取材・文◎鈴木理栄 ※写真は服部緑地公園野外音楽堂のステージ。
「アンコールは、なし、やで。みんな、腹八分目や」。プロデューサー、福岡風太の声が響くと、5月の青空に、アコースティック・ギターの音色と歓声が昇っていった。 5月4〜7日の4日間、私は大阪の服部緑地公園で開催された『祝春一番コンサート』を見てきた。 『春一番コンサート』とは、大阪で毎年5月に開かれているコンサートだ。第1回は1971年、フォーク・ブームが到来し、伝説の『中津川フォークジャンボリー』が開かれた年に開催された。第9回の79年でいったん終了するが、95年に復活、それ以降、第21回を数える今年まで続いている。 ロフトと『春一番』のつながりは古いらしい。73年、西荻窪ロフトの開店にあわせて、ロフト席亭の平野悠が、福岡に了解を得て『春二番』と銘打ち、ライヴを開催した。今年3月13、14日には、新宿ロフト開店30周年記念として、実に30年ぶりに第2回『春二番』ライヴを開催した。 私はフォークが好きだったので、平野に誘われるままに『春二番』に行き、大塚まさじの歌を聴いて平野に「私は以前から大塚に会いたいと思っていたの」と話したら、じゃあ『春一番』に行ってこい、ということになった。 けれど、実はテレビでよく見るフォークの歌手や歌以外あまり知らない。コンサートに足を運んだこともなかった。おそるおそる『春一番』の事務所に電話すると、福岡から「ちゃんとフォークの歴史くらい勉強してきてくれ。ミュージシャンたちは取材慣れしてるから、当たり前の質問にはそうそう応じないと思う」と言われ、ヒエッと焦り、慌てて関連書籍やら雑誌やらを購入して、付け焼き刃の勉強をしつつ、大阪へ乗り込んだ。私にとって初めてのフォーク・コンサート、初めての『春一番』だった。 『春一番』の会場である服部緑地公園の野外音楽堂は、お椀型のちょうど「へり」にあたる部分が芝生になった、気持ちのいい野音だ。観客はシートにパラソルを持参し芝生に家族や仲間たちとお弁当をひろげ、ピクニック気分で聴いている。その中には出演するミュージシャンたちもちらほら見受けられた。観客にとって大好きなミュージシャンがこんなに身近にいるとは、なんとスリリングな体験ができるのだろう。 今回の『春一番』は、ほぼ毎回出演の中川イサト、村上律、いとうたかお、加川良、大塚まさじ、友部正人、中川五郎、そのほかフォークの大物たちのほか、NOTALIN'S(遠藤ミチロウ、石塚俊明、ロケット松)などハードロック、山中一平と河内オンドリャーズという河内音頭、「むちゃくちゃでっせ、むちゃでっせ」と踊り歌うピリ辛の風刺バンド、アチャコ一座や朴保、大西ユカリと新世界、押尾コータローら中堅、若手ミュージシャン。そして山下洋輔、坂田明、渋谷毅、古澤良治郎ら日本を代表するジャズ・ミュージシャンと、お腹いっぱいになるような顔ぶれだ。 この多様なジャンルを聴かせるための趣向も凝らしていた。1日目は中川イサトが、村上律と「律とイサト」をやったかと思えば、よしだよしことステージに立ち、大西ユカリや大塚まさじと競演し、さながら“中川イサトデー”。かと思えば、4日目は大塚まさじが“大塚まさじクロニクル”と銘打ち、30年ぶりの『春一番』出演となるダッチャ、かつてザ・ディランIIとしてユニットを組んでいたながいようと競演したり、若手デュオ、ふちがみとふなととデュエットするなど、過去から現在まで彼が越えてきた年月をたどらせてくれた。2日目と3日目は“グレイトフルジャズ”。豪華メンバーによるジャズの競演だった。
左:日本のリズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックのパイオニア、小坂忠。 中:“天使のダミ声”と称される木村充揮の酔いどれヴォーカルは健在! 右:“グレイトフル ジャズ PART1”に登場した山下洋輔New Quartet。ただただ圧巻。
左:中川イサトと田川律の「律とイサト」がアメリカン・オールド タイム・ミュージックの世界にいざなう。 右:“大塚まさじクロニクル”の中でも一際会場が沸いた、大塚まさじとながいようの「ザ・ディランII」。
