ここで終われることが凄く幸せなんですよ
──まず…改めて伺いますが、これはあくまで解散であって、活動休止ではないんですよね?
高木フトシ(vo, g):そうですね、はい。
──いろんな出来事が積み重なった結果とは思うのですが、解散という選択肢を敢えて選んだのは?
高木:まさにその“積み重ね”なんですよ。誰でもそうだと思うんですけど、何やかんやと積み重ねで生きてるじゃないですか? 敦も、MITSUも、FUCHIも、そして俺も、この解散が一人の人間として、積み重ねのいい流れだと思ったんです。明確な理由はないんですよ。ただ、このまま続けても騙し騙しやっていくような気がして、それはやっぱり許せない方向だし、HATE HONEYは絶対に恰好良くなくちゃいけないんです。何て言うか…リアリティが消えることだけはイヤだった。“卒業”と言うと陳腐な言葉になるけど、それに似た感覚はあるんですよね。
──2000年3月に活動休止に突入した時とは全く意味が異なるわけですね。
高木:そうですね。あの時はメンバー間の問題もあったし、このままやってても意味がないから解散か停止かどちらかにしようっていう選択だった。でも今回は、上手く説明できないけど解散がいいんですよ。メンバーはもちろん、スタッフも含めて、その先に今よりもいい未来を感じ取ることができてるんです。だから今まで以上に俺達は仲がいいしね。俺達って家族みたいな仲で、音楽を通じて人間関係があったわけでもない。音楽が信頼関係を繋ぎ止めておくものでもなくて、ただ単に、「最近そういう音楽が好きなの?」「じゃあ一緒にバンドやろうか」っていうだけのノリなんです。
──具体的に解散を意識したのはいつ頃なんですか?
高木:正直に言うと、『LOST DYE DISPERSE BEACH』(2004年8月発表)のレコーディングの後くらいに個人的に思うところがあって、それを何とか乗り越えたかったんですけど、乗り越えられないまま年を明けることになった。それ以降も闘ってはいたんですけど…。俺がそう感じてるってことは、メンバー全員も同じ気持ちなんですよ。不協和音みたいなことは起こったりしないけど、全員が全員そう感じているのなら、やっぱり騙し騙しバンドを続けることになるじゃないですか? で、去年の夏前くらいに敦と2人で呑みに行った時に色々と話し込んで、「解散しようか?」って話になって。
──それは高木さんのほうから?
高木:いや、敦から。でも話を聞いて、自分でもここで踏み切れると思った。その時に初めて、HATEよりも大切なものを大事にしようという気持ちが前に出てきたんだと思う。それは各個人の未来だったり、プライヴェートだったりするだろうし、敦にとってはHATEじゃない音楽的なことかもしれないし。
──一生のんべんだらりと活動を続けるのはロックじゃない、カットアウトすることこそ美しいという考えがあったんでしょうか?
高木:まさにそうですね。だから『LOVE / HATE』というラスト・アルバムを作れて、ここで終われることが凄く幸せなんですよ。とても俺達らしいと思うし、俺達にしかできない気もするから。
──その『LOVE / HATE』は、最初から解散を念頭に置いて制作されたんですか?
高木:収録曲そのものは『LOST DYE〜』を作る前から揃っていたものが多くて、曲を寝かせていたぶんを含めると、制作期間は実は結構長いことになるんですよね。解散を決めて、でも最後にどうしてもアルバムを作りたいと思った時に、俺と敦の間ではずっと作品としての構想があったからそれは実現させたいと思った。今のメンバーとHATEのスタッフという、余計な人間を入れずに作りたかったんですよ。他のレーベルとかどこかのメジャーとか、そういうところでは作りたくなかった。
──有終の美を飾るに相応しい本当に聴き応えのある作品で、バンドのポテンシャルを余すところなく引き出してすべてを注ぎ込んだと言えますよね。
高木:ええ。もう全部。後悔は絶対にしたくないと思ったし、ありったけの力を本当に全部出し切りました。
──感情を激しく揺さぶるソリッドなロック・チューンは元より、叙情的なバラードやゴシックな世界観を持った曲、静寂を奏でるインストに至るまでヴァラエティに富んでいて、今さらながらに懐の深いバンドだったんだなと思います。
高木:メンバー全員、音楽が大好きなんですよ。多分、普通の人よりもロックが異常なまでに好きなんです。引き出しの多さは確かにあったのかもしれないけど、それを果たして全部やり切れてたかどうかはまた別ですね。やっぱり俺達は単純にロックが好きでバンドを続けていたんだと思いますよ。ホントに“好きなだけ”っていう。だからそれが、聴いてくれたみんなに対してひとつのメッセージだったのかもしれない。“好きなら、やってみればいいんじゃない?”っていうね。ただそれだけなんですよe´?。
──MITSUさんは、最後のレコーディングをどう臨みましたか?
