自分達の音楽が誰かにとって“灯り”になれたら
──先月リリースされたシングル「ナナイロ」は、秋に出るアルバムまでの三部作の序章ということですが。
奥村 大(g, vo):“三部作”と言っても、昔のプログレみたいに重厚な連作というわけではないですけど、連なるテーマ感と言うかイメージが自分達のなかにはあって、シングルの「ナナイロ」と「パズル」、アルバムの『真昼の月は所在なく霞んでる』までをひとつの作品として捉えているんです。
──この三部作のテーマというのは?
奥村:去年出したアルバム『?』の時にあった“他者との距離”というテーマが、今思うとちょっと観念的だったんですよね。今回はもう少し自分のイメージに近い言葉で言うと、“空間”とか“空気感”って言うのかな。“距離”の話を音楽的に語るのではなく、“他者との距離”をイメージした時に自分のなかで浮かんできたキーワードは“光”だったんですよ。その光を介して他者と交わっていくと言うか…。
南波政人(g, vo):それがいろんなところに連鎖しているんだよね。「ナナイロ」のジャケットにも光が象徴的に映し出されているし、曲を聴いてジャケットを見てもらえれば最後には頷けると思う。
奥村:光の話だけで軽く4時間くらいは喋り続けられるんで(笑)。
──同じ光でも、三部作ではそれぞれ違った光がテーマとなっているんですよね?
奥村:そうですね。「ナナイロ」は歌詞にもある通り、照らしてきた光がピアスに当たって乱反射して、七色になる。「パズル」の光はそれに比べてもうちょっと暗いんですね。「ナナイロ」が太陽の光とするならば、「パズル」は月のそれなんですよ。最終的にアルバムでは、光を灯しているのが自分達の話に変わってくる。“真昼の月”とは自分達を象徴したメタファー〈暗喩〉なんです。つまり、最初は光を見つめていた人が、最後にはその人自身が光を放つようになる。何かのインタビューで「人が灯す光のことを“灯〈あか〉り”と言う」という一文を読んで、凄く共感できたんですよ。自分達のことを“光”に喩えるなんておこがましくて厭だったんだけど、“灯り”という言葉なら少し納得できたんです。自分達が面白がって何かをやっている姿が、誰かにとって“灯り”だったりすることもあるんじゃないか? と思って。俺が今まで聴き続けてきた音楽が“灯り”の役割を果たしてくれたように。
──燦々と降り注ぐ陽の光のような「ナナイロ」と対照的に、「パズル」は光はおろか、漆黒の闇の如く重く沈んだナンバーですね。
奥村:光があるからこそ認識する闇ですよね。どちらが欠けても成立しない。「ナナイロ」と「パズル」、2つ併せて俺のなかでは両A面みたいな位置付けですね。
──ピッタリと符合するパズルのような2人だったのに、結局は互いを補いきれなかったという、聴き手の心を激しく揺さぶるヘヴィなラヴ・ソングですよね。
奥村:符合する・しないが大事というよりも、そのパズルの絵は二度と再現されないんですよ。符合した完成形の絵を一度知った人間が感じる、ピースが足りないことの喪失感を描きたかったんです。「パズル」は仮歌とマイク・チェックと本番の3回しか唄わなかったんです。本番でもう1回トライしてみようと思ったんだけど、膝がガクガクになっちゃって無理でしたね。
南波:奥村の歌はどれも仮の段階からいいんだけど、特にこの「パズル」は凄かったんです。9分11秒もあって、最初から最後まで間奏もなく、ほぼ歌が入った曲なんですよ。それでも一切のやり直しなしで2回目を録ったからね。
──かさぶたを剥がすような問いかもしれませんが、これはどんな出来事がきっかけで生まれた曲なんですか?