恐らく往年のフォーク・ファンは、ダッチャやよしだよしこ、青木ともこなど、初期のころ以来というミュージシャンが出演していたのはたまらないだろう。大塚がながいようと「茶色い帽子」を演奏し、1曲だけのザ・ディランII復活を演出してくれたのは、フォーク初心者の私でもうれしい。 『春一番』の観客は中年ファンが過半数なので、ミュージシャンは選曲に気を遣うようだ。小坂忠は、「庭はぽかぽか」「ほうろう」などなつかしの名曲を演奏。ギターの弦が切れるのも構わない熱唱に、ファンから『春一番』では“掟破り”らしいアンコールがやまなかった。元憂歌団の木村充揮も、かつて放送禁止となった「おそうじオバチャン」を、持ち前のハスキー・ヴォイスで披露。観客から「あっちゃーん」と声援を浴びて満足顔だ。 そんなベテランたちの演奏に、若手もついて来る。天才ギタリストとして注目される押尾コータローは、師匠の中川イサトと競演。中川イサトの曲「その気になれば」を演奏して観客を沸かせていた。 私は客席からミュージシャンたちの演奏を見ていて、おや、と思った。演奏中に舞台袖から、ハンバートハンバートの佐藤良成が福岡に背中を押されてバイオリンをかかえ、恥ずかしそうに演奏に加わるのだ。どうやら予定にないようだ。そうかと思えば、金子マリが裏から小走りでステージに走ってきてコーラスに加わったり、いとうたかおが満面の笑みをたたえながらハーモニカで加わったり。何か面白そうなことが偶発的、自然発生的に起こっているらしい。スタッフが慌ててマイクスタンドを立てたり、忙しそう。だが見ている方には、これは楽しい。『春一番』の醍醐味だなあと思う。 突然の参加でも、そこは長年『春一番』に出演してきたミュージシャン、ステージ上ではあうんの呼吸でピタッと合うのが心地いい。彼らが持つ信頼感が演奏となって観客に伝わり、ステージに駆け寄って踊る観客たちも巻き込み、相乗効果で思いがけない一体感を生み出して野音という自由空間に広がり出て行く。その一体感はステージにとどまらず、演奏の終わったあとで、彼らが客席の中に混ざり、家族や仲間とともに観客として『春一番』を楽しむことで、さらに熟成されている。 このメンバーの中では“中堅”の部類に属するであろう朴保に、『春一番』の魅力について聞いてみた。「たとえば“反戦”というメッセージでも、それを自然に出すことができる。ミュージシャンを大切にし、ミュージシャンの思いを自由に表現させてくれるところ」。朴保はそういって微笑む。何者にもよらず、スタッフと演奏者が手弁当で作るコンサートだからこそ、自由な表現空間が確保される。その姿勢は恐らく初回から変わらないのだ。 今回の『春一番』には、頭に「祝」という冠がついている。これは体調の優れなかった福岡が、第20回と切りのいい昨年で終わるつもりだった『春一番』を、今年も続けることにした意味が籠められている。 なぜ続けるのか。その理由を福岡風太は「死んだからや、渡が。それだけや」(「雲遊天下」増刊号。雲遊天下読者応援団+ビレッジプレス発行)とだけ語る。 その福岡の心境を『春一番』の立ち上がりから関わり続け「すでにスタッフの気分」と語る大塚まさじは「高田渡が亡くなったことで、自分(福岡)が何をやりたいのか見極めることができたということだと理解している」と説明してくれた。第1回から出演してきた高田渡の死は、酒好きの福岡に酒を止めさせ、『春一番』を続けることを決意させた。 この5月には72年『春一W?番』のCDボックスも福岡プロデュースで発売された(1万8900円。販売元:ブリッジ)。福岡の意気込みが感じられる。可能な限り続けて欲しいと願うばかりだ。 (文中、敬称略)
左:中川イサトと押尾コータローの師弟競演が実現! 右:ハンバートハンバート(佐藤良成、佐野遊穂)と彼らを見守る福岡風太。
左:“グレイトフル ジャズ PART2”に登場した渋谷毅オーケストラ。ただただ壮観。 右:『春一番』プロデューサー、福岡風太。
左:渋谷毅オーケストラに参加した“下北のジャニス”こと金子マリがパワフルなヴォーカルを披露。 右:中川イサト、中川五郎ら出演者達も観客と同じく芝生に寝ころんでコンサートを楽しんでいた。
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