MITSU(g):“これで最後だから…”っていう気持ちは、録ってる最中には正直余りなかったですね。自分を全部出そう、恰好いい作品を作り上げようっていう意識は向いてましたけど。レコーディングが終わって少し時間が経ったミックスの時とか、ちょっと冷静になれた頃に“これが最後なんだな”とは思ったけどね。こうして何本かインタビューを受けながら、HATEの解散を自分の中で徐々に対象化しつつある感じかな。
高木:これは本当にスタッフのお陰なんだけど、俺は今回初めてレコーディングにストレスを感じなかったんですよ。歌入れに割と時間的な余裕もあったしね。
MITSU:ピリピリした緊張感も確かにあったけど、それは決して殺伐としたものではなかった。ただ純粋にいいものを作ろうっていう緊張感だったよね。それはどのパートを録ってる時も同じだった気がする。
「teenthrash」に対する答えを出したかった
──思えば活動休止に入る前も「teenthrash」という曲を発表して、今回のアルバムの最後を締め括るのも「the last resending teenthrash」という曲で、示唆に富んでいると言うか…。
高木:「the last resending teenthrash」は、曲そのものが「teenthrash」と同じコード進行なんですよ。今回、敦から「タイトルに使いたい」っていう要望があってタイトルを付けたんです。そうして終わることが美しいと直感的に思ったんですね。実は、この曲だけ一回しか唄わせてもらえなかったんですよ。唄い終わってブースに戻るとみんなが静まり返っていて、普通ならそこから部分的に直すとかあるじゃないですか? でも「このテイクを直すなんておかしい」ってみんなから言われて(笑)、もう一度唄うのを許してもらえなかったんです。
MITSU:フトシさんが「そっち行って聴く」って言ったんだけど、俺はむしろ「聴かないでいい!」と思ったんだよ。だって、聴き返したら絶対に録り直したくなるじゃない?(笑)
──それだけ、その時の高木さんの歌が気持ちのこもった素晴らしいものだったわけですね。
MITSU:うん。歌詞の内容の重さもあるんだけど、全く録り直す必要のない充分すぎるほどのテイクだった。それはその場にいた全員がそう思ったと思うよ。
高木:「the last resending teenthrash」の詞だけは、解散に向けて書いたものなんですよ。前に書いた「teenthrash」に対する答えみたいなものを、自分としてはどうしても出したかったんです。「teenthrash」で生きることを選んでバンドが復活して、その後にどうなったかを自分なりに表現したかった。だからずっとその詞を書き溜めていたんです。それがノート3冊分くらいあったんですけど、どうもハマりが悪くて、それを全部捨てて一から書き直したんですね。その過程で、何でか判らないけど涙が止まらなくなった。スタッフに電話して「ダメだ、俺…」っていう事件もあったんですけど…。でも藻掻きながらも何とか形にすることができて、詞に関しては自分なりのメッセージやメンバーとスタッフに対しての感謝の気持ちとか、すべての感情をこの歌に込められたと思ってます。
──高木さんの衒いのない想いが歌に凝縮されているし、お世辞でも何でもなく感動的なナンバーだと思います。
高木:この曲だけ、4日間あった歌入れの最後に唄って下さいっていうディレクターからの要望があったんですよ。最終日はこの歌だけに集中できたし、そんな状況も関係してるんでしょうけどね。何て言うのかな、バンドも、詞も曲も、多分自分の歌も、自分だけのものじゃないじゃないですか? 少なくともHATE HONEYってそういうバンドなんです。それを「HATE HONEYは俺達だけのものだ」という自分達のエゴでやれなくなった段階で解散を選んだのは良かった気もするし。その時点ですでに、自分としては“teenthrash”という言葉が俺達のライフスタイルには合っていないとも思ったし。でも今は、ラスト・アルバムの最後の曲に“teenthrash”という言葉を使えたのは凄く良かったと思ってます。後付けになりますけどね。
──愚問かもしれませんが、これだけ手応えある作品を生み出して、HATE HONEYとしてまだまだこの先作品作りをしていけるとは思いませんでしたか?