奥村:万事スムーズに物事が運んで、調子に乗っていた時期があったんです。ところが、とあるプライヴェートな事件を発端にして全く正反対のバイオリズムになってしまった。それが自分にとって凄まじい体験だったんですね。普段から何に使うでもなく言葉を書き留める癖があるんですけど、その体験の真っ直中に不意にガーッと書き始めたら止まらなくなってしまって、気がついたら一篇の詩になっていたんです。その場で出来上がった詩を読み返しながらアコースティック・ギターで爪弾いた途端、いきなりAメロが頭に浮かんできた。生まれて初めて歌詞から先に曲を作ったんです。あれは不思議な経験でしたね。
南波:最初に奥村が「できればやりたくないけど、凄いのが出来た」ってスタジオに「パズル」を持ってきて、唄われた瞬間にもう絶句、ホント鳥肌モンでしたよ。と言うか、ギターの最初のフレーズを聴いた時から、歌が始まる前からとんでもない名曲だと確信したからね。奥村の歌を聴き終えて身動きが全く取れなかった。だからこそ、9分を超える曲だろうと敢えてシングルとして発表しようと踏み切ったんですよ。やっぱり、奥村のソングライターとしての才覚がどんどんどんどんリアルになっているのが身近で見ていてよく判りますよね。俺は奥村のプライヴェートな部分もよく知ってるから、彼が身を削って生み出した曲が余りに痛すぎて聴けない時も正直あるんですよ。でも、その痛さを俺達3人は受け止められるし、それぞれのパートでよりリアルな歌にビルドアップできると思ってる。
──BEATSORECORDS主宰の土屋(浩)さんが「シングルにするなら『パズル』だ!」と強硬に主張したそうですね。
奥村:メンバーである俺達が社長(土屋氏のこと)を止めに掛かったくらいで(笑)、最初、「パズル」をシングルにすることに賛成したのはバンド内で岡(啓樹/ba)だけでしたから(笑)。もちろん「パズル」のほうが俺達にとっては大きなポイントだったんですけど、「ナナイロ」が先にあってこそ「パズル」が活きるわけだし、タイプの異なる2曲の資質を同時に抱えているのがwash?というバンドの本質ですからね。
真昼の月を自分達の姿になぞらえた
──ファースト・アルバム『?』に比べて、サウンドに整合感が増して微妙に変化した印象がありますね。
奥村:『?』を制作した時、俺以外のメンバーは完全に自分達だけでコントロールできる状況下でレコーディングをするのが実質的には初めてのことだったと思うんですよ。そこでの経験で後悔もあったろうし、思っていた以上にやれたという自信にも繋がったろうし、そういう個々人の経験的貯金みたいなものがサウンドにも如実に表れていると思いますね。それとやっぱり、今回エンジニアを担当してくれた井上うにさんの力が凄く大きいです。
──椎名林檎さんの一連の作品のミックスを手掛けている方ですね。
奥村:そうです。「ナナイロ」に関して言えば、俺はもっとバッキバキの音にしようと思っていたんだけど、うにさんからの提案で「思っているよりも10歳くらい若くした感じのほうがこの曲はいいよ」と言われて。仕上がりを聴いてみたら、確かにうにさんの言う通りだった。
南波:うにさんが言うから説得力があるんだよな。作品に対する共通の意図がうにさんとバンドの間にあって、ちゃんとゴールが見えていたからこそ成し得た阿吽の呼吸だったよね。
奥村:「ナナイロ」のカップリングの「light」は逆に、うにさんのほうから「もっとバキッとしてみよう」と提示してきてくれて、さすが判ってくれてるなぁと。でも、それはカップリング曲だからそうしてくれたのかな? と思って、「パズル」を「light」よりももっと歪んだ感じにしてもらうにはどう伝えようかと考えていたんですけど、こっちが言う前に勝手に凄まじいことになってた(笑)。語弊を恐れずに言うと、「パズル」はともするとR&B調になってしまいがちな曲なんですけど、うにさんはきっちりロックに聴こえるように仕上げてくれたんです。
──「ナナイロ」も「パズル」も、wash?サウンドの肝であるファズやディレイがしっかり歪んでいながらも歌がちゃんと真ん中にあるという、絶妙なミックスに仕上がってますよね。
奥村:うん。エンジニアの人ってどうしても後から音圧や歪みをグッと増すことを怖がるものなんですけど、うにさんはこっちが言う前から俺の意図する音質の状態にしてくれてたし、俺のほうからそのひとつ前の段階に戻してもらうようにお願いしたこともあったんです(笑)。実際、「パズル」の歌のパートは、最初はもっと歪んでましたからね。
南波:奥村が「ひとつ前に戻してくれ」ってエンジニアさんに言うなんてあり得ない話だからね(笑)。「もっとやれ! やれ!」とはいつも言ってるけど。
──「パズル」のカップリング曲の「過剰サル商売」って、これはつまり…。
奥村:「Too Much Monkey Business」(チャック・ベリー作の有名曲)のタイトル直訳ですね(笑)。『?』の時にも「犬になりたい」という曲をやって、あれもイギー・ポップの「I Wanna Be Your Dog」を俺なりの解釈でオリジナル曲に仕上げたんですけど、その系譜ですね。「ナナイロ」に入れた「S.S.」も同じ部類の曲ではありますね。この系統の曲は、俺達にとってなくてはならないものなんですよ。犬、サル、と来たから、次は鳥あたりで行きたいと思ってるんですけどね(笑)。
南波:そう、チキンまたはバード方面で何か探して、wash?の“動物三部作”を目指してますから(笑)。
──当初は「cheese」という曲が「パズル」のカップリング候補曲だったんですよね?
