ると良かったなって思える。そういう風に思えるようになったし、そうでありたい。それはその人その人が思えたらいいかなって思いますけどね。
──日常過ぎてわからないことってありますからね。
真戸原:まわりを取り巻くいろんな環境に目が行ったりして、そこにホントの強さを見つけてなかったんです。でも音楽を作って共感してくれる人たちとライブでいい時間を作ってっていう以外できないなって思ったんです。それが続けていけるなら幸せやなあ。後悔がなければ僕ら的には前に進めてるなあ。
──自分達が前に進んでるところに共感するお客さんがいて、アンダーグラフの詞は読んでいると自分の一番近いところにあるんです。日常や生活の一部にあるんです。
真戸原:何が違うかっていうと、聴いてる人と何も変わらないと思うんです。僕は音楽にできて詞にできてっていうだけで、看護士さんだったら点滴を打てるっていうのはすごいことやし、それをみんなに広げていく情報ってものをうまく通り抜けて、同じ事を同じ立場で届いてくれるようになればいいなと思うことも多いので、背伸びせずにいたいなってのはありますね。
──単純に以前に増して忙しくなったのに、よくこれだけのペースでコンスタントに曲を発表してますよね。
真戸原:駆け込む部分もありますけど、書けるんですよ。締め切りがあった方が書けるのもありますけど、自然と書けるときもありますし、忙しいって言っても曲を書くことが好きなんですよ。時間があればゆっくり書きたいなと思うし。曲にしたいっていうのも多いので、書けと言われればいくらでもがんばります。時間があればね…(笑)。
──最後に、九段会館でのワンマンの時に武道館ライブをやりたいっておっしゃってましたが…。
真戸原:武道館という場所に立つことに意義があるっていうかんじですね。「何が変わるねん!!」って言われても、たぶん何も変わってないやろうなって。でも絶対にやりたいっていう思いがあるんです。これからもがんばりますので!(笑) 必死に…。夏にもイベント何回かあるので応援してください。
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