高木:いや、それは全くないですね。実際、二度と厭ですよ(笑)。こう言うと語弊があるかもしれないけど、それが偽らざる気持ちですね。
MITSU:同じく。いい意味でも悪い意味でも…率直に言うと疲れたって俺は思った。
──それはやはり、毎回尋常じゃないエネルギーと集中力をレコーディングに注ぐからですよね。
高木:ええ。特に今回は、俺とMITSUは頭から最後までずっとスタジオに籠もりっぱなしでしたから。MITSUなんか、車の中やスタジオのソファに泊まり込んでやってたくらいだし。
MITSU:集中力が途切れるのが自分では厭だったんですよね。それは最初からスタッフにお願いして、テンションを保ったままレコーディングを続行したいと思った。
──アルバムのレコ発を含めて、残るライヴがあと5本のみというのも惜しいですね。もっともっとライヴが観たいというのがファンの本音だと思うのですが。
高木:確かに申し訳ないと思うんですけどね…。北海道とか遂に一度も行けなかった場所がいっぱいあるし、そこはやっぱり後悔と言えば後悔になるのかな。でもまだバンドが終わったわけではないので、残りのライヴに対する緊張感は凄くありますよ。レコ発のワンマンはラスト・アルバムの曲を存分にやるつもりですし。ラスト・ツアーの4本は、自分達の10年間を全部出し切るのがテーマですね。10年間という区切りもたまたまなんです。本来なら去年の内に解散していても良かったんだけど、たまたまアルバムをリリースできることも決まって、今年の3月まで続けようということになった。そうしたらちょうど10年じゃないかっていう、本当に偶然なんです。
──ラスト・ツアーはやはり、HATE HONEYの集大成的なライヴになりますよね。
高木:でも結構、いつも通りのライヴになりそうな気もしますよ。レコーディングはまた集中力が違うじゃないですか? ライヴは自分達のライフワークだったし、毎月必ずやり続けてきたことですから、極々日常的なものなんです。ただ、最後のツアーなので現場の空気感は明らかに今までとは違うでしょうけどね。
どうしてもロフトで最後を飾りたかった
──そして、ラスト・ギグはホームグラウンドである新宿ロフト…。
高木:俺達はロフトで始まったバンドだし、ロフトで終わりたいと思ったんですよ。だから最後のライヴをロフトでやれて凄く嬉しいし、満足してるんです。本当は、もっと広いキャパシティのライヴハウスでやろうっていうスタッフの意見もあったんですけど、自分達としては絶対にロフトで最後を飾りたかったんです。
──この場を借りて、ロフトを代表して感謝します。本当に有り難い限りですよ。
高木:いや、こちらこそですよ。俺達は本当に新宿ロフトというライヴハウスに感謝しなくちゃいけないバンドだし、新宿ロフトがあったからこそバンドとしてのプライドも保てたと思うんです。今のロフトで働くスタッフは皆凄く温かくて、店長の東田を始め、河西、大塚、道京…と、俺は彼らの人柄が大好きですよ。
──活動休止前も復活後もワンマンをロフトで行なったり、活動の節目、節目には必ずロフトに出演して頂いたわけですが、とりわけ印象深いライヴというのは?
高木:それはもう、語り尽くせないですよ。そもそも最初のワンマンがまだ小滝橋通りにあった頃のロフトだったし。敦がDEEPというバンドをやっていたので、その関係で動員もあったんです。まぁ要するに、最初は敦のファンばかりだったんですけどね。そこからどんどん動員が減っていって、また徐々に増やしていって。それは凄くいい経験ができたと思ってます。
MITSU:俺は、旧ロフトへはHATEのライヴによく遊びに行ってましたけど、ステージに立ったことはなかったですね。初めてロフトでライヴをやったのは歌舞伎町に移ってからです。HATEの前にやってたバンドで、BAD SiX BABiESのオープニング・アクトを務めたのが最初なのかな。それまではギター&ヴォーカルだったんですけど、HATEの復活ライヴは自分がギタリストとしてステージに立つのが初めてのライヴで…あれはビデオとしてリリースもされたけど(『HATE HONEY 020423 LOFT』)、言葉に言い表せない印象的なライヴだったなぁ(笑)。
高木:あと、往年のロフト打ち上げ伝説みたいな酷い呑み方はしなかったつもりですけど、俺達は呑み始めるととにかく長いですね(笑)。
MITSU:朝の4時を過ぎて、「閉店します」ってスタッフに言われてからが長いからね(笑)。
──ロフトでの最後のライヴは、どんなものにしたいですか?