奥村:そうですね。最初に考えてた「cheese」の出来が余りに良くなってしまったんですよ。それでも絶対に「パズル」には勝てないし、「パズル」に優る曲は今のところ自分達にはない。だったら「cheese」はアルバムに入れようってことになったんです。
──11月にリリースされるセカンド・アルバム『真昼の月は所在なく霞んでる』は、どんな仕上がりになりそうですか?
奥村:シングルから窺えるような感じかな。曲間の秒数までこと細かくこだわってマスタリングにも臨みました。アルバムのタイトルは「エレベーター」という収録曲のなかの歌詞から取ったんです。月というのはやっぱり夜にあるべきもので、昼間は太陽もあるし、空自体の青さに溶け込んで目立たないものだけど、真昼に月が見えたところでちょっと間が抜けた感じもするんですよ。そんな真昼の月を自分達の姿になぞらえて、“今の俺達って何なんだろう?”って言うか、誰しもがそんな想いを抱えているのかな? っていう意識を「エレベーター」を作った時に抱いたんです。このアルバム・タイトルだけは、もう半年前くらい前から決めてあったんですよ。
──そのタイトルの由来というのは?
奥村:その頃にちょうど、東京という街について考えていたんです。俺は東京生まれの東京育ちなんですけど、未だにこの東京という街に馴染むことのできない自分がいる。それをずっと引きずっていて、例えば東京以外の出身者であれば「東京という街に馴染めない」という言葉も成立しやすいと思うんです。その時に考えたのは、東京は地方出身者ばかりが集まった田舎者が作ってる街なんだと。東京に古くからずっといる人もまた東京人という田舎者なんだと。そういう人達が作り上げる街を本心から好きだと俺はやっぱり言えないんですよ。俺も含めて、みんな寂しいから本質を探し始める。生きる意味を探し求めようとする。でも、そんなことを真剣に突き詰めようとすれば、最終的な答えは死ぬしかなくなってしまう。そういう想いを抱えながらも、俺は今日も東京の街に所在なく佇んでいる。そんな自分自身の姿がまるで“真昼の月”のように思えたんです。
──今回の三部作は、『?』の時のテーマである“他者との距離感”をより感覚的に、映像的に拡がりを持たせて発展させつつも、でもやっぱりwash?の奏でる音楽には他者との関わり合いから見える自分、それでも摩擦を渇望する根源的な欲求が通底している。そうした感覚は普遍的なもので、だからこそ僕達リスナーを魅了してやまないんだと思いますよ。
奥村:やっぱり、今の時代は人と人との交わり方が希薄なんだと思うんです。みんな不安で怯えているんだけど、本心では言いたいことをガツンと言い合いたいし、しっかりと受け止められたいし、確かなものが欲しいし、褒められたいし、心から笑い合いたいし、同じ想いを共有したい。そういう所在なく霞んだ想いを、俺達は音楽に託して伝えようとしているんです。
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