高木:ひとつ考えているのは、そこで死なないようにするってことなんです(苦笑)。考えれば考えるほど、そこで死んじゃいそうなんで。もしかしたらそれが一番恰好いいのかもしれないけど、そこで死んだらオシマイなんで。だから最後は…笑ってほしいですね。お客さんも、ロフトのスタッフも、もちろん俺達も。笑って終わりたいです。
MITSU:どういう姿勢で臨むかとか、そういうのを考えてライヴをやるってことはしないし、最後もしないつもりですね。その場のお客さんと共有できる空気と言うか、そこで色々と感じながら変化していくのがライヴだと思うから。特にHATEはワンマンだとたくさんの曲をやるからね、喜怒哀楽じゃないけど。願うなら“怒”のe´?部分は極力抑えてもらって(笑)。これで最後かという悲しい気持ちもあるだろうし、純粋に楽しむ気持ちもあるだろうし、その時々の感情をダイレクトに受け容れてくれればいいと思いますよ。
──HATE HONEYとしてこの10年間を振り返ってみて、率直に今どんな心境ですか?
MITSU:10年前って言ったら、俺なんて20歳ですから(笑)。
高木:HATEのファン同志が結婚して、子供が産まれたりとかしてる歳月が経ってるんですけど、本当にアッと言う間でしたよ。気が付いたらそれだけの時間が経ってた感じですね。
──10年前はまだ今のようにパソコンやネットが日常的なものじゃなかったし、ライヴもフライヤーに載っている僅かな情報や音楽誌の記事を熟読して足を運んでましたよね。今はバンドを取り巻く状況も音楽を聴く側の在り方も大きく様変わりしたし、そう考えるとHATE HONEYは激動の10年を走り抜いてきたと思うんですが。
高木:こっちは何も変わってないんですけどね。ただ、HATEの音楽を聴いてくれるお客さんには、そういうフライヤーの僅かな情報から読み取って足を使うような人間であってほしいですけど。最初に言ったように、俺達はただ好きなことだけをやってきただけですから。頭でっかちな大人が「そんな綺麗事ばかりでやっていけるわけないだろう」って言うのも一方では判るけど、俺は絶対にそんなことないと思う。HATE HONEYは好きなことをやり抜いて10年間やってきましたからね。やっぱり俺には歌しかないと思ってるし、HATE HONEYを離れてゼロに戻った高木フトシという一個人が一体どんなものなのかという問い掛けを、今まで以上に深くしていくでしょうね。こうして唄うことに腹を括れるようになったのは、間違いなく敦、MITSU、FUCHIのお陰だし、HATEのスタッフもそうだし、ロフトもそうだし、そういういい出会いがあった結果ですからね。
──では最後に、3月25日に新宿ロフトへ集う皆さんにメッセージを。
MITSU:単純に来るのは楽しみにしていてほしいけど、来る前からあれこれ考えずに、ライヴを体感して存分に楽しんだ後に何かを感じ取ってくれたらいいですね。
高木:これはお願いになっちゃうんですけど、今までツアーで行けなかった場所に住むお客さんには、俺達の始まりである新宿ロフトへ最後に集まってほしいんですよ。HATE HONEYというバンドのロックンロールを純粋に楽しんでほしいし、ラスト・ギグにしかない空気が間違いなくその日のロフトにはあるんで。そして最後に一緒に笑い合えたら嬉しい。俺達はそこで終わるけど、その日のライヴで掴み取った“何か”を、観てくれた人がそれぞれの実生活の中で繋いでいってくれたら最高ですね。色々と大変だけど、自分の好きなことを貫くことの大切さをみんなに忘れないでほしい。その姿勢こそがHATE HONEYのプライド、生き様だったからね